いよいよ今月から襲名興行ですね。というわけで、いい機会なので久々にこの企画。でも中村屋贔屓はけして読まないように…。
去年夏の「四谷怪談」の感想でも書いたけど、私はこの人あまり好きではない。確かに天才だとは思うし、今の歌舞伎界にとってはこの人の知名度や行動力は貴重だとは思う。しかし、この人の目指す方向性がどうしても私の趣味とは違うんですよね・・・。
ざっくり言って、歌舞伎を見に行く人には二種類いると思う。一方は、「古典芸能としての歌舞伎にお金を払っている」という人、もう一方は「エンターテイメントとしての歌舞伎にお金を払っている」という人。もちろん、簡単に峻別できるものでもないのだけど、ウェイトの懸かり方は明らかにあるような気がして、私見では十八代目勘三郎は後者の観客に比重を置いているように感じてしまう。
でも、東京に住んでいれば、様々な芝居が観れるし、何も歌舞伎で他の芝居みたいなことはしなくていいんじゃない?と考えてしまう私としては、「古典芸能に払った金」を返せと言いたくなる演目も正直ある。(例えば、「浮かれ心中」とか。)特に福助や橋之助といった義理の兄弟(福助や橋之助の姉が勘九郎の奥さん。)を中心とした、いわば勘九郎一門の芝居になると、どうしようもなく俗っぽくなってしまって、私としてはウンザリすることもしばしば。結局のところ、三津五郎などいい共演者に恵まれると、緊張感のある芝居をする人だけに弟分みたいな役者とばかり共演しないで欲しいなと思うのは私だけだろうか?
また、私がこの人で物足りないのは女形の芝居。若いときはそうでもないのだが、最近はどうも滑稽味が勝ってしまって、色気がない。(例えば、「山科閑居」のお石。舞踊だとそんな事はないのだけど…。)先代十七代目勘三郎の「夏祭浪花鑑」のお辰なんかは見た目はよくないのに美人のような気がしてくる色気があったのに、当代は今ひとつそんな感じはしない。(コクーン歌舞伎を観た限り。)
私は先代勘三郎や二代目鴈治郎がとても好きなのだけど、二人とも外見は美男にも美女にも見えないのに、舞台で美男や美女の役をやると、不思議と変な色気があるという、凄い役者だったのだけど、そういう凄みは残念ながら当代の勘三郎からは感じたことがない。(まあ、これは彼に限った話ではないのだけど。)
というわけで、私がこの人に望むことは、もっと老けて渋い役者になって欲しいなあということ。(もう、スラプスティック的なドタバタ芝居は襲名を期に止めてもいいんじゃないかという意味。)小山三など先代からの弟子との渋い芝居が私は観たいのだけどなあ…。
かつて、三島由紀夫は六代目菊五郎のリアリズム的な芝居を批判し、古風な芸風の六代目歌右衛門を賞賛したのだけど、十八代目勘三郎が六代目菊五郎の孫だというのは、なかなか考えさせられるものがある。もし、三島由紀夫が生きていたら、十八代目勘三郎襲名の「研辰の討たれ」なんかどう思うのだろうか?
・勘九郎のお岩(以前書いた感想。今読むと気合入りすぎかな?)
・九月大歌舞伎 夜の部(三幕目が私の本音。)
<私の役者寸評。>
<私の役者寸評。>② 五代目中村富十郎
<私の役者寸評。>① 十二代目市川團十郎
去年夏の「四谷怪談」の感想でも書いたけど、私はこの人あまり好きではない。確かに天才だとは思うし、今の歌舞伎界にとってはこの人の知名度や行動力は貴重だとは思う。しかし、この人の目指す方向性がどうしても私の趣味とは違うんですよね・・・。
ざっくり言って、歌舞伎を見に行く人には二種類いると思う。一方は、「古典芸能としての歌舞伎にお金を払っている」という人、もう一方は「エンターテイメントとしての歌舞伎にお金を払っている」という人。もちろん、簡単に峻別できるものでもないのだけど、ウェイトの懸かり方は明らかにあるような気がして、私見では十八代目勘三郎は後者の観客に比重を置いているように感じてしまう。
でも、東京に住んでいれば、様々な芝居が観れるし、何も歌舞伎で他の芝居みたいなことはしなくていいんじゃない?と考えてしまう私としては、「古典芸能に払った金」を返せと言いたくなる演目も正直ある。(例えば、「浮かれ心中」とか。)特に福助や橋之助といった義理の兄弟(福助や橋之助の姉が勘九郎の奥さん。)を中心とした、いわば勘九郎一門の芝居になると、どうしようもなく俗っぽくなってしまって、私としてはウンザリすることもしばしば。結局のところ、三津五郎などいい共演者に恵まれると、緊張感のある芝居をする人だけに弟分みたいな役者とばかり共演しないで欲しいなと思うのは私だけだろうか?
また、私がこの人で物足りないのは女形の芝居。若いときはそうでもないのだが、最近はどうも滑稽味が勝ってしまって、色気がない。(例えば、「山科閑居」のお石。舞踊だとそんな事はないのだけど…。)先代十七代目勘三郎の「夏祭浪花鑑」のお辰なんかは見た目はよくないのに美人のような気がしてくる色気があったのに、当代は今ひとつそんな感じはしない。(コクーン歌舞伎を観た限り。)
私は先代勘三郎や二代目鴈治郎がとても好きなのだけど、二人とも外見は美男にも美女にも見えないのに、舞台で美男や美女の役をやると、不思議と変な色気があるという、凄い役者だったのだけど、そういう凄みは残念ながら当代の勘三郎からは感じたことがない。(まあ、これは彼に限った話ではないのだけど。)
というわけで、私がこの人に望むことは、もっと老けて渋い役者になって欲しいなあということ。(もう、スラプスティック的なドタバタ芝居は襲名を期に止めてもいいんじゃないかという意味。)小山三など先代からの弟子との渋い芝居が私は観たいのだけどなあ…。
かつて、三島由紀夫は六代目菊五郎のリアリズム的な芝居を批判し、古風な芸風の六代目歌右衛門を賞賛したのだけど、十八代目勘三郎が六代目菊五郎の孫だというのは、なかなか考えさせられるものがある。もし、三島由紀夫が生きていたら、十八代目勘三郎襲名の「研辰の討たれ」なんかどう思うのだろうか?
・勘九郎のお岩(以前書いた感想。今読むと気合入りすぎかな?)
・九月大歌舞伎 夜の部(三幕目が私の本音。)
<私の役者寸評。>
<私の役者寸評。>② 五代目中村富十郎
<私の役者寸評。>① 十二代目市川團十郎
切られお富さまの大変参考になる日記、読み込んでしまいました!周りが勘三郎贔屓ばかりでちょっと私自身が考えていたことがそのまま文章になっていて吃驚しました。私自身、自分の心の中(本当に自分が歌舞伎に求めるもの)を見つめなおして歌舞伎を見ようと思いました。
はじめ、コメント(1)の表示を見たときは、中村屋贔屓からの苦情のコメントかと思って恐る恐る開いたのですが、賛同していただけるコメントで、とても嬉しく思いました。
これからもよろしくおねがいします。
それと、雷蔵お好きなんですね。じつは私も大好きです。
眠狂四郎みたいなニヒルな役も良いけど、『ぼんち』や『好色一代男』みたいな明るい役も好きです。
私の好きな出演作は、
『眠狂四郎炎情剣』、『斬る』、『ひとり狼』といったあたりかな。それと『薄桜記』の雪の中で倒れてるスチール写真なんかカッコイイですよね!
雷蔵は変化自在の役者でしたね。あの所作の美しさに心奪われております。和事師の「ぼんち」「好色一代男」もいいですし、「斬る」「薄桜記」の薄幸な気品のある侍姿もいいし、眠狂四郎の黒の着流しも垂涎!雷蔵ネタになるとキリがありません…。
「ひとり狼」は観たい映画だったのですが、今回の雷蔵祭では逃してしまいました。う~残念!
これをご縁に、私のブログ上のリンク欄にこちらのブログを載せたいのですが、いかがでしょうか。
雷蔵ネタは尽きませんよね。
リンクはもちろん、今後もよろしくおねがいします♪
十七代目と比べると、芸、踊り、色気、品、いずれをとっても足下にも及びません。
これは彼だけでなく、最近の役者全般に言えることですが、品と色気に欠けている人が多い。
私見ですが、一つには花柳界や色町が衰退してきた事と関係があるような気がします。
これからも時々こちらへお邪魔しますので、宜しくお願い致します。
当代勘三郎に関して、ご賛同して頂きありがとうございます。はじめは、大ブーイングを覚悟しての記事でしたが、心強くなってきました。もっと老けて、体が動かなくなってきたときの新・勘三郎に期待したいですね。今は悪い意味で元気過ぎる。
それと、中西氏の選挙区の話、とても興味深く読ませていただきました。マスコミからはなかなか出てこない話ですね。
今後もよろしくおねがいします。