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ナルシシズム・ナルチシズム(narcissism・Narzismmus)と自己愛(autoertism)

2018年01月08日 15時53分36秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
穏やかな雨


温かい雨が静かにふりそそでいる。

白木蓮の芽が顔をだして喜んでいる。

毎朝、秘かに元気を与えている白木蓮。

ずぶ濡れになりながら、たたずむ一羽の野鳥。

せせらぎで、若い白鷺が群れをなして遊んでいる。

その端で小鴨が仲良く泳ぎ周っている。



ナルシシズム・ナルチシズム(narcissism・Narzismmus)と自己愛(autoertism)

一般には心理・性的に自分にだけ関心が向かっていて、

異性を含む外界にはまったく興味を示さない状態をナルシシズム・ナルチシズム(narcissism・Narzismmus)と云う。


ナルチシズム(Narzismmus)という術語は臨床上の記述から由来したもので

1899年にP・ネルケ(P・Nacke)が、ある人間が自分の肉体を、あたかも異性の肉体であるかのように取りに取り扱って、

愛撫してついに完全な満足状態まで達するような行為をいいあらわすために選んだものである。

あらゆる『目標倒錯』を研究するうえの手がかりが

『ナルチシズム』によってえられるものではないかという期待を裏づけるものなのである。

『ナルチシズム』はおそらく『性的目標倒錯』と目すべきものではなくて、

すべての生物が当然の権利として有すべき自己保存本能のエゴイズムをリビドーの面で補おうとすることなのです。


                フロイト『ナルチシズム入門』“Einfuhrung des Narzimus 1914年


幼児の指しゃぶり、幼児の慰め等がそれであります。

『注』
   エゴイズム・・・客体自己または自己の利益だけを追求し、それを行動の主要な動機とする傾向や態度。
   リビドー ・・・フロイトの造語。性愛欲動のみでなく精神的なものも含めたより広義のエロスを物理化学の理論に
            立脚し、質的・量的に把握するために名づけた。





人間はその発達途上に於いて、必ずこの一点を通過する時期があるのである。

小児は生まれてしばらくの間は完全に『ナルチシズム』であります。

大人も『ナルチシズム的』な傾向をもっています。

自分の姿を鏡に映して眺めるのを好む。自分自身の姿を、実際よりもはるかに美しいとうぬぼれている。

だから自分自身の写真には満足しない。

自分の顔はこの写真よりはもっと美しいと思うのであるから。

病気も『ナルチシズム』であり、胃の痛む人は自分の胃のことばかり考え、歯の痛む人は自分の歯のことばかり考えて、

それにとらわれて、その病気を自分の心から放つことが出来ない。

『ナルチシズム』は自己中心でありますから、その病気を軽くあしらわれると不平に思うのです。

『ナルチシズム』は自己保存本能の転化として多少誰にも存在するのであって、

自己を保護する本能でありますから、自分自身を過当に理想化して考えるのです。

この状態が恋愛対象に移入されると

対象と自己との同一化によって恋愛対象の真価以上に理想化して観るのです。

これをフロイドは『性的過大評価』と称している。



     ある面では恋は情念の塊りであり盲目と言われる所以です。



























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