酒と薔薇の日々

『おやじの放浪日記』
アウトドア(山,チャリ,キャンプ)+料理+カメラと物欲の日々

九州・四国ロドスタ・キャンプツアー(4:佐田岬~土佐清水病院~大岐海岸泊)

2013年09月18日 | アウトドア

泊まっていた駐車場の下の海

朝早くに目が覚めた。こんな道を通って,佐田岬まで往復4km弱の散歩

なかなか,勇壮な感じの海岸

結構,色々な花が咲いている。

これは多分,ハマユウ

知りません。

佐田岬の突端にて。向こうは,昨日までの大分。海峡にサバを採っているらしい船が多数ある。九州側からの呼び方だと関サバですな。

灯台って間近で見るとあんまりおもしろくない。

少し引き返して,椿山の展望台へ。バルチック時代の史跡が見える。これはサーチライトを格納していた場所だそうだ。

展望台。

ここからの眺めの方がイイですね。

駐車場に戻ると,近所のおばあちゃん等が乾物などを売っていた。ウニ一瓶3000円。相場と中身が判らないので遠慮したが,どうだったのだろうか?

大洲方面へ出発したが,なんと道路工事で通行止め。2時間待って10分間の通行などと,横暴すぎる。

前で待っていたおじさん,これを文句も言わずに待つという。どういう時間感覚なのか疑ったが,逆らわずに待つことにした。

付近で三脚とマクロを出して写真を撮っていたら,交通整理のおじさんが,通れるようにしたからと探しに来た。

結局20分ぐらいの待ちで通行できたが,道路使用許可を出した所へ抗議しようかとも思った。

佐田岬は,風力発電が盛んなところです。

発電施設と海を見るための展望台。ちょっと奇抜でおもしろかった。

こんな感じです。海の側は単なる水平線なので写真無し。

道の駅にて休憩。

なんと,この数で100円!安すぎで,合計2パックを購入。生野菜不足なのでうれしかった。

宿毛までは走り続けです。

途中,眠気がひどかったので宇和島過ぎた辺りで神社で休憩。厳島神社でありました。

が,アブがひどくて体中10カ所近く刺されてヒドイ目を見た。刺すときは特に痛くなかったが,後がかゆい。

竜串海岸近くの道の駅にて。土産物屋を見ていた。

3個1000円と書かれていたが,4個におまけすると言われて,ついつい購入。友人配布用にします。多分,すくもサニーサイドパークにて

土佐清水市が近づく。黒潮っていうのか,海の色が深く波が美しい。

竜串海中公園あたりから,見残し海岸を望む。あの突端の方で15年前にカメラ(オリンパス OM-1)を海没させたはず。

さて,今回の旅の最大のイベントである,重傷アトピーで入院していた民宿「南国」を尋ねてみた。

土佐清水病院は,病床が少ないので近くの民宿と契約し,患者を病院代わりに泊めて貰っていたのだ。

隣の廃中華料理店も当時のままあった。

中を覗いていたら,宿の人がおられたので,声をかけてみたところ,宿の中を案内して頂けることになった。

ここは食堂。1日目の食事はマグロの刺身だったことを記憶している。

当時カメラは持って行っていたが,前述したように水没させて一切写真がない。

2階の泊まっていたと思われる部屋。「黒潮」だったように思う。ここへ,名古屋の木野さんという5歳ぐらい上のかっこいい先輩と相部屋で泊まっていた。

色々,入院する数年前まで遊び回ったことを聞かされたなあ。

入院は2月だったので,そこそこ寒かった。退院して帰る時は大雪が降って,宿毛経由で帰ったのだが,峠越えでは雪が車の腹をこするぐらい積もっていて,帰れるのか心配だった。

ここは,風呂に至る通路で,当時と同じように椅子とマンガが置かれている。

ここが風呂場。入院して1週間経った頃だろうか,劇症のアトピーが中症に快癒し,シャワーを浴びながらすごくうれしかったことを思い出す。

風呂には入れなかったので,寒い思いでシャワーを使ったなあ。

タイルは貼り直してある様子です。当時はもっと暗く寂しかった。

当時の宿帳などがないかと話をしていたら,入院患者の雑記帳を出して見せてくれた。入っていたのは平成8年頃だからこのノートより数年前です。

誰かが,当時のノートを持ち去ってしまったとか・・・

「土佐清水病院が人生を変えてくれた」と話していたら,思わず涙が出てしまった。

この宿出身の人で,有名な作家になった人がおられて,出版した本を送ってくれたのだと見せて頂いた。

宿の皆さん,暖かく迎えてくださってありがとうございました。

 

続いて,現在の土佐清水病院を訪ねた。立派になっている。当時の病院の場所が判らなかったので,地図をいただいて場所を教えて貰った。

付近には買い食いをしたスーパーや,退院時に貯金を引き下ろした郵便局が当時のままで建っていた。

旧病院はこの新病院より東へ数百メートルの場所であった。

思い出した。広島から単身車に乗って朝7時のフェリーで土佐清水に向かい,夕方3時頃病院に着いて,診察を頼んだが,順番を飛ばされて診察を受けたのが午後5時で,薄暗くなり始めていた。情けない思いがよみがえる。

現在は,看板は下ろしているものの焼け付いた文字は読み取ることができる。

近くの酒屋で売っていた白色手袋を高い値段で買ったのだが,当時のまま店は存在していた。

本院の南側。正面にはサンドバスが置かれていたプレハブが見える。

これはネットで拾った画像。こんな感じだった。バイトのおばちゃんが石をかき混ぜていた。

結構な値段で,この石を数キログラム買って帰りました。

ホテル南国には10日ほど滞在していたが,途中から病院のベッドが空いたとのことで,本格入院させてもらったのだ。桜木さんという堺辺りのお兄さんが隣のベッドだった。彼は癌で,退院後2年ぐらいで他界された。入院途中からは元気になってDelphi1の本を何度も読んだのを思い出す。

東京の出版社に勤務していた女の子と,足摺まで日の出を見に行こうと話していた(退院で実現せず)のを思い出す。

土佐清水市は,私の再出発の場所なのです。ここから考え方,生き方が変わりました。

なおしてくださった丹羽耕三先生,ありがとうございました。最近体調を崩されたそうで,秋のロングスピーチは中止になりましたが,元気になってください。

土佐清水病院を色々言う人もいますが,何万人もの人が先生の治療で社会復帰したことは事実です。

 

土佐清水病院を後にして,足摺岬を目指す。とりあえずは入浴。おしゃれな「足摺テルメ」へ。

700円でリーズナブルな感じ。

風呂へ続く通路。オブジェがイイです。

風呂は展望風呂。施設は普通

おしゃれな,食堂へのエントランス。結婚式などもここでするのだろう。

足摺岬へ。イノシシがネコに紛れて餌を貰っている。

この近くの観光案内所の軒下で寝ようと思ったのだが,「テント泊禁止」ともろに張り紙されており断念。

灯台

これが遠景。まもなく日が沈む。

とにかく急いで泊まるところを探さねばとあせるが,なかなかいい場所がない。

しょうがなく,大岐海岸が見える高台のパーキングで晩飯開始

しかしここは幹線道路沿いで夜通しアベック車やヤンキーが来るようなので,近くの大岐海岸へ移動してキャンプすることに変更した。

 

この記事は10/2に書いているのだが,写真の縮小で以前からギャザーが気に入らなかったのだが,なんと「Jtrim」の自動縮小のオプション「再サンプリングする」が外れて居るではないか!

全然気付かず使っていたorz 情けない。今更遡って直す手間も時間も気力もない・・・・orz