「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護で手を抜くということ

2009-01-15 | ●介護録(~2015.2月)

父の命日近く、坊様がきた。介護経験者。話は介護のことになった

坊様が
「頑張ってと言われても、これ以上どうガンバレというんだ…と思う」と言った。
私は
「逆に頑張らないで手抜きしてって言われても、私が手抜きした分あなた手伝ってくれるわけ?と言いたくなる」と言った。

友人とか知り合いとか、事情を知っている人が、エール送ってくれる意味での「ガンバってね」とか、心配して「ガンバリすぎないで、休んで」という言葉は素直に受け取れるし「気持ち」が入ってるからありがたいと思う

ムッとなるのは、通りすがり程度の何も知らない人がわかったような顔をしてかける言葉。
「優しくしてあげて」だの「手抜きしないと」だの「誰か他に看てくれる人いないの」だの「預かってくれるトコないの?ああ、お金かかるもんね」などなど…

手抜きしなさいというのなら「今、私がオカーサン見ていてあげるから、その間、買い物してきてイイヨ」と、それくらい言ってみてよ。

まっ、それはそれとして…。

私が「頑張らないで手抜きしてと言われてもイラっとする」と言った後に坊様が言った

「そうだね。特別なことをしているわけじゃないから。普通のことをしてるだけ。だから手を抜くところなんてない。ベンベンにまみれてるのを目の当たりにしながら手抜きして処理をしないわけにはいかない」

そうなんだよね~~~手抜き…とはいったいなんだ?

介護生活は、
介護してない人とっては、「特別」なことだろうけど、私たちにとっては、「介護のある生活」が日常。
「日常」は、特別ではない。

朝、起こして、トイレ連れて行き、紙Pを替え、着替え介助し、食事させて、デイの迎えを待つ…という朝の流れのどこを手抜きする?

紙P替えるのメンドーだからやめる?
そうね、デイで替えて貰おう~という手はあるけど、吸収量オーバーなら漏れるわけだし、ズボンが濡れた、シーツが濡れた、ソファーが濡れた…となったら、その始末が増えるだけ

例えば、「特に必要ではないマッサージ」をやっているのなら、そこはやめて手抜きしたら?と言えるけどうちはそんなことしてないし。

生活するための当たり前のことをしてるだけ。
それが介助が必要で、見守りが必要で、ほっておけば、何も始まらず、何も終わらず。果ては何かが起こって、後始末という新たな用事が増えるだけ。

「一人で頑張らない」ためのことは、介護保険を使って、デイに行ったり、ショートに行ったりして、みんなもうやっているのだと思う。

薬拒否されたら今日はやめ
歯磨きしないのなら今日はナシ
着替え拒否されたら今夜は服のまま寝る

こんなことは日常茶飯事でやってるし。
やっぱり、やらないわけにはいかないことが残されて、それをやってるだけなんだよ

誰も、排泄で汚れた家に住みたくない。
だから、処理する、掃除する。当たり前。それを手抜きして、どうする?

一度言ってみたいものだ…「手抜きしなさい」と言う人に向かって

「じゃ、明日、私、手抜きするので、母の世話しに来てください」って


「Fの家」デビュー一週間

2009-01-10 | ●介護録(~2015.2月)

疲れているのは母でなく私かも?

デイの回数は減ったし
週の後半は飛び石だし

一応、自分の意識に折り合いをつけるために
「家事はなるべくデイのない日にまとめてやり
デイの日は出かけたり、まったりする」
と決めてみた


だけど、例えば朝、シーツが濡れていたら
デイあろうがなかろうが洗濯日になってしまうんだけど

私の場合、飛び石のデイがとても疲れる
ペースがつかめない、曜日感覚も混乱中
今日はデイ…明日は休み…その次はデイ……ああ~~


五時までなのは嬉しいことだけど
まっ、始まったばかりだから仕方ない

……………………

食器の後片付けをしていると、大抵、母がなにやらかす

昨日は…

タッパの中のきな粉が………
半分食器棚の中にぶちまけれられ……残りのきな粉を母が手でマゼマゼしていた


私がそれを処理している間に母は
シンクの三角コーナーに大量水を入れ
(三角コーナー用水切りポリ袋をかけた状態なので水はすぐに流れない)
それを持ったまま移動……………
床に水たまり


私の体は一つしかないんだよ
手は二本しかないんだよ

つい出てくる言葉

でもって母は
「よそに行って」ときたもんだ

いいですよ、いいですよ
出ていっちゃる
一人でやれば

 ( ̄◇ ̄;) ハゥー 


恐ろしき夢

2009-01-09 | ▼ユルユル日常

幸いなことに、私には白髪がない
DNAかと思う

なのに

介護生活になってよく見る夢が
朝起きると、髪が真っ白になってる夢
夢の中ですごい恐怖感に襲われる
(そりゃ、一日で真っ白になったらコワイでしょ)


でも、まあ、染めればいいわけで
そのうち落ち着き
夢の中で、「これは夢だよ、私には白髪はないはず」
…と思い直す

この間は、その白髪がチョークの粉を吹いたみたいになっていた
しかも、さすが夢っていうか
左半分の髪をかき上げると、中がハゲ


白髪よりコワイ

この夢はいったい何を言い表しているんだろ?
介護疲れで白髪になる警告?
介護のせいで白髪になんてなりたくないという私の意思?


白髪より恐いハゲか加わって
グレードアップしてるしぃぃぃ


そのうちまた見るんだろうな~~この種の夢
今度は何が加わってるだろうか
お楽しみに


ちょっと心に染みた

2009-01-08 | ●介護録(~2015.2月)

キレイ事を言うつもりでも、感動話をしたいわけでもないけど
今日は、チョットだけしみじみと……。

………………

ビゴ母は去年くらいから
健常だったらとても恥ずかしくて言えないようなことを言うようになった

「幸せ~」とか「うれしいわ~」とか「大好き」とか
そしてよく抱きつくようにもなった


これは私に限ったことでなく、ヘルパーやデイのスタッフにも同じ

優しくしてくれたり、助けてくれた人に対して
その時感じた思いをストレートに言葉にしたり行動に出すのだろう

多分、理性のフタが緩んでいるというのか、ヘンな理屈は考えないゆえの
純粋さ…か?と思う


三が日のある日
母がなにやらシャベリまくっていた。内容はよくわからない
そのうち母が私に向かって言った

「どこにも行かないでね

「娘」と認識しているかどうかは不明

「いなくなったら寂しいから

普通に考えると、どこかに(施設に)行くのは母のほうだろうし
順番から行けば先にいなくなるのも母だろう

その夜、いつものように母をトイレから始まって、着替え、歯磨きとすませ
フロアベットに導く
毎日ここに寝ているのだけど母は毎夜
「まあ、こんなところ(素敵なところでいうニュアンスらしい)で寝ていいの
などといって大抵は嬉しそうに眠りにつく

さらにその日はどこかクリアな感じで

「いつも大変なのにいろいろありがとう」
と言った

うーーーん………判断が難しいのだけど
意識の中のずっーーーと深い深いどこかに
普段は認識されない「人に助けて貰ってる、やってもらってる」という感覚が
ひっそりと存在していて、この日はたまたま言葉になって出たのだろうか

こういう瞬間と出逢うとやっばり出来るだけ在宅したいと感じてしまう
認知症の進行はやっかいだけど
自我がしっかりしている間はけして出ない言動
そしてもっと進行したら………言葉は全て奪われてしまうのだろう

………………

母の言葉を聞きたい

「おかえり」とか…
「何、食べる?」とか…

なんでもない当たり前の言葉を
もう二度と聞けないありふれた言葉を

by vigo





されど30分

2009-01-06 | ●介護録(~2015.2月)

四時半で帰ってきた以前のデイ
四時半とはいえ、時には四時15分くらいに戻ることもあるので

3時過ぎると
「あっ、もう一時間だ」という気分になって

四時なると
「今日は終わり」と思った


「Fの家」は五時まで
月曜日は五時15分。火木土は五時10分が帰宅予定

たった30分なのに
人間は不思議なもので

3時になっても焦らない
四時なっても余裕
四時半になってもまだなにか出来る気分


…今のところ、時間通りの帰宅だから「五時になったら帰ってくる」と安心してる

そのうち、これに慣れて
「五時なんてアッという間」って思うようになるんだろうね

……………………

昨日
ビゴはビゴ母に

「えさ、食べたの?」
と、言われました


プリンセス★プリンセス?!

2009-01-06 | ●介護録(~2015.2月)

お姫様(?)が増えました


wilma母様です


並べてみましょう



wilma母様は、胸元で上手に結んでますね~
うちはフィット式ゆえか、着物みたいにこんな感じです↓

バスタオルやスカーフをかぶりお姫様ごっこをした幼い頃
記憶はないけど、写真が残ってる


女の子には、タラタラした裾の長いドレスを着たいという願望があるものだし
お姫様の絵は大抵みんな画いてるはず

そんなものが
認知症になった母たち意識の中にあるのかしら?
それとも単に寒かった?


お姫様願望かい?!

2009-01-04 | ●介護録(~2015.2月)

正月明け、母のシーツを替えた
年末にやるはずのをさぼったもんで

そしたら母がやって来て
その辺に放り出していた洗うはずのシーツを洋服のように着始めた


フイット型のシーツはなんだか着物みたいで
人の体にもフィットするらしい


このようになりました

お姫様願望か?と思ったけど

裾を引きずって歩く後ろ姿は
お姫様というより幽霊

デジカメを持ってきて写し出したら
写真嫌いの母だったのに
「撮って光線」全開だった

 


楽だったような疲れたような…

2009-01-02 | ●介護録(~2015.2月)
明けましておめでとうございます。今年もよろしく。

ビゴ母、かなり昼寝をしていた大晦日、そしてお正月。そういう意味では大変楽でした。
だけど、2008年の年末年始…こんなに排泄のことで大変だった記憶がありません。
紙Pにはなっていたけど、多分、日中はトイレにシャキシャキといっていたのでしょう。
しかし2009年は、トイレ誘導ままならず。
声を掛けてもなかなか行けず、やっと行っても母のその気がなければガンとしてズボンを降ろさせてくれず、便座に座らず……。
結局は流れのままに……横漏れ……。
ベンベン処理は大晦日にドヒャーとやったので、元旦は平穏でしたが、洗濯は回避出来ず。

なんだか排泄を考えるだけで疲れました。

30日が「うららか」の最終日。帰りにはスタッフ皆さんがやって来てご挨拶。気持ち的には複雑だけど、「お世話になりました」と頭を下げる…イエ、ホントにお世話になったのは間違いなく、2004年の夏からずっと、感謝することは山のようにあるんですから。
私とスタッフが挨拶していると、ヒゴ母も同じように丁寧な挨拶。
完璧。
ビゴ母の楽な所は、「どうして最後なの?」なんて質問をしないところ。
思いっきり最後の挨拶をしても、スタッフが帰り、玄関を上がってしまえば、スッカリ何もなかったよう。

明日は大晦日だよ…と言うと「何するの?」と行った母。
大晦日に「明日はお正月だよ」と言うと「早いわね」と返事していたけど、話が通じるのは3回に1回くらい。

人形にくりきんとんをたべさせようとした母に
「人形だから食べれないよ」と言っても、「あら、そう」とアッサリしている。
生きているように接していても「人形」といって混乱することもなく……
「人形だからこのまま?」なんて口にする
そして
「学校、入れないしょ?!」と心配?
「まだ小さいから入らなくていいのよ」というと
「永遠にこのまま?」

……ハイ、永遠にこのままです。

元旦、久しぶりにジャンバースカートなど着てみたら母が
「あら、素敵なワンピースね」と褒めた。

……これ、母が縫ったジャンバースカート……自画自賛?!

「あの子、お名前なんていうの?」と母が何度も私に聞いた。あの子というのは人形のこと。
「付けてあげたら」と言ったら、なにやら思い悩んでいたので
「ビゴ母(母の名前を言って)二号はどう?」と言ったら………

………ツボだったのか、とても受けた。