介護とはまったく何も関係ないのだけど、病院通いなどしているせいか、父の臨終のことを思い出したので、ちょっと書きます。
なくなったその日の偶然?必然?…ちょっと不思議だなーと思うこと(別に霊的な話ではありません)
父の入院は七月。亡くなったのは年明け一月八日。年越しはムリと言われていたけど乗り越え(大した生命力だと医師も驚いた)年越しした。
いつ逝ってもおかしくないとはいえ、医師から「危ない」とか「危篤」とか言われてもいない時期、モルヒネの強い作用で寝ていても常に体が動いているのでベットから落ちる心配があり「明日から夜もずっとついてほしい」と看護師から言われたその日の夜に父は亡くなった。
面会は8時までだが、とりあえずこの日は母が泊まる前提なので、裏口のカギの開け閉めを中からやれるからと、私は面会時間を過ぎても病院に残っていた。いつもは8時で母も私も帰る。こんな形になったのはこの日が初めて。
そして、10時を過ぎた頃、あんなに激しく動いていた父の動きが止まった。
私と母は父を見守りながらもオシャベリをしていたので、「アレ、なんか静かになったよ」…こんな感じである。ただ眠ったかのように静かになった。
人が死ぬ時って、あっけないものだ。
死期が近づいてからは、モルヒネ効果でまともな話をしないままサヨナラした。
父は、母と私が揃っている時間帯に(しかもいつもなら家に帰っている時間)しかも24時間のつきそいをしないですむように配慮したかのように亡くなった。
後で主治医が言った。
その日の五時の回診で「なにか不都合はないか」と言ったら「ないです。ありがとうございます」と答えたので「もしや…」と思ったのだと。
それは医師の経験からくるものだろう。死に逝く人は何かを悟ったようにそれらしい言動をするらしい。
父が意識的に「今日死ぬ」と思ったとは考えにくいけど、何か力が働いて「ありがとう」の言葉を言わせ、私と母とを10時過ぎまで病室に居させた…と、そんな気がしてならない。
私には霊感なんてないので霊的現象はない。
ただ、お通夜、本堂で親せきみんなで飲み食いしていた夜中、ろうそくの煙が一度だけ、妙な形に流れて天井へ消えた。
きっと空調の関係か何かだろうけど、その不思議な煙の流れに全員が「今、あの世にいったんじゃないか」なんて思ったのだった。
なくなったその日の偶然?必然?…ちょっと不思議だなーと思うこと(別に霊的な話ではありません)
父の入院は七月。亡くなったのは年明け一月八日。年越しはムリと言われていたけど乗り越え(大した生命力だと医師も驚いた)年越しした。
いつ逝ってもおかしくないとはいえ、医師から「危ない」とか「危篤」とか言われてもいない時期、モルヒネの強い作用で寝ていても常に体が動いているのでベットから落ちる心配があり「明日から夜もずっとついてほしい」と看護師から言われたその日の夜に父は亡くなった。
面会は8時までだが、とりあえずこの日は母が泊まる前提なので、裏口のカギの開け閉めを中からやれるからと、私は面会時間を過ぎても病院に残っていた。いつもは8時で母も私も帰る。こんな形になったのはこの日が初めて。
そして、10時を過ぎた頃、あんなに激しく動いていた父の動きが止まった。
私と母は父を見守りながらもオシャベリをしていたので、「アレ、なんか静かになったよ」…こんな感じである。ただ眠ったかのように静かになった。
人が死ぬ時って、あっけないものだ。
死期が近づいてからは、モルヒネ効果でまともな話をしないままサヨナラした。
父は、母と私が揃っている時間帯に(しかもいつもなら家に帰っている時間)しかも24時間のつきそいをしないですむように配慮したかのように亡くなった。
後で主治医が言った。
その日の五時の回診で「なにか不都合はないか」と言ったら「ないです。ありがとうございます」と答えたので「もしや…」と思ったのだと。
それは医師の経験からくるものだろう。死に逝く人は何かを悟ったようにそれらしい言動をするらしい。
父が意識的に「今日死ぬ」と思ったとは考えにくいけど、何か力が働いて「ありがとう」の言葉を言わせ、私と母とを10時過ぎまで病室に居させた…と、そんな気がしてならない。
私には霊感なんてないので霊的現象はない。
ただ、お通夜、本堂で親せきみんなで飲み食いしていた夜中、ろうそくの煙が一度だけ、妙な形に流れて天井へ消えた。
きっと空調の関係か何かだろうけど、その不思議な煙の流れに全員が「今、あの世にいったんじゃないか」なんて思ったのだった。
私も霊的のものは全く信じてはいないけれど、
一途に念ずる心が、
何かを動かすということあるんだろうと思います。
遺していく2人のことを想うお父さんの気持ちを、こうして、しっかり娘は受け取ってる!
医者の感というか、長年のそういうもの、なるほど・・って思ったわ。
お父様も安心して旅立ったと思います。
何でも偶然ではなく必然だと言いますね。私も今年
9月29日母が亡くなりました。姉が夜中に線香に火を
点けようとした時、首の辺り冷たい風がすーと通り
過ぎたと言ってました。見えないけど肉体は無くても
魂はいると思いましたね。お父様は家族の事、いつまでも見守ってくれますよ。大事に供養してあげて
ください。
私の父は1月26日でした。
同じ癌だという事も似ていますね。
でも、父が亡くなった時は突然で、その予感は感じませんでした。
父は病院が嫌だと言って、家で訪問看護を受けてたんですが、その看護師さんが点滴をしてる時に亡くなったんですよ。
最後の言葉とか、何にも無くてあっけなかったです。
その後も霊的なものを感じた事が無いんですよね。
私、相当鈍いのかな~~
一途に念ずる心が、
何かを動かすということあるんだろうと思います
そう、なんとなーーく、何かの力が働くのかな~という感じはあります。
ただの偶然かもれしないけど、それにしてはタイミングがよすぎるから、やっぱり何かあるのかな?とそんなふうに思ってしまう。
身近な人がなくなったら、もっと何か霊的なコトが起きるかなーって思ってたけど、特にないので、あの世なんて信じないワとおもっていたけれど……オーラ泉を見ていると、そうでもないようで……ウーン。
お医者さんは、やっぱり、何か感じてる。あるんでしょうね、そういうことがイロイロ。
うちの父って無口だし愛想ないから、普段なら多分「はい」とか返事しかないと思うんで、やっぱり不思議なんですよ。
9月というと、まだに二ヶ月くらいですね。まだまだ落ち着かない感覚かと思います。
父が亡くなる前に、経験者から、何事もない感覚になるまで3年かかると言われたのですが、やはりその通りでした。
いつまでもメソメソメしているということではないけど、
旅行だとか、宴会だとか、そういうところに自分から行きたいという気が起きませんでした。
ほんとに、偶然なのか死に目に会えたわけですが、あまりに静かだったから、亡くなった瞬間がいつなのかは分からないままです。
お姉さんが感じたことも、やはり何かあるのかなーと…。
人の思いがそう感じさせるのか、それともホントに何かあるのか…知りたいですね。
私、その時が近くなったら先生が「そろそろです」なんて言って、「この数日が山です」みたいなことになり、「意識不明」とか「危篤」といわれて最期になるだろうって想像していたの。
だから、まったく予想外の時に亡くなった。
だからホントにあっさりと逝った感覚。その辺も似てますね。
訪問看護を受けていたんですね。
出来たら、私も父にそんなふうにしてほしかったな。父は治ると思ってたから、手術した病院から家の近くに転院した時(タクシーで。私は乗ってなかった)母が一度家に寄ってから病院へ行こうって言ったらしいけど、父はまっすぐ行くって。
母は帰れないかもしれないから…と思ったわけだけど、あまり強く言うとヘンだし…。
>その後も霊的なものを感じた事が無いんですよね
私のも霊的とは言い難い種類のものです。
以後、数年、なんにもありません。納骨堂にも長らく行かなかったけど特に何事もなく、お参りに行ったからといってヨイことがあるでもなく……。
たまたま偶然とはいえその場に居合わせたなんて不思議ですね。 お父さんが守ってくれてるでしょうね。
人が死ぬとか、そういう科学の領域をこえた部分では、偶然だったかもしれないけど何かの力か?なんて思ってみたり、人が勝手に思いこんでる部分があると思うけど、それでも、不思議だなってとはありますね。
霊的というより、不思議な巡り合わせだなーっていうのが。
もっと簡単なことでいえば、偶然に取り合いと会うっていうのも、ある意味とても運命的な偶然だったりするし。
やっばり、何かあるのかなー???