「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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心の悲鳴

2007-08-30 | ●介護録(~2015.2月)
もうどうでもいいや~どうなってもいいや~
とか
なんで私はこんなことしてるんだろ?こんな惨めな気持ちはもう抱えきれない
とか

ふと、浮かんだ瞬間、終わりにしたい~なんて心が悲鳴を上げる

もしも、そんなことをしてしまったら、周りは言うよね
「こうなる前にSOSを発信してほしかった」って。

外から見てるとそれは簡単なことに思える。一言SOSを発すれば、よほど運が悪くない限り、助けは得られるはず(窓口が真摯に対応してくれれば)

それが出来ないまま不幸な結末を迎えるのは…

きっと、思考が停止してしまうんだよ。
ポジティブな考えなんて浮かばないんだよ。

SOSを発しなさい…というけれど、発する事が出来る人はまだ健康なんだ。
そんな力さえもなくなってしまうことがあるんじゃないか…と、そう思う。

だから疲れ切ってしまう前に…というものの、その瞬間は、ある時、糸が切れるように、突然やってくるかもしれない。

母を捜して歩いたあの日、私は何を考えながら歩いていたんだろ?
…時々、涙が出た。なんで私はこんな思いをしなくっちやならないの?って気持ちが湧いてくる。(そんなときだけ、死んだジジババとビゴパパに「助けて…」と祈る)

以前、介護者の一人から「あなたがまだ若くて(その人よりは10以上は若かった)一人っ子で、大変な思いをしているのは、まだ修行が足りないからよ」と言われた。
この言葉はいつも私の頭の中を周り「私ってそんなに修行が足りないんだろうか?前世でどんな悪いことしたんだろ」なんて思うようになってしまった。

と、同時に、「修行」なんて言葉でくくられて「受入れよ」と言われても冗談じゃない!ただ、ちよっと年上で介護歴が上ってだけで、なんで人を見下ろすの?…と腹も立ち……。

介護経験を重ねても、私はこんな人にはなりたくない!
……アレ、なんか記事内容の主旨が変わってしまった……まっいいか。