アルジェリアの天然ガス採掘基地への襲撃事件に、作戦終了の発表の後も、時間の経過と共に、悲惨な結果が明らかになって来る。
驚愕と、いら立ちと、そして、喪失感と虚無感とに苛まれる。
歴史的に遡って、オッサマ・ベン・ラーデンのアメリカ当局との関わりから、「アル・カイーダ」をC.I.Aの隠れ組織として言い募り、9.11も含めてアル・カイーダがらみの事件を全て「ユダヤ系国際金融機関」とアメリカが引き起こしたと、解説する向きも有る。
ユダ金と呼ぶ「世界の支配者」と、それと表裏一体を為すアメリカ政府との、最終的世界支配の巧妙に仕組まれた戦略で、そこに「石油支配権」を巡っての、地元民族権力との死闘が、中東から北アフリカ、更には「マリ」に象徴される西アフリカへと、舞台が移されて来た結果である、と解説すると、読んだ方はそんな気にもなろうと言うものかもしれない。
ありそうな事だと言えば、多いにありそうでは有る。
全くの因果関係は無いとは、言えないのだろう。
あらゆる産業と金融システムとを、がんじがらめに絡め取る搾取システムの頂点に、一握りのユダヤ人が存在している事は、厳然たる事実である。
今回の事件の当の襲撃犯たち自身は、そんな事はつゆ知らないかもしれず、複雑に絡み合って、何段階をも経る利害の達成経過の様々な玉突きゲームの様な伝達経路の最終的頂点には、彼等の意思が作用しているかもしれない。
しかし、その世界支配システムの歯車の回転の一つの動きとして、今回の事件を総括する気にはなれない。
フランス語で、「ミクロ・クリマ」という言葉がある。
直訳すると「微気候」である。
有る特定の地域の、四季折々の平均的気候分布の中にあって、地形の起伏による日照の差や、木立の高さの違い等にまで踏み込んでの植物層の違い、そして小川や池等による湿度の影響、土壌の地質学的構成差、風の通り道や霧の発生し易い窪み、その他様々な要因によるその土地の「平均的気候」に捕われない、極小単位ごとの地形的気候の特質を表す。
特に、ワイン生産の葡萄畑で、この言葉が多用される。
ボルドー地方や、ブルゴーニュ地区、という限定的地区の、同じ品種の葡萄を育てていても、出来上がるワインの畑ごとに微妙に異なる特性の、根拠として語られる。
あの斜面の畑の中で、あの一角だけ微妙に窪んでいて、春先の一時期そこだけ毎朝霧がかかる…。
あの畑の、あそこの部分だけ何時も途切れる事無く風が当たっている…。
このような事は、何も葡萄畑に限った事では無いであろう。
人間社会にも、当てはまる筈だ。
そして、エアコンの完備した広い家に住み、電化製品に囲まれて、車で移動する「アメリカ型生活」を、理想としていた時代はとっくに終わっている事だし。
何しろ、当のアメリカの社会自体が既に崩壊してしまっているのだから。
社会格差は絶望的な迄に広がって、貧困層は膨大な数に上り、医療保険その他市民の人生を支える制度は存在しないも同然の社会に成り果てている。
盲腸の手術費用250万円が払えなくて入院せず、そのまま亡くなる人の数は毎年数十万人単位に登る程だそうだ。
スタートラインが全く違うにも拘らず、競争が「フェアープレイ」であり、その競争に勝ち抜けば、他人より豊かな人間らしい生活が手に入る。
最初から勝てない戦いに勝利出来なかった人々は、「食料キップ」の配給でやっと食いつなぐ有様。
それでも、人々は銃を持ち、自らの家族と生活とは自らが守る、と思い込んでいる人々の群れ。
方や、世界の富を99%飲み込む1%の「支配者」達の周辺にたかって、おこぼれに預かって「豊かな生活」を享受している人々も居る。
どちらの陣営に置かれていようと、それでもアメリカは「腐っても鯛」なのだ。
上下水道完備など夢の世界で、日干し煉瓦の掘建て小屋同然の家に住み、生計を立てる仕事も確保できないその日暮らしで、飲み水の確保は幼い子供が1時間かけて泥水の水場に汲みに行く。
そのような環境に暮らす人々は、地球上の隅々に数えきれない程生存している。
そして、そのような環境に生まれて育っている人々にも、最初の頃は夢も蟻希望も有るはずだ。
幼い時代に、お父さんが大好きなタバコを毎日かってあげたい、と思う様なささやかな夢であっても、それはかけがえの無い夢であり、家族の愛情の発露である。
あるいは、メッシやロナウドの様なフットボール選手になって、皆に拍手喝采されて、フェラーリを買うんだと言う様な夢。
しかし、もの心付く頃になると、そんな物はどこかに消えてしまい、毎日親に言われて僅かなものを売り歩いて小銭を稼いだり、やせこけた畑を耕したり、末の兄弟を背負って水を運んだりで人生は過ぎて行くのだと言う事に、気がつく。
そして、そんな環境でもテレビは有る。
そこに、彼等はふんだんに登場する消費材の洪水に触れるのだ。
ドラマや映画で、外の世界の人間の暮らしに触れるのだ。
カザフスタンの寒村であろうが、アフリカの熱帯雨林のジャングルの奥地の集落であろうが、最近はインターネット・カフェが登場している。
彼等も、パソコンに触れる機会もあり、ネットで世界中の出来事にリアルタイムで触れ、世界中の人々と通信出来るのだ。
アメリカを筆頭とする西欧社会が、如何に病んでいようと、矛盾だらけであろうと、どれほど貧しい人々が大勢居ようと、やはりそれは彼等に取って夢の世界に思えるのだ。
そして。
自分の周りを見回して、何を感じるだろうか。
思春期になると、自我に目覚め、先祖の血脈に目覚め、民族の感情に目覚める。
自分の生きている周囲の社会を管理している「国家」は、腐敗していたり、旧宗主国に無力な傀儡政権だったり。
そして、本来自分達のものである各種資源や産物が、少しも自分達を潤していない事に気がつき始める。
その過程で、当然の様に「搾取する」西欧への嫌悪が生まれて来るのだ。
そして、その様な過酷な環境の地域になればなるほど、住民の心には信仰が血となり肉となって身に付いている。
神を恐れ、神の意思に従う事が、自然の行動様式となっている。
そして生活環境が過酷な程、そこには「イスラム」の教えが浸透して行く。
『コーラン』は、文庫本程の大きさの、多寡だか百ページ程のとてもシンプルな人間としての生きる基本しか書かれていない。
神を恐れよ。
日に5回、神に祈れ。
年長者を敬え。
快楽に溺れて、醜態を晒すな。
持てるものは、持たざるものに施せ。
弱いものを庇護せよ。
それらは、ムハンマドが語った事として記されている。
「酒に溺れるな」
それを、原理主義者達は「飲酒禁止」と解釈し、快楽を望むもの達は「酔っぱらわなければ飲んでも良い」と解釈する。
「弱者をいたわれ」
それを、原理主義者達は「女は庇護されるもので自由意志で生きてはならない」と解釈し、解放主義者達は「女性も男の同じ権利をもつ」と解釈する。
イスラムは、カトリックの様な資格としての聖職者は居ない。
マドラッセ(神学校)で徹底的にコーランとその「解釈法」を学び、自分で「指導者だ」と宣言するに至れば(その学識を周囲が感覚的に認めれば)それが「イマム」や「アヤトラー」という宗教指導者と呼ばれ、尊敬され、人々を導く。
従って、どのような価値観のイマムに教えを受けたかで、夫々のイスラム教徒の姿勢が決まって来る。
中には、西欧文明に対して敵対的攻撃的なイマムも居るのだ。
そして更にこの時代には、石油や天然ガス、その他の資源の確保が全地球的に最優先課題となった。
旧東西対立が消滅した現在、世界の対立軸は「西欧型経済」と「第三世界経済」の対立であり、そこには「資源を保有する国」と「資源を必要とする国」の対立であり、「キリスト教世界」と「イスラム教世界」対立である。
それはそのまま、世界の中での「強者」と「弱者」との対立に重なっている。
そして、弱者に分類されている部分が、泣き寝入りに甘んじる事無く、「第三世界」の「資源を持って奪取されて」いる「イスラム世界」という構図が、西欧世界の前に立ちふさがって来たのだ。
勿論、強大な軍事力や豊富な人材や潤沢な資金の無い、追い込まれた部分が過激に行動する様に追い込まれて行く。
そこに、反欧米のイデオロギーを持ち、旧東側や、新興の中国や、親米ながら石油資源で巨万の利益を独占して来た中東の支配者達の一部が、或はそれこそ本家本元のアメリカまでもが、密かに資金と武器弾薬を与えて活動させる組織を作って行くのだ。
アフガニスタンも。
パキスタンも。
イランも。
ソマリアも。
全部条件も違えば、住民の利害も意識も違う。
マリでも。
そして、彼等の内なる方にも「穏健派」と「過激派」が存在し、大局的に対処しようとする勢力と、局地的に突出したがる勢力とがある。
国境をまたいで多くの国々に分布している部族も居れば、一つの国の中に数多くの違う部族も存在する。
夫々が求める方向は、全て異なっている。
それらの有る部分をロシアが援助して居れば、別の部分はアメリカが、更に又別の部分には中国が。
そのような『ミクロ・クリマ』の錯綜する地域紛争の究極の帰納点は、反米である。
『マリ共和国』
広さは、フランスの約二倍、従って日本の三倍もの宏大な国である。
西から時計回りに、ギニア、モーリタニア、アルジェリア、ニジェール、ブルキナ・ファソ、コート・ジヴォアールに囲まれて居る。
国土南側の1/3弱はサバンナで、雨期もあるし草も木も生える。
首都バマコもその地方にあり、ネグロイド(黒人種)族が住み、国民の大多数を形成し、GDPの殆どを産み出している。
キリスト教である。
北側2/3強の国土は、サハラとサバンナの境界線に伸びる「サヘル」という土地で、うっすらと草木が貧弱に繁る赤土と砂の混成土壌で、やせこけた牛を飼い、極めて実りの少ない農業で生きている。
住む人々は今「トウアレグ族」と呼ばれるリビアからアルジェリアニジェールにまたがって分散する遊牧民である。
当然イスラム教徒。
非常に貧しいが、そこには小規模ながら天然ガス田がある。
更に彼等にとって重要なのは、ウラン鉱山がある事なのだ。
この資源を巡って、南の中央政府と北のトウアレグ人達との綱引きが続き、北は独立を主張し始めていた。
この地のトウアレグ族マリ人達は、食い扶持を求めてリビアに出稼ぎに流れ、カダフィー大佐の軍に編成されていた。
そのマリの地に「カダフィー一族」は財産を隠匿していたのである。
カダフィーが倒れ、残党が武器弾薬を持って、アルジェリア、ニジェールを踏破してマリ逃れて来たのが、昨年の春の事であった。
その地から来たトウアレグ族マリ人も、里帰りして来た。
武器弾薬を手みやげに。
そこで、北の独立運動に具体性が加わり、実質的に北部マリは「イスラム教トウアレグ族」の武力支配下に納まってしまった。
中央政府としては、国土の大半を失う訳にも行かないし、天然資源も失う訳にはいかない。
しかし、整備されていない「マリ共和国軍」の抵抗力は、戦闘訓練を受けているリビア帰りのイスラム勢力に、抵抗出来ない体たらくであった。
当然、頼みはフランスしかない。
旧宗主国フランスは、マリにとって、物質的にも精神的にも援助者なのだから。
これを、フランスの搾取システムの効果、と言う解説も見かける。
そうかも知れない。
実際その通りなのだろう。
しかし現実としてフランスの存在は、実際に彼等の感覚により密着しているのだ。
ガスとウラン鉱脈との利権を失いたくない事も当然の理由であるにせよ、フランスは中央政府に助けを求められて、出て行かない筈は無かった。
そして、いつの世も、何処の世界にも「不満分子」は居る。
日本人は、お上に不満があっても、それをぶつけない。
常に、大樹の陰に寄る事を好み、諦めの美学に堕してきた。
日本人以外の民族は、特に第三世界になるにつれて、不満を抱く国民は直接に権力にぶつかって行く。
組織化されていない不満分子が、やがて徒党を組む様になり、勝手に『アル・カイーダ』を名乗る。
相前後して、資金と手段とを持つ本家のリクルート班にオルグされ、中東のどこかで軍事訓練を受ける連中も出て来る。
そのような連中がリーダーとなって、その地方の「武装勢力」が形成され、その内、自らの活動を誇示する様になって行く…。
そうやって形成されて行った「マグレブ・イスラム・アル・カイーダ」を、個人的金権体質による勝手な行動により追い出されていた、タバコ密輸でならしたベルモフタールなる人物が、『イスラム聖戦士血盟旅団』を名乗っておこなったのが、今回のアルジェリアはイン・ナメナス近くのガス開発基地襲撃事件であった。
実際の手はずは、カナダ人が取り仕切った様だが、この男もカナダ移民のこの辺りの血を引く人物の様である。
金髪のカナダ人も居るらしいが。
彼等は、日本人に特に手荒かった。
解っているだけで8カ国の国籍にまたがる外国人被害者の中で、最も死亡者の多いのが日本人である。
最初のバス襲撃で2名が亡くなった様だ。
その後、基地内の宿舎棟の「日本人宿舎」の部屋へ真っすぐ向かって銃を発砲した、という目撃情報もある。
後は、様々な情報が錯綜しているので、まだここでは触れない。
しかし拘束された中で、欧米人より「敏捷に立ち回れなかった」様でもあるし、巡り合わせも悪かったのかもしれない。
それにしても、日本人は多くの犠牲を払った。
アルジェリアでの日本人の評判は、悪くは無い。
北部高速道路建設を請け負った、日本企業コンソーシアムの中核の「大成建設」と「鹿島コーポレーション」は、現地の労働者の地域事情を無視して、極めて評判が悪い。
しかし、西側2/3の建設を請け負った中国が完成させた部分は、鋪装も乱雑で走行の際の振動や雑音があるのに対して、技術的に難しい山岳地帯の繰り返す東側1/3を作っている日本側の、既に完成させた部分は、走行時の振動も無く鋪装が滑らかで、やはり日本の技術は確かだ、と再認識されている。
近年急速に入り込んで、山ほどの建築や橋梁や道路を作っている中国は、作業員と一緒にその他大勢の中国人が大挙して押し寄せ、ゲットーを作り工作機械を持ち込んで軽工業を起こして、アルジェリアの地場産業を潰してしまったり、立ち居振る舞いの悪さからすこぶる評判が悪い。
今回の事件で、余りに日本人が被害に遭い過ぎている事に、現地のアルジェリア人達も首を傾げている。
もしかしたら、日本人も中国人と同類に見られてしまったのか、という穿った味方すらあった。
しかし。
考えてみると、惨殺されたバック・パッカーや、無惨に銃撃された女性ジャーナリストの事を思い出すに、いまや日本人は以前のような「人畜無害」な良いヤツ、と言うイメージは亡くなっているのではなかろうか。
地域住民には好まれていても、少なくとも欧米侵略に抵抗する武装勢力の間では、日本人のイメージは、我々日本人が想像している様な物とは、乖離してしまっているのかもしれない。
何しろ、「裕福な国」と言うイメージは、未だ衰えていないのだろう。
そして、その裕福な国は、彼等を侵略して搾取使用としている「欧米侵略者」の先導役として、見られているのではあるまいか。
日本人は、欧米人でもないくせに、欧米人に混じって搾取する側に居る。。。
個人としても、国家としても、今ひとつ個性が感じられず、ひ弱で扱い易い。
そして、日本人を犠牲にすれば、欧米へのインパクトは少ないかもしれないが、欧米と立ち向かっている彼等の内側では、大きなインパクトがあるのではなかろうか。
「金はだすけど自分では何も出来ない」
「欧米の番犬」
▶安倍首相、声を荒らげ「攻撃どういうことか」(読売/見出し)
>東南アジア歴訪中の安倍は、バンコク市内のホテルで日英電話首脳会談に臨んだ。現地時間の17日午後4時(日本時間17日午後6時)。アルジェリアで武装勢力による人質事件が発生して丸1日経過していた。
>電話会談でのキャメロンの口調に、予想以上に事態が悪化していると知った安倍は、「私からも人命優先をアルジェリアに求める」と約束した。
>キャメロンの危惧は的中した。会談から数時間後、アルジェリア軍は、関係国への通告なしで武装勢力への攻撃に踏みきった。
>安倍は17日深夜(同18日未明)になって、タイから、アルジェリアのセラル首相に電話した。
>「人命優先を要請していたはずだ。攻撃するとは一体どういうことか。米英の支援を受けたらどうか」
>声を荒らげる安倍に、セラルは聞く耳を持たず、「我々が一番うまく対応できるんだ」と答えた。
【読売新聞/1月23日(水)6時23分配信】
甘いんだよ!
人命尊重は人類の共通の規範であろう。
しかし、武装組織との戦いという修羅場で、修羅場の何たるかを知りもしない日本人が何を叫ぼうと、何の重みも無い。
いまや「日本人」は、西郷さんが連れている忠犬等と違って、もっとずっとマヌケな犬に過ぎないと言う立場に、気がつき始めた人々が居る様だ。
もとより感づかれていた欧米側だけでは無く、欧米に抵抗する側にまで…。
眼を見開いて、世界を正確に見て行動しないと、このままではえらい事になりそうだ。。。
驚愕と、いら立ちと、そして、喪失感と虚無感とに苛まれる。
歴史的に遡って、オッサマ・ベン・ラーデンのアメリカ当局との関わりから、「アル・カイーダ」をC.I.Aの隠れ組織として言い募り、9.11も含めてアル・カイーダがらみの事件を全て「ユダヤ系国際金融機関」とアメリカが引き起こしたと、解説する向きも有る。
ユダ金と呼ぶ「世界の支配者」と、それと表裏一体を為すアメリカ政府との、最終的世界支配の巧妙に仕組まれた戦略で、そこに「石油支配権」を巡っての、地元民族権力との死闘が、中東から北アフリカ、更には「マリ」に象徴される西アフリカへと、舞台が移されて来た結果である、と解説すると、読んだ方はそんな気にもなろうと言うものかもしれない。
ありそうな事だと言えば、多いにありそうでは有る。
全くの因果関係は無いとは、言えないのだろう。
あらゆる産業と金融システムとを、がんじがらめに絡め取る搾取システムの頂点に、一握りのユダヤ人が存在している事は、厳然たる事実である。
今回の事件の当の襲撃犯たち自身は、そんな事はつゆ知らないかもしれず、複雑に絡み合って、何段階をも経る利害の達成経過の様々な玉突きゲームの様な伝達経路の最終的頂点には、彼等の意思が作用しているかもしれない。
しかし、その世界支配システムの歯車の回転の一つの動きとして、今回の事件を総括する気にはなれない。
フランス語で、「ミクロ・クリマ」という言葉がある。
直訳すると「微気候」である。
有る特定の地域の、四季折々の平均的気候分布の中にあって、地形の起伏による日照の差や、木立の高さの違い等にまで踏み込んでの植物層の違い、そして小川や池等による湿度の影響、土壌の地質学的構成差、風の通り道や霧の発生し易い窪み、その他様々な要因によるその土地の「平均的気候」に捕われない、極小単位ごとの地形的気候の特質を表す。
特に、ワイン生産の葡萄畑で、この言葉が多用される。
ボルドー地方や、ブルゴーニュ地区、という限定的地区の、同じ品種の葡萄を育てていても、出来上がるワインの畑ごとに微妙に異なる特性の、根拠として語られる。
あの斜面の畑の中で、あの一角だけ微妙に窪んでいて、春先の一時期そこだけ毎朝霧がかかる…。
あの畑の、あそこの部分だけ何時も途切れる事無く風が当たっている…。
このような事は、何も葡萄畑に限った事では無いであろう。
人間社会にも、当てはまる筈だ。
そして、エアコンの完備した広い家に住み、電化製品に囲まれて、車で移動する「アメリカ型生活」を、理想としていた時代はとっくに終わっている事だし。
何しろ、当のアメリカの社会自体が既に崩壊してしまっているのだから。
社会格差は絶望的な迄に広がって、貧困層は膨大な数に上り、医療保険その他市民の人生を支える制度は存在しないも同然の社会に成り果てている。
盲腸の手術費用250万円が払えなくて入院せず、そのまま亡くなる人の数は毎年数十万人単位に登る程だそうだ。
スタートラインが全く違うにも拘らず、競争が「フェアープレイ」であり、その競争に勝ち抜けば、他人より豊かな人間らしい生活が手に入る。
最初から勝てない戦いに勝利出来なかった人々は、「食料キップ」の配給でやっと食いつなぐ有様。
それでも、人々は銃を持ち、自らの家族と生活とは自らが守る、と思い込んでいる人々の群れ。
方や、世界の富を99%飲み込む1%の「支配者」達の周辺にたかって、おこぼれに預かって「豊かな生活」を享受している人々も居る。
どちらの陣営に置かれていようと、それでもアメリカは「腐っても鯛」なのだ。
上下水道完備など夢の世界で、日干し煉瓦の掘建て小屋同然の家に住み、生計を立てる仕事も確保できないその日暮らしで、飲み水の確保は幼い子供が1時間かけて泥水の水場に汲みに行く。
そのような環境に暮らす人々は、地球上の隅々に数えきれない程生存している。
そして、そのような環境に生まれて育っている人々にも、最初の頃は夢も蟻希望も有るはずだ。
幼い時代に、お父さんが大好きなタバコを毎日かってあげたい、と思う様なささやかな夢であっても、それはかけがえの無い夢であり、家族の愛情の発露である。
あるいは、メッシやロナウドの様なフットボール選手になって、皆に拍手喝采されて、フェラーリを買うんだと言う様な夢。
しかし、もの心付く頃になると、そんな物はどこかに消えてしまい、毎日親に言われて僅かなものを売り歩いて小銭を稼いだり、やせこけた畑を耕したり、末の兄弟を背負って水を運んだりで人生は過ぎて行くのだと言う事に、気がつく。
そして、そんな環境でもテレビは有る。
そこに、彼等はふんだんに登場する消費材の洪水に触れるのだ。
ドラマや映画で、外の世界の人間の暮らしに触れるのだ。
カザフスタンの寒村であろうが、アフリカの熱帯雨林のジャングルの奥地の集落であろうが、最近はインターネット・カフェが登場している。
彼等も、パソコンに触れる機会もあり、ネットで世界中の出来事にリアルタイムで触れ、世界中の人々と通信出来るのだ。
アメリカを筆頭とする西欧社会が、如何に病んでいようと、矛盾だらけであろうと、どれほど貧しい人々が大勢居ようと、やはりそれは彼等に取って夢の世界に思えるのだ。
そして。
自分の周りを見回して、何を感じるだろうか。
思春期になると、自我に目覚め、先祖の血脈に目覚め、民族の感情に目覚める。
自分の生きている周囲の社会を管理している「国家」は、腐敗していたり、旧宗主国に無力な傀儡政権だったり。
そして、本来自分達のものである各種資源や産物が、少しも自分達を潤していない事に気がつき始める。
その過程で、当然の様に「搾取する」西欧への嫌悪が生まれて来るのだ。
そして、その様な過酷な環境の地域になればなるほど、住民の心には信仰が血となり肉となって身に付いている。
神を恐れ、神の意思に従う事が、自然の行動様式となっている。
そして生活環境が過酷な程、そこには「イスラム」の教えが浸透して行く。
『コーラン』は、文庫本程の大きさの、多寡だか百ページ程のとてもシンプルな人間としての生きる基本しか書かれていない。
神を恐れよ。
日に5回、神に祈れ。
年長者を敬え。
快楽に溺れて、醜態を晒すな。
持てるものは、持たざるものに施せ。
弱いものを庇護せよ。
それらは、ムハンマドが語った事として記されている。
「酒に溺れるな」
それを、原理主義者達は「飲酒禁止」と解釈し、快楽を望むもの達は「酔っぱらわなければ飲んでも良い」と解釈する。
「弱者をいたわれ」
それを、原理主義者達は「女は庇護されるもので自由意志で生きてはならない」と解釈し、解放主義者達は「女性も男の同じ権利をもつ」と解釈する。
イスラムは、カトリックの様な資格としての聖職者は居ない。
マドラッセ(神学校)で徹底的にコーランとその「解釈法」を学び、自分で「指導者だ」と宣言するに至れば(その学識を周囲が感覚的に認めれば)それが「イマム」や「アヤトラー」という宗教指導者と呼ばれ、尊敬され、人々を導く。
従って、どのような価値観のイマムに教えを受けたかで、夫々のイスラム教徒の姿勢が決まって来る。
中には、西欧文明に対して敵対的攻撃的なイマムも居るのだ。
そして更にこの時代には、石油や天然ガス、その他の資源の確保が全地球的に最優先課題となった。
旧東西対立が消滅した現在、世界の対立軸は「西欧型経済」と「第三世界経済」の対立であり、そこには「資源を保有する国」と「資源を必要とする国」の対立であり、「キリスト教世界」と「イスラム教世界」対立である。
それはそのまま、世界の中での「強者」と「弱者」との対立に重なっている。
そして、弱者に分類されている部分が、泣き寝入りに甘んじる事無く、「第三世界」の「資源を持って奪取されて」いる「イスラム世界」という構図が、西欧世界の前に立ちふさがって来たのだ。
勿論、強大な軍事力や豊富な人材や潤沢な資金の無い、追い込まれた部分が過激に行動する様に追い込まれて行く。
そこに、反欧米のイデオロギーを持ち、旧東側や、新興の中国や、親米ながら石油資源で巨万の利益を独占して来た中東の支配者達の一部が、或はそれこそ本家本元のアメリカまでもが、密かに資金と武器弾薬を与えて活動させる組織を作って行くのだ。
アフガニスタンも。
パキスタンも。
イランも。
ソマリアも。
全部条件も違えば、住民の利害も意識も違う。
マリでも。
そして、彼等の内なる方にも「穏健派」と「過激派」が存在し、大局的に対処しようとする勢力と、局地的に突出したがる勢力とがある。
国境をまたいで多くの国々に分布している部族も居れば、一つの国の中に数多くの違う部族も存在する。
夫々が求める方向は、全て異なっている。
それらの有る部分をロシアが援助して居れば、別の部分はアメリカが、更に又別の部分には中国が。
そのような『ミクロ・クリマ』の錯綜する地域紛争の究極の帰納点は、反米である。
『マリ共和国』
広さは、フランスの約二倍、従って日本の三倍もの宏大な国である。
西から時計回りに、ギニア、モーリタニア、アルジェリア、ニジェール、ブルキナ・ファソ、コート・ジヴォアールに囲まれて居る。
国土南側の1/3弱はサバンナで、雨期もあるし草も木も生える。
首都バマコもその地方にあり、ネグロイド(黒人種)族が住み、国民の大多数を形成し、GDPの殆どを産み出している。
キリスト教である。
北側2/3強の国土は、サハラとサバンナの境界線に伸びる「サヘル」という土地で、うっすらと草木が貧弱に繁る赤土と砂の混成土壌で、やせこけた牛を飼い、極めて実りの少ない農業で生きている。
住む人々は今「トウアレグ族」と呼ばれるリビアからアルジェリアニジェールにまたがって分散する遊牧民である。
当然イスラム教徒。
非常に貧しいが、そこには小規模ながら天然ガス田がある。
更に彼等にとって重要なのは、ウラン鉱山がある事なのだ。
この資源を巡って、南の中央政府と北のトウアレグ人達との綱引きが続き、北は独立を主張し始めていた。
この地のトウアレグ族マリ人達は、食い扶持を求めてリビアに出稼ぎに流れ、カダフィー大佐の軍に編成されていた。
そのマリの地に「カダフィー一族」は財産を隠匿していたのである。
カダフィーが倒れ、残党が武器弾薬を持って、アルジェリア、ニジェールを踏破してマリ逃れて来たのが、昨年の春の事であった。
その地から来たトウアレグ族マリ人も、里帰りして来た。
武器弾薬を手みやげに。
そこで、北の独立運動に具体性が加わり、実質的に北部マリは「イスラム教トウアレグ族」の武力支配下に納まってしまった。
中央政府としては、国土の大半を失う訳にも行かないし、天然資源も失う訳にはいかない。
しかし、整備されていない「マリ共和国軍」の抵抗力は、戦闘訓練を受けているリビア帰りのイスラム勢力に、抵抗出来ない体たらくであった。
当然、頼みはフランスしかない。
旧宗主国フランスは、マリにとって、物質的にも精神的にも援助者なのだから。
これを、フランスの搾取システムの効果、と言う解説も見かける。
そうかも知れない。
実際その通りなのだろう。
しかし現実としてフランスの存在は、実際に彼等の感覚により密着しているのだ。
ガスとウラン鉱脈との利権を失いたくない事も当然の理由であるにせよ、フランスは中央政府に助けを求められて、出て行かない筈は無かった。
そして、いつの世も、何処の世界にも「不満分子」は居る。
日本人は、お上に不満があっても、それをぶつけない。
常に、大樹の陰に寄る事を好み、諦めの美学に堕してきた。
日本人以外の民族は、特に第三世界になるにつれて、不満を抱く国民は直接に権力にぶつかって行く。
組織化されていない不満分子が、やがて徒党を組む様になり、勝手に『アル・カイーダ』を名乗る。
相前後して、資金と手段とを持つ本家のリクルート班にオルグされ、中東のどこかで軍事訓練を受ける連中も出て来る。
そのような連中がリーダーとなって、その地方の「武装勢力」が形成され、その内、自らの活動を誇示する様になって行く…。
そうやって形成されて行った「マグレブ・イスラム・アル・カイーダ」を、個人的金権体質による勝手な行動により追い出されていた、タバコ密輸でならしたベルモフタールなる人物が、『イスラム聖戦士血盟旅団』を名乗っておこなったのが、今回のアルジェリアはイン・ナメナス近くのガス開発基地襲撃事件であった。
実際の手はずは、カナダ人が取り仕切った様だが、この男もカナダ移民のこの辺りの血を引く人物の様である。
金髪のカナダ人も居るらしいが。
彼等は、日本人に特に手荒かった。
解っているだけで8カ国の国籍にまたがる外国人被害者の中で、最も死亡者の多いのが日本人である。
最初のバス襲撃で2名が亡くなった様だ。
その後、基地内の宿舎棟の「日本人宿舎」の部屋へ真っすぐ向かって銃を発砲した、という目撃情報もある。
後は、様々な情報が錯綜しているので、まだここでは触れない。
しかし拘束された中で、欧米人より「敏捷に立ち回れなかった」様でもあるし、巡り合わせも悪かったのかもしれない。
それにしても、日本人は多くの犠牲を払った。
アルジェリアでの日本人の評判は、悪くは無い。
北部高速道路建設を請け負った、日本企業コンソーシアムの中核の「大成建設」と「鹿島コーポレーション」は、現地の労働者の地域事情を無視して、極めて評判が悪い。
しかし、西側2/3の建設を請け負った中国が完成させた部分は、鋪装も乱雑で走行の際の振動や雑音があるのに対して、技術的に難しい山岳地帯の繰り返す東側1/3を作っている日本側の、既に完成させた部分は、走行時の振動も無く鋪装が滑らかで、やはり日本の技術は確かだ、と再認識されている。
近年急速に入り込んで、山ほどの建築や橋梁や道路を作っている中国は、作業員と一緒にその他大勢の中国人が大挙して押し寄せ、ゲットーを作り工作機械を持ち込んで軽工業を起こして、アルジェリアの地場産業を潰してしまったり、立ち居振る舞いの悪さからすこぶる評判が悪い。
今回の事件で、余りに日本人が被害に遭い過ぎている事に、現地のアルジェリア人達も首を傾げている。
もしかしたら、日本人も中国人と同類に見られてしまったのか、という穿った味方すらあった。
しかし。
考えてみると、惨殺されたバック・パッカーや、無惨に銃撃された女性ジャーナリストの事を思い出すに、いまや日本人は以前のような「人畜無害」な良いヤツ、と言うイメージは亡くなっているのではなかろうか。
地域住民には好まれていても、少なくとも欧米侵略に抵抗する武装勢力の間では、日本人のイメージは、我々日本人が想像している様な物とは、乖離してしまっているのかもしれない。
何しろ、「裕福な国」と言うイメージは、未だ衰えていないのだろう。
そして、その裕福な国は、彼等を侵略して搾取使用としている「欧米侵略者」の先導役として、見られているのではあるまいか。
日本人は、欧米人でもないくせに、欧米人に混じって搾取する側に居る。。。
個人としても、国家としても、今ひとつ個性が感じられず、ひ弱で扱い易い。
そして、日本人を犠牲にすれば、欧米へのインパクトは少ないかもしれないが、欧米と立ち向かっている彼等の内側では、大きなインパクトがあるのではなかろうか。
「金はだすけど自分では何も出来ない」
「欧米の番犬」
▶安倍首相、声を荒らげ「攻撃どういうことか」(読売/見出し)
>東南アジア歴訪中の安倍は、バンコク市内のホテルで日英電話首脳会談に臨んだ。現地時間の17日午後4時(日本時間17日午後6時)。アルジェリアで武装勢力による人質事件が発生して丸1日経過していた。
>電話会談でのキャメロンの口調に、予想以上に事態が悪化していると知った安倍は、「私からも人命優先をアルジェリアに求める」と約束した。
>キャメロンの危惧は的中した。会談から数時間後、アルジェリア軍は、関係国への通告なしで武装勢力への攻撃に踏みきった。
>安倍は17日深夜(同18日未明)になって、タイから、アルジェリアのセラル首相に電話した。
>「人命優先を要請していたはずだ。攻撃するとは一体どういうことか。米英の支援を受けたらどうか」
>声を荒らげる安倍に、セラルは聞く耳を持たず、「我々が一番うまく対応できるんだ」と答えた。
【読売新聞/1月23日(水)6時23分配信】
甘いんだよ!
人命尊重は人類の共通の規範であろう。
しかし、武装組織との戦いという修羅場で、修羅場の何たるかを知りもしない日本人が何を叫ぼうと、何の重みも無い。
いまや「日本人」は、西郷さんが連れている忠犬等と違って、もっとずっとマヌケな犬に過ぎないと言う立場に、気がつき始めた人々が居る様だ。
もとより感づかれていた欧米側だけでは無く、欧米に抵抗する側にまで…。
眼を見開いて、世界を正確に見て行動しないと、このままではえらい事になりそうだ。。。
私の勉強不足も大きいと思いますが、日本のメディアでは知ることのない情報や意見を知ることができました。
井の中の蛙のため想像出来ず、共感できない部分も多いです。しかし、少しずつでもこういった現実を知り自分の認識を変え広げて行きたいと思いました。
1匹の蛙が少しでも井戸の外を知るためにこれからも拝見させていただきます。
寒い日が続きますが、どうぞご自愛くださいませ
「ミクロ・クリマ」ですか。
アルジェといえば、カフカ、それと何だったけー、
マリーといえば、カンカンムーサ・・、う-ん、とそれに、という大昔学習した程度の知識しかない身ですが、リッチな日本で暮らす身には肌感覚で捉えることはとても難しいですね。
B層貧民の身には年年、日本が厳しくなっている感覚だけはわかります。
人間の行動(それが政治的であれ、そのほかのカテゴリーに分類されるものであれ、また単独でなされる行動であれ、集団でなされる行動であれ)を、一見、非常にわかりやすい「言葉」で括ってしまうことには、極度に警戒感を持っている者には、よく理解できました。しかし、一見、多くの関わりのない無実の人(ここが一番のポイントなのでしょうが)が殺されることに、共感するということは難しいことかもしれません。
殴った方は殴ったことをすぐ忘れてしまいがちですが、殴られた方は殴られたことを決して忘れない。イスラムはこのあたりのことをどう克服すべきと、いっているのでしょうか。ひとまず、道徳と経済との絡み合いは脇に置いておくとして。 ともかく、勉強になりました。
我が同朋の死には言葉がなかった。あの アベシ は「亡くなった方々」を「企業戦士」だって。彼にとって自分に支配されている人々はみな「兵士」なのでしょうか。
合掌
この事件が起きた時にね、真っ先にパリさんのことを思いました。
アルジェリアを愛しているだろうパリさんはどう書くのだろうか?悲劇にあったたくさんの人命とともに、事件の起きたアルジェリアに対しても悲しんでいることだろう・・・と。
日本ではね、アベ政府は出来ることはやった。仕方なかった・・・というような報道で、マスコミの検証はこの問題を早く切り上げたい政府を擁護する報道でいっぱいです。
日本国内でのんびりと暮らす私にとっては、いつもながら感心させられる記事です。
海外での日本人に対する評価はもはや神話でしょうか。まだまだ良い物も残っているが、現地人が眉をしかめるところもあるのだと。その一番の理由が「アメリカやその同盟国」のつかいっぱしりで、先進国の理屈だけを押し通す今の日本の風潮は悲しい。
力関係といえばそれだけだけれども、タイの洪水ではト○タ工場が被害を受けないようにと水門の開閉を操作して洪水を蛇行させ多くのタイの人々が怒っている・・・勿論、他の多くの日系工場も大被害をうけたのでが・・・。
こういった話は直接は語られないが地元の人々の心には刻まれる。自分だけの都合じゃねぇ。
アジアで親日国のタイでさえこうなんだもの。
他国に出てきて好き勝手やって偉そうにしている日本も、アメリカの前じゃ何一つ抵抗できないことを、最近は中国の前でも似たような国であることを、ましてや隣国韓国ともうまく付き合えない日本という国の足元を見透かされているような。
「私たちの国は貧しいが宗主国から独立した。日本は富む国かもしれないがアメリカの奴隷だ」
こういった蔑みは少なからずあるのでしょうか?
>いまや「日本人」は、西郷さんが連れている忠犬等と違って、もっとずっとマヌケな犬に過ぎないと言う立場に、気がつき始めた人々が居る様だ。
もとより感づかれていた欧米側だけでは無く、欧米に抵抗する側にまで…。
眼を見開いて、世界を正確に見て行動しないと、このままでは偉い事になりそうだ。。。
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この教訓を果たして学んでいるのか?
国内の論評はあまりに無頓着で気が滅入ります。
http://gendai.net/articles/view/syakai/140561
税金ドロボー大使の年収は3000万円!
死亡が確認された7人のうち1人、
日揮の社員の伊藤文博さん(59)は宮城県南三陸町出身、
<母親“いちばん頼りにしている息子だった”>
宮城県南三陸町に住んでいた母親のフクコさん(82)は、
自宅を津波で流され、仮設住宅で独りで暮らしています。
フクコさんは、まもなく60歳になる文博さんが、
来月、還暦の集まりに出席するために地元に戻るという連絡を受け、
文博さんに会うのを心待ちにしていたということです。
今月11日には、出張でアルジェリアに出発すると
文博さんから電話がかかってきたということで、
これが最後の会話になりました。
フクコさんは「こんなことがあるなんて思わなかった。
今は泣くだけで何もできず、ご飯ものどを通らない。
私の方がダメになりそう」と時折、涙ぐみながら答えました。
文博さんの人柄については、
「電話が来たときに『しっかり食べてるか?』と気遣ってくれる、
心優しい子だった。一番頼りにしている本当にいい息子だった」と
落ち込んだ様子で話していました。
自民党に危機感が感じられませんね。
公明党にも感じられえませんし中国に行っている場合ではありません。
民主党でも変わらないか。
合掌。
で、以前、ご許可をいただきましてから、パリさんの書かれたものをパリさんの言葉として自分の出来る範囲で多くの日本人に紹介させていただいています。これからも継続してゆく覚悟です。よろしくお願いいたします。あと、歌手は中森明菜さん一辺倒です。
今年で74才になりますが、頑張ります。
コメント有り難うございました。
>共感出来ない部分も…
と言うのは、読み様によっては「テロ」に心情的に理解を示している様に感じる…と言う事でしょうか。
そんな風に感じるん方もいらっしゃるだろうなあ、と思いながら書いていました。
何しろ下書きもせず、構成も推敲もなく、いきなり書いて一度後時脱字のチェックの為にざっと読み返すだけなので、書いて行くうちに、落としどころが変わって行ったり、書き切れていないうちに終わってしまったり、なのです。
背景の説明もやたら複雑で長くなりそうなので、はしょったり…。
でも、今回のこれは書かずに居られずに書きなぐりました。
今後も、どんな細かな事でも、疑問や同意出来ない事等が有りましたら、どんどんコメントして来て下さい。
大歓迎です。
宜しくお願い致します。
多くの人が殺された不条理には、私もハラワタを食いちぎりたくなる位、怒り狂っています。
>殴った方は殴ったことをすぐ忘れてしまいがちですが、殴られた方は殴られたことを決して忘れない。イスラムはこのあたりのことをどう克服すべきと、いっているのでしょうか。
その通りなのです。
ただ、イスラムの過激派が登場する迄に、彼等は長い間それこそボコボコにされて来た、その結果の精鋭下で有る事も、事実なのです。
ですから、彼等には言い分が有る。
全部がCIAに繋がっている、と言う様な事は抜きに話をして、アメリカを中心とした欧米の圧倒的経済力と軍事力を背景としての国際的影響力の前に、蟷螂の斧の如くに自爆してでも抵抗する、そこ迄追い込まれて来たのです。
一番弱い彼等の受けて来た不当な痛みをして、一番弱い部分を捕虜にしてテロを敢行する、堂々巡り。
その辺りの背景を一応理解しながらも、私自身彼等の「無慈悲」な殺戮は許せません。
しかし、日本のメディアはあまりにもオチャラケて居るので、どうしても彼等よりに見える書き方になってしまいます。
そう思って頂けて、嬉しいです。
今回の事件は、私にとっては相当堪えました。
さっそく「CIAからのつながり」の解釈論が出ています。
最終的にはそこ迄繋がっているのかもしれません。
しかし、現地の住民達の目線で捉えると、そこに異なった見え方があるのです。
私自身には、レクイエムを流して苦しみをやり過ごすしか無い様です。
コメント有り難うございました。
学ぶだなんて、お恥ずかしい限りです。
それどころか、こんな拙いブログにずっとお付き合い頂いて、感謝で一杯です。
で、どんな手段で広めて頂いているのか、ちょっと知りたいです(*^^*)
それで、中森明菜!?
この方のご様子は、テレビで拝見した様に思います。
その他の方々の事もあれこれ。
わたしは、このような出来事のあとで、被害者のご遺族やご家族の姿を画面に晒して、レポーターやアナウンサふが、一見しんみりした口調に聞こえる様に精一杯演じて紋切り型でディレククターがあらかじめ予定て居るん答えを引き出す質問を立て続けにぶつける手法に嫌悪感を通り越して、殺意すら覚えます。
国際環境の中で、文字通り何も出来ない日本政府が、ここぞと肩を怒らせて襲撃犯を糾弾し、人命尊重を軽視したアルジェリア政府に断固抗議したりする、そんな姿勢も絶えられません。