二年前の8月1日の拙ブログで、クロード・モネの『睡蓮』の壁画の大連作に就いて書いた。
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「ジヴェルニーの庭は、クロード・モネにとっての光のパレット/政治家には絶対に見えない美の世界が有るのだ」
久しぶりに、その「モネの家」を訪れた。
今年のフランスは、春を迎えても、春が過ぎ去っても、初夏を迎えても、全く天候が不順でした。
元来は、6月後半が一年で一番晴天が続く事が多く、気温も上がります。
しかし今年は、夏を迎えても気温は上がらず、小雨の降る日も多く、全く情けない有様で有りました。
元々欧州は、日本の様に「四季折々」で季節感がハッキリしている訳では無く、極端に言えば『冬』と『夏』。
春と秋はその過渡期に過ぎなく、際立って明確な感じでもないのです。
天候は、シーズンを通じで「この季節はこんな天候」と言う様な物では無く、<晴天と荒天><暑さと寒さ>が交互に訪れ、同じ様な天候が続くのはは最低一日、最長二週間で変わります。
ところが今年は、7月半ばに2日間だけ30度近くに上がった事が有っただけで、後は早春か晩秋の様な変わり易く肌寒い日々が続いてきたのです。
そして、この三日間「いきなり」盛夏が訪れた。
一昨日17日のパリの気温が32度、昨日が37度、本日が39度!
いやはや、死にそうな熱気でフラフラになってしまったのです。
幸い湿度は50%程で、蒸し暑くは無い物の、やはり40度近くにまで気温が上昇すると、熱気で炙られる如き極端な暑さは、身に堪えます。
しかし、お花にとっては、待ちに待った「陽光」だったのでしょう。
ジヴェルニーの「モネの家」の庭園は、むせ返る程の花の香りで満ち満ちて居りました。
母屋の正面
印象派を牽引した彼は、画家としてだけでは無くモネ個人に取っても、やはり「色彩」が何物にも代え難い、要素だったのでしょう。
後半の人生で手に入れた「我が家」の庭を、奥様と二人してガーデニングにせいをだし、花壇で埋め尽くしたのです。
そういえば、有る時期モネと共同歩調をとって、その後「印象主義」を捨てて独自の画風に変えて行ったルノワールも、視力の低下に悩んだ挙げ句、地中海の光を求めてニース戸外の村に移り住んで、一軒家の庭を花で飾った物でした。
上記「10年8月1日づけブログ」で簡単に触れた通り、モネは敷地を道を挟んで買い増し、日本庭園を造って更にエキゾチックな色彩を愛でたのです。
エプト川
セーヌの小さな支流『エプト川』を引き込み、塞き止めて池を作って「睡蓮」を植えました。
花の咲くシーズン、4月後半から10月初旬までしか一般公開されませんが、「ジャルダン・ナンフェア(睡蓮の庭園)」は、今日多くの人々を惹き付け、公開期間中訪問者の絶える事は有りません。
その「睡蓮の池」には、今まさに睡蓮が咲き誇って居りました。
白い花。
赤い花。
彼は、壁画を制作するにあたって、それまでの母屋の中の制作室では狭すぎるので、庭園内に大きなアトリエを建て増しました。
その、睡蓮制作用のアトリエは、現在ではお土産の売店に衣替え。
パリの「オランジュリー美術館」に展示されている壁画の複製が飾られています。
当時の写真
その複製の壁画の下に、正にこのアトリエで制作中のモネ、庭園でくつろぐモネの当時の写真が、飾られています。
在りし日のクロード・モネ
ところで、庭園の多くの花々の陰に隠れる様に、ひっそりと『なでしこ』が咲いているのを見つけました。
可憐に咲くナデシコ
内政に外交に、ハチャメチャの野田政権に吐き気を催していたおり、暑さを忘れさせてくれた「眼福」でした。
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「ジヴェルニーの庭は、クロード・モネにとっての光のパレット/政治家には絶対に見えない美の世界が有るのだ」
久しぶりに、その「モネの家」を訪れた。
今年のフランスは、春を迎えても、春が過ぎ去っても、初夏を迎えても、全く天候が不順でした。
元来は、6月後半が一年で一番晴天が続く事が多く、気温も上がります。
しかし今年は、夏を迎えても気温は上がらず、小雨の降る日も多く、全く情けない有様で有りました。
元々欧州は、日本の様に「四季折々」で季節感がハッキリしている訳では無く、極端に言えば『冬』と『夏』。
春と秋はその過渡期に過ぎなく、際立って明確な感じでもないのです。
天候は、シーズンを通じで「この季節はこんな天候」と言う様な物では無く、<晴天と荒天><暑さと寒さ>が交互に訪れ、同じ様な天候が続くのはは最低一日、最長二週間で変わります。
ところが今年は、7月半ばに2日間だけ30度近くに上がった事が有っただけで、後は早春か晩秋の様な変わり易く肌寒い日々が続いてきたのです。
そして、この三日間「いきなり」盛夏が訪れた。
一昨日17日のパリの気温が32度、昨日が37度、本日が39度!
いやはや、死にそうな熱気でフラフラになってしまったのです。
幸い湿度は50%程で、蒸し暑くは無い物の、やはり40度近くにまで気温が上昇すると、熱気で炙られる如き極端な暑さは、身に堪えます。
しかし、お花にとっては、待ちに待った「陽光」だったのでしょう。
ジヴェルニーの「モネの家」の庭園は、むせ返る程の花の香りで満ち満ちて居りました。
母屋の正面
印象派を牽引した彼は、画家としてだけでは無くモネ個人に取っても、やはり「色彩」が何物にも代え難い、要素だったのでしょう。
後半の人生で手に入れた「我が家」の庭を、奥様と二人してガーデニングにせいをだし、花壇で埋め尽くしたのです。
そういえば、有る時期モネと共同歩調をとって、その後「印象主義」を捨てて独自の画風に変えて行ったルノワールも、視力の低下に悩んだ挙げ句、地中海の光を求めてニース戸外の村に移り住んで、一軒家の庭を花で飾った物でした。
上記「10年8月1日づけブログ」で簡単に触れた通り、モネは敷地を道を挟んで買い増し、日本庭園を造って更にエキゾチックな色彩を愛でたのです。
エプト川
セーヌの小さな支流『エプト川』を引き込み、塞き止めて池を作って「睡蓮」を植えました。
花の咲くシーズン、4月後半から10月初旬までしか一般公開されませんが、「ジャルダン・ナンフェア(睡蓮の庭園)」は、今日多くの人々を惹き付け、公開期間中訪問者の絶える事は有りません。
その「睡蓮の池」には、今まさに睡蓮が咲き誇って居りました。
白い花。
赤い花。
彼は、壁画を制作するにあたって、それまでの母屋の中の制作室では狭すぎるので、庭園内に大きなアトリエを建て増しました。
その、睡蓮制作用のアトリエは、現在ではお土産の売店に衣替え。
パリの「オランジュリー美術館」に展示されている壁画の複製が飾られています。
当時の写真
その複製の壁画の下に、正にこのアトリエで制作中のモネ、庭園でくつろぐモネの当時の写真が、飾られています。
在りし日のクロード・モネ
ところで、庭園の多くの花々の陰に隠れる様に、ひっそりと『なでしこ』が咲いているのを見つけました。
可憐に咲くナデシコ
内政に外交に、ハチャメチャの野田政権に吐き気を催していたおり、暑さを忘れさせてくれた「眼福」でした。
(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*)本当に、待っておりました。
日本の事だけではなく、ユーロの事とか、周りを見回しても良いニュースがございません。その様な中、日曜日フォトの旅は、目も心も休ませて下さいます。
お庭が、ギラギラして居りますね。凄いおひさまの照り返しがこちらにも伝わります。去年の睡蓮と今年の睡蓮は、雰囲気が違いますね。
「エプト川」素敵です。この様なところを散歩致しましたら、心も豊かになるような気が致します。ここにも、ベートーヴェンの小路、というところがございまして、エプト川より小さい小川が流れて居ります。「田園」の構想を練った所とか。ここと似ております。人間をホッとさせてくれる所ですね。
最後のなでしこ、良いですね!
今回も、心を洗わせて頂きました。ありがとうございます。
忙しすぎて、更新もままならず、お返事遅くなってしまいました。「待ってて頂けて」励みになります。
1週間続いた「熱暑」があっという間に過ぎ去り、気温が20度も下がって、また日中で20度に戻ってしまいました。モネの庭園は、後一ヶ月半で閉ざされます。
冬は鬱陶しいですよね。