仙台堀川公園から砂町銀座商店街
慶安年間(1648年 - 1651年)、小名木川近くの海辺が度々津波に見舞われて、耕地が荒廃し住民が苦しんだことから、伏見稲荷大社の分
霊を奉遷し産土神として奉ったのに始まる。後に、近くにある愛宕山勝智院境内の愛宕神社と、入谷の柳川藩下屋敷の邸内社であった太郎
稲荷を合祀した[2]。太郎稲荷は19世紀初頭に大人気となった流行神で落語「ぞろぞろ」の舞台にもなった社だが、明治維新後、商業地への
再開発のため土地を手に入れた京橋の時計商人が得体のしれない神がいることを嫌って当神社へ合祀することになった(地元民の希望で入
谷にも祠が残され現存)。
元禄5年(1692年)9月29日、松尾芭蕉が深川から小名木川を下って門弟の桐奚宅を訪ねる途中で当社に参拝し、「秋に添て行はや末は小松
川」の句を詠んだ。境内にはその句碑「女木塚」が建立されている。合祀前の愛宕神社には享和3年(1803年)から1年間小林一茶が居住し
ていた[2](ただし、大島2丁目の愛宕神社とする説もある)。昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で社殿・社務所を全焼した。
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(大島稲荷神社 : 東京都江東区 2013.07.30 撮影)