のぶさんの花便り

デジカメと花に夢中な《のぶさん》ですが
これからは、風景やスナップにチャレンジ

千葉さわやか散歩 その19 ①

2018年10月02日 02時20分35秒 | 写真

雷電の墓から臼井城址公園へ 

         

先日、千葉県佐倉市臼井田にある雷電為右門のお墓にお参りしてきました。京成佐倉駅北口から北へ、徒歩で大通りを横断し、丘を一つ越え、また大通り
を越え1つ目(約100メートル)の路地を左え行くと、突き当たりにお墓がございます。
1767年信州に生まれ、松平不昧公の抱え力士となり、28歳以来、16年27場所大関、21年間34場所で254勝10敗、勝率96%、体格1メートル97、体重
168.7キログラムだったそうです。
晩年は、妻の実家のある郷里(ここ臼井田)で静かに過ごしたそうです。

妙伝寺の正式名は暁慶山妙伝寺、宗派は日蓮宗。創建は弘安6年(1283年)。開山は平賀本土寺(松戸市)第三世日伝上人である。 当初は臼井城大手門
東にあったが、何時の頃からか現在地に移された。

本尊の釈迦如来は、木造寄木造り一ちゃく手半童顔の坐像で、均整のとれた姿や翻波式衣文から 鎌倉時代初期の作と言われている。厨子も見事なもの
で徳川時代初期の頃の代表的な唐様厨子である。 また、寺宝として日蓮の直弟子日朗上人の真筆と伝えられる曼荼羅がある。

寺の入口には、宝暦8年(1758年)建造の鐘楼門があり、鐘は宝暦7年の鋳造、寺域には加藤清正公を 祀った清正堂がある。

         

千葉県佐倉市臼井にある雷電の墓に参った後、雷電の碑を見に行きました。雷電の墓とは全く別の場所にあります。お墓からは徒歩で10分程、臼井史跡
めぐりの道標があるので迷わずに行けます。寛政から文化年間にかけて無敵の力士と言われた雷電為右衛門(1767年〜1825年)の碑です。
大きく立派な顕彰碑です。碑には雷電の等身大(1m97㎝)の肖像と佐久間象山の筆による「天下第一流力士雷電之碑」の11文字が刻まれています。254勝
10敗は大相撲史上の最高勝率です。大鵬や白鵬と対戦したらどうなったかと想いをめぐらせました。夫人のおはんは臼井の地の甘酒屋の看板娘で雷電も
晩年を臼井で過ごしました。おはんの生家の菩提寺である臼井の浄行寺に雷電夫妻と一女の墓が建てられましたが廃寺となった浄行寺を引き継いだ妙覚
寺には顕彰碑が1978年に建てられました。碑の脇に手形もありました。碑の目の前に妙覚寺があります。
妙覚寺では毎年命日の2月11日に雷電祭が開かれるようなので訪れてみたいと思います。


妙覚寺の正式名は長谷山妙覚寺、宗派は日蓮宗。創建は長享2年(1483年)、開山は 日泰上人、本尊は釈迦如来である。現在は境内にすみれ 幼稚園がある。
日泰上人は奈良や比叡山で学び、のち関東に下り、下総浜野に 如意山本行寺を、ここ臼井に妙覚寺を開山した。土気東金 の領主酒井定隆を教化し、領内
の寺院を総て日蓮宗に 改宗させた「上総七里法華」は房総の仏教史上有名である。

明治28年(1895年)、東金布田の不老山薬王寺より布田 薬師の分身を迎え、縁結び、目の薬師として近隣の信仰を 集めていた。縁日は9月7日である。

(千葉県佐倉市:2010.02.08 撮影) 

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