バリエーション山行同人

バリエーション山行を志向する登山者の集まり(主に、東京、神奈川、埼玉エリア在住の方向け)

妙義 星穴岳 昭和45年2月の遭難について

2019-09-08 17:44:54 | その他

妙義の妙義湖(中木湖)の上流、星穴沢橋付近に慰霊碑がある。これまで行く度に手を合わせるようにしてきた。周囲は掃除がされていることもあり、供花の跡も見られることがあった。この遭難があったのは、昭和45年(1970年)2月。相当古いこともあって、その詳細についてサイトや雑誌等で語られることも多くはなく、いくつかの疑問を持ちながら時が過ぎていた。この度、地元紙の上毛新聞の当時の記事を探索したので、この遭難について概略を整理したい。

(注)本件は、昭和45年2月13日(金)、14日(土)の上毛新聞の社会面(第7面)をもとにしている。同年2月末日までの同紙記事をサーベイしたが、続報は見当たらなかった。同年3月以降、続報記事があるかもしれないが、その情報については未反映であることを明記しておく。

 

(1) 遭難した女子高生2名(二年生)は、星穴新道を登り遭難したことを受け、星穴新道は登山禁止になったと思っていたが、2名の辿ったコースは違うようだ。

  • 昭和45年2月11日13時20分頃、妙義湖から上に2kmの山林で仕事をしていた農家の方が、この2人と思われるパーティーから「相馬岳に行く道はどこか?」「遅いからよしなさい」との会話を行なったとの証言があったとのことである。これが正しいとすると、2人は見晴を経由してまず相馬岳を目指したことになる。
  • 2人の遺体が発見された(同年2月13日正午)のはそれぞれ別の場所で、星穴岳の頂上部から100m近く下の、それぞれ北面、南面であった。同紙では、「足取りから2人は妙義湖から白雲岳頂上の相馬岳からバラ尾根に向かおうとしたが、道に迷い登山道の無いけわしい星穴にはいり転落したものらしい。2人が別々のところで転落死していたのは1人が落ちたあと救助を求めて1人が"迷路"にはいり転落したのではないかと関係者はみている」と記されている。
  • 前述の通り、登山開始が時間的に遅いことから、日帰りを前提とするのであれば、相馬岳、バラ尾根の後は、女坂を下るのが順当と思われる。もし薄暮の中、道に迷って、鷹戻しの登りに気づかずに通過することはちょっと考えられない(2人は妙義は3回目とのこと)。よって、女坂を下る計画が、道に迷って中ノ岳方面に縦走したのではなく、意思を持って中ノ岳へ向かった公算が高いと思われる。相馬岳への登りでペースよく進み、女坂分岐で思い切って縦走に切り替え、中之岳神社への下山を目指したのだろうか。私の推測では、相馬岳から中ノ岳方面への縦走は当初計画通り。その後、中之岳神社への分岐を薄暮もしくは暗闇の中で見逃し、西岳を経て星穴岳に至り、彷徨したと考える。
  • 北面で発見された1人の遺体は同年2月13日14時半、星穴沢橋に降ろされて検視。一方、南面で発見されたもう1人の遺体は同日14時頃、中之岳神社に降ろされ検視を受けたとのことである。なお、同紙の同年2月14日の記事では、北面に転落した1人の遺体収容に関する箇所で「遺体収容作業は13日正午過ぎから始まったが、松井田山岳会員がまず遺体を下の金洞沢におろし、これを自衛隊員の手で金洞沢から星穴沢へと、2人で元気に登ったルートを無言で帰還した」とあり、「2人は登ったルート」について同じ記事内で矛盾を感じさせる記述があった。
  • 果たして、2人は相馬岳にまず登ったのか、星穴沢を遡行したのか? ただ、(記事を参照させてもらったのに恐縮だが)この上毛新聞の記事を書いた記者の正確さにやや疑問を感じるところがある。記事中には「遭難現場」の概念図が付けられているのだが、金洞山と金鶏山を結ぶ稜線上に「鷹もどし」と記され、さらにその稜線上を妙義町から四ツ家に至る車道が越えているように描かれているなど、同記者の地理的理解にやや疑問符が付くように感じた。以上を勘案すると上述の「相馬岳に行く道はどこか」との証言の方に信憑性を感じる。もちろん、その会話の後、急遽計画を変更して星穴沢に転進した可能性もゼロではないが。。。
  • 巷では、「当時、登山地図にも一般道として記された星穴新道が実際にはあまりに危険なため、星穴新道を登路に採ったこの遭難事件を機に廃道となった」と記されるケースを見るが、正確には「この遭難事件を機に、星穴新道を含む星穴岳に至る周辺登山道がすべて登山禁止の措置が採られた」と理解するのが良いと思う。
  • さらに踏み込んで言わせてもらえれば、もし遺体発見現場が星穴岳直下ではなく、例えば、鷹戻し付近での事故で有ったなら、星穴岳の登山禁止措置は(少なくともすぐには)採られなかったのではないかと想像するが如何に。

(2) 遭難した2人は群馬県立藤岡女子高校の山岳同好会に所属していたが、この遭難事件の際は、同校の部活動とは関係のない、会員2名による個人山行での事故であった。

  • 特に北面に転落した1人は同年2月7日、同校山岳同好会の前顧問の教諭に「妙義に半日で行けますか?」「無理だよ」との会話をしている。さらにこの彼女は「ゆくゆくは会長に推薦されるほどの信頼を会員から受けていた」とのことである。また「2人とも山が好きで、1年のときは八方尾根、昨年は八ヶ岳と山岳部の計画にはほとんど参加」とある。
  • 北面に転落した1人は、「同年2月11日、同校で行なわれた簿記の試験を受けて10時ごろから同校を出発」し、南面に転落した1人は、「自宅から9:45(筆者注:八高線群馬藤岡駅か)の列車に乗り待ち合わせたらしい」
  • 「食料はサンドウィッチ、せんべいなど2食分ぐらいしか持って行かなかった」とあり、「家族、学校に登山計画を知らせていないため、はっきりした登山コースはつかめていない」と、捜索開始を伝える同紙の同年2月13日の記事は伝えている。
  • 私は当初、「低山とは言え、2月の表妙義に高校山岳部員を連れて山行を決行した同校顧問」といった図式で本件を捉えていたが、まったくの個人山行であることを今回、理解することができた。


▼星穴沢橋付近の看板。奥に進むと、女坂や星穴新道に至る。

 

▼改めて、合掌。

 

最後に、参照させていただいた上毛新聞の本件記事の見出しを列記させていただきたい。

【昭和45年2月13日(金)第7面】

  • 女高生二人帰らず 妙義山
  • 登山コース知らせず
  • 軽装のまま入山
  • 難航する捜索
  • あわただしい藤女

【昭和45年2月14日(土)第7面】

  • 警告振り切り死の"迷路"へ
  • 甘くない妙義登山
  • もろい岩はだ露出
  • 「一般向き」の宣伝アダ
  • 妙義山遭難の女子高生  二人とも絶壁から転落死
  • "まさかあの難所に"
  • 山男も恐れる「星穴」
  • 禁止していた冬山登山  徹底しない県教委通達
  • 泣きすがる遺族
  • 悲報にガックリ
  • 藤女 授業も打ち切る

 

 

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