VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ

谷口雅春大聖師の教えを現代に生かす

あなたの御先祖様は生きている

2015-03-05 09:23:40 | 生長の家

         生長の家創始者  谷 口  雅 春 大聖師


  『祖先と子孫との運命の連関』


 現代の多くの人たちは、あまりにも個人主義に目醒め過ぎているために、自己の運命が左右される原因となるべき両親との連関、更に進んでは祖先の霊魂との連関を忘れてしまっていて、恰も根を培い幹をそだてる事を忘れて、枝葉ばかりが独走して、美しき花を咲かせ良き果を実らせようとあせっているかのように見えるのである。

 しかしながら諸君よ、あなた達の祖先は生きているのである。 無論、祖先の肉体は生きていない、けれども肉体は「人間そのもの」ではないのである。 肉体は“霊魂”が地球上で或る使命を果す目的をもって着用するところの“宇宙服”の一種であって、地球という天体で現実的な仕事をする間だけ着用したあとは、脱ぎ棄てるべき不要物に過ぎないのである。

 肉体の死によって肉体を脱出した吾々の祖先の霊魂は、霊界に於いて或る期間休息し、また他の肉体に受胎して、別の異る環境に於いて、異る経験を新たに加えてその魂が進歩し向上しつつあるのもあれば、尚、霊界に於いて生前の病苦の記憶の継続の中に苦しみつつあるのもあり、或は、既に高級霊となって、人類嚮導のために活躍しつつある霊もあり、その生活状態は色々あるのであるが、いずれにせよ、彼らは子孫に対して愛着をもっており、子孫の幸福と繁栄とを希いつつあることは確かであるのである。

 ところで、彼らが子孫に対して愛着の念をもっているということは、彼らが彼らの有する色々の精神状態を放送しつつあり、その“念波”の放送を吾々が受信しつつあるということである。 もっとも吾々は自己の精神波動の周波数にしたがって、或る程度の選波作用をもっているのであるから、祖先から放送されるすべての精神波動(念波)を悉くは受信する訳ではない。

 其処には「類を以て集る」 「類は友を呼ぶ」という法則が行われており、自己が極めて明るい健全な精神状態でいる時には、たとい暗い不健全な病的な精神波動を放送されても、それを感受することは、あまり無いのである。

 併し人間は、なかなか四六時中いつも明るい健全な精神状態を平均に保つことが至難であるから、精神状態が多少落ちて、心が暗く陰気に沈んで来たときに、霊界でまだ悟りをひらかないで苦悩している祖先の暗い陰気な精神波動を受信して、自分自身が一層暗くなり、その不幸な状態に拍車をかけ、それを一層増悪するような結果になり勝である。

 こういう事が、“個人の運命”と“霊界の祖先の運命”との相互関係に於いて起るのであるから、祖先の霊魂たちを、導いて悟りをひらかせて、その暗黒なる状態又は運命から救うために、“真理を述べた言葉”〈聖典又は聖経〉を読誦して聴かせることが必要なのである。

 それは単に祖先の霊魂に悟りをひらかせて、その余慶として自分が幸福になるための手段とするというような自己中心的目的だけではないのであって、寧ろ自己の“地上の生活”が今日あるのは祖先を媒介として斯くあるのだという事実にもとづいて、その恩に報いるための報恩感謝の行事としてお墓又は仏壇、神棚等に祭祀せる祖霊の前に“真理の聖経”を読むべきである。

 “七つの燈台の点燈者の神示”の中には、「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」と示されているのであるが、報恩感謝の念で『甘露の法雨』を読誦することは、単に霊界の祖先を悟りに導くだけの功徳にとどまらず、神の救いの霊波に感応することになるのである。

 同時に既に高度の発達をとげた祖先霊の“子孫を護る霊波”にも感応して、その導きを受け易くなり、病気も癒やされ、運命も改善されることになるのである。


       『精神科学』誌  昭和38年2月号  6~8頁


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