Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

本質からの逸脱

2009-02-05 | Weblog
任天堂はDSを一人一台持たせたいようだけど、まあ私は絶対にもたないので、その策略は永遠に成功しません。電車の中で、DSをいじってる姿ほどみっともないものはないと思います(携帯ゲーム全般)。
インターネットや携帯が出来て便利になったことも多いのかもしれないが、なかったころに比べて文化が立派になったのか、生活が豊かになったのかを冷静に考えると、まったく逆のように思えます。パソコンのお陰で誰でも文書を作れるようになったけど、文字を書けなくなった。今年の年賀状で宛名まで手書きであったのは一体いくらあったか?まあ私も昨年から印刷にしましたが、一昔前は裏表全部手書きが当たり前だった。一世代前の方々の文字が皆上手いのは、場数を踏んでいるからです(悪筆はみっともないという文化もあった。)携帯とメールのお陰で24時間いつでも連絡がつくようになったのはいいが、逆に時間にルーズになったように思うし。冷凍食品やインスタント食品のおかげで、いつでも暖かいご飯が食べれるようになったのはいいけど、料理の腕をなくしつつある。いつでも自由にCDやDVDで音楽を聴けるようになったが、音楽家そのものが絶滅した。最近はプロでも録音して聞き直して修正という練習方法があたりまえになってるらしいけど、フルヴェンの時代には録音は簡単にできなかったわけです。それでも、あの時代の演奏というものはどれも心に響くものがある。どんなにわからないように手を加えたり、つぎはぎしても、偽物は偽物で本物を超えるなんてことは絶対にない。電子チューナーも簡単に手に入るようになってピッチを正確に測れるにようなったが、昔に比べて音程がよくなっているのかと言われると、そんなことはない。

皮肉なことに、時間を節約しよう便利にしようと機械に頼れば頼るほど、ものごとの本質から逸脱していくわけです。