Wilhelm-Wilhelm Mk2

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未完成交響曲

2006-06-06 | Weblog
 この歳になってやっと未完成のすばらしさが身にしみてわかってきました。未完成という名前から、まるで絶筆して未完となった曲と思われがちだけど、25歳のときの作品なんだよね(シューベルトは31歳で亡くなった)。シューベルトの作曲は殆どテイク1だったらしいから(だから未完の曲が多々ある)、煮詰めつくした大曲というよりは、即興的な詩情に溢れるな曲として捉えるべきだと感じるようになりました。シューベルトを聴くとき、あるいは奏するときには、この捉え方が大事なのではないかと気づきました。未完成が聞けるようになったというよりはシューベルトが聞けるようになったということなのかもな・・・。
 バスにとって、この曲の冒頭ほど緊張する瞬間は無いわけで、ウィーンフィルでさえも始まる前にコソコソ音程を確認したりしているわけです。先日のバンベルクもトップは弦をはじいて音を確認していた。この冒頭のテーマでしくじると、その後の曲を奏する意味すら無くなりかねないからプレッシャーですよ。別に特殊技巧が必要なわけでもなく、基本的なポジションだけを使って弾くのですが、だからこそ実力が丸出しで、さらには5弦にしか出せない下のD-Cisまで下がって行くわけで、5弦奏者としてはまさに腕の見せ所(晒し所)・・・。でも考えたら管楽器はいつもこのぐらいのプレッシャーの中で吹いているんだよな。頭がさがります。練習ではさんざん問題視されていたのだけど、アンケートや周囲の評判はそれなりに上々だったので、とりあえず及第としておきます。でも自分的には40点くらいの出来でした。本当はもっと巧く出来たはずなのになあ。いや出来なければ行けない。やはり毎日さらう練習環境を確保せねばならぬか・・・

 しかし、昔はそれほど受け付けなかった曲が聴けるようになるというのは、自分の中で何か成長があったのか、それとも何かを放棄してしまったのか・・・いずれにせよ自分の中で何らかの変化があったわけで、そういう己に対して感慨にふける瞬間を味わえるというのは、一つの趣味ごとを続けているものだけが味わえるささやかな醍醐味というべきなのでしょう。