文春3月号に、生誕90周年記念特集「司馬遼太郎が見たアジア」が掲載されている。
宮城谷昌光氏等の著名人、司馬遼太郎本人等の対談、随筆、寄稿等、が記載されている。
奥深く、洞察に富んでいて、成程と思った。 中にはよく理解できないところまで踏み込んだ意見もあった。
ここに全てを紹介することはできないので、いくつかの初めて目にするポイントのみ列挙する。
氏は儒教に関して批判的である。 曰く日本は、儒教を学問としては研究したが、政治には取り入れなかった。
日本は、中国から沢山のモノを取り入れたが、無批判に取り入れたのではない。 取捨選択して取り入れてきた。
科挙、宦官、道教などは取り入れなかった。 儒教も学問の世界にとどまった。
科挙は、一定の思想で人を縛ることがありがちで、それへの警戒だろう、ということだ。 氏はイデオロギーで人を縛ることが嫌いで、この点は評価している。
日本は、絶対政権が存在しなかったということだ。 各地方の豪族が、覇を競い、武によって政権を取っても、官へと変身してしまい、地方には相変わらず武を持った豪族が存在し、そのバランスの上に政が行われてきたということだ。
天皇をはじめとする、官と、官位を得た将軍は権威となり、権力は地方藩との調整権力として、将軍家に存在したというのだ。
日本は、最初からずっと競争社会であった。 明治維新という革命も上手くいった。 革命の志士が偉かったのではない、もともと日本に備わっていた体質だとい言うのだ。
儒教と相入れなかった体質の日本が出来た、イノベーションだというのだ。
“日本は、アジアではない”と云うのだ。 中国、韓国等の東アジア的な体質とは本質的に異なるというのだ。
アジアのみならず、西洋にも。古今東西の歴史にも、造詣の深い氏のいうことである。
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