大航海時代初心者日記。→大航海星空日記。

マリィナ=ファリエル@NOTOS のんびりだらだら――のんだら系。

ぬるいろくぶんぎの話…ろくぶんぎ座の履歴書(MDSS23)

2009-05-12 22:43:34 | 星のこと・MDSS
※えぶぁんげりよんとはかんけいありません。
Ciao,マリィナです。DOLの全天走査計画MDSS(マリィナ・デジタル・スカイ・サーベイ)。本日のエントリはこのブログでまだご紹介できていないろくぶんぎ座を取り上げます。今までうみへび座はご紹介できていましたけれど、ろくぶんぎ座はうまいこと捕らえられておりませんでしたので、ようやく見つけた収穫といったかんじになりました。今回はカリブをその観測場所にしています。
 また、器具の六分儀については興味深い事実もありますので、併せてご紹介したいと思います。
 では早速画像をご覧下さい。



◎グランドケイマン沖合の西の星空

左から

◆ポンプ座(Antlia)
 初登場のポンプ座です。ラテン語でポンプをあらわすAntliaと付けられています。
 これもラカーユが1756年に設定した星座で、フランス語では『Machine Pneumatique』とされています。
 Pneumatiqueとは空気のことです。Machineは機械ですので、空気の機械…。

 いろいろ調べてみると、この『空気の機械』は真空ポンプとかそういうもののようです。物理学者の業績を記念して設定されたと言われています。
 Wikipediaを覗いてみると、真空の実験をした『マグデブルグの半球』を制作したゲーリケを記念したとあります。これはいろいろな説があって一定してはいないようですけれど、このとき使用された真空ポンプを改良した、圧力に関する法則の発見者であるボイルや、ボイルの共同研究者であるフランス人の物理学者ドニ・パパンをたたえたというのもあります。

 α星はらしんばん座よりももっと暗い4等台ですけれど、南天では日本ほど明るさで困ることはあまりないような気もします(笑)

◇天の川(Milky Way)
 左上のアルゴ座の方向は南半球でもっとも濃いみなみじゅうじ座とおなじ方角です。南に当たります。

◆らしんばん座(Pyxis)
 そもそもプトレマイオスが設定した『アルゴ座』は巨大な星船一隻でしたけれど、天文学の必要上から、ラカーユによってこれらは4つに分割されました。
 それが『りゅうこつ座』『ほ座』『とも座』『らしんばん座』です。星船についてはアルゴノーツの休日…アルゴ座復元計画(MDSS13-2)で詳しく解説しておりますので、そちらもご参照くださいませ。

 アルゴ座は1752年にラカーユが分割について提案しています。アルゴ号には存在しないはずの羅針盤という道具を星座にしたことに対してハーシェルが異議を唱え、「マスト(帆柱)座」の名称を提案しましたけれど、これは定着しませんでした。
 かなり小さな星座で、大きさは88星座中65番目だそうです。明るい星がなく、α星でも3.5等より低い等級となっています。

 ちなみにWikipediaには『この星座は、最初、Pyxis Nautica という名で(以下略、太字は筆者)』ラカーユが設定したと書いてありますけれど、これはあまり正確ではありません。
 Pyxis Nauticaはギリシア語です。この言葉は羅針盤をさしますけれど、原義はPyxisが化粧箱(箱) Nauticaが海です。海に持ち込む箱、と言うのが羅針盤の形から来ているらしいです。

 ラカーユはフランス語でこの星座を『Boussole(ブソール)』と定義しています。この言葉そのものが羅針盤を意味しています。つまりは各国語間の訳し方の問題というわけで、最初もなにもはなから羅針盤といってるわけなのね。

 Boussole一語で羅針盤、つまりPyxis Nauticaと言う意味なのですけれど、ラカーユの設定した星座には別にコンパス座(製図用のコンパス)と言うのもあるので注意が必要です。

◆うみへび座(Hydra)
 今まさに水平線下に沈もうとしているウミヘビの姿です。この構図はなかなか面白いですよね。
 今回の撮影はろくぶんぎ座をとるためのものでしたので、ウミヘビの頭がどのくらいの高さになればよいかじっと観察しつつ、クエストをこなしてその時期を待ちました。
 撮影できたーとおもったらバッカニアに襲われまして…。最後尾のD船と即白兵になってしまい、一撃で敗北。メインフルとられちゃいました。むー。売り物がぁ。

 うみへび座は全天一おおきな星座ですけれど、全体像がもしとらえられるとしたらそれはベルゲンの北の海域かな、と思います。今度チャレンジしてみようかとー。

Alphard
 うみへび座のα星は「孤独なもの」を意味するアルファルドです。または「Cor Hydrae(コル・ヒドレ)」、つまりヘビの心臓といいます。
 このあたりの星々はそれほど目立つのが無くてアルファルドも比較的暗めの星ではありますけれど、背景が暗いので案外みられると思います。また、ウミヘビの頭が特徴的なので、それをたどっても解るかも知れません。

◆ろくぶんぎ座(Sextans)
 ダンツィヒ出身のヘヴェリウスによって設定された星座です。暗い星で構成されているのでとっても見つけにくいですね。私のリアル経験では視界に入っている確信はあるのですけれど、それがどこにあるかさっぱり思い出せもしません。

 ろくぶんぎ座の設定には逸話があります。
 晩年、ヘヴェリウスの自宅が火災にみまわれ、観測器具や書物が焼けてしまいました。そのとき失われた六分儀を偲んで設定され、それが今でも使われているとのことです。
 ヘヴェリウスはこの火災に相当なショックを受けたようで健康を害してしまい、8年後の1687年、自らの誕生日に死去しています。

 器具の星座は南天に多いですけれど、それらが付けられる相当前に設定されていますね。たて座とともにヘヴェリウスの仕事とされています。

六分儀について
【ナントカ分儀】
 さて、星座になったこの六分儀。測量機器として四分儀、六分儀、八分儀といろいろと種類があります。そして、もっとも完成した形として六分儀が実用化されたことは以前『リアル大航海…日本丸の総帆展帆・しょの2』のなかでご紹介しましたね。

 このナントカ分儀は、円を何等分した形なのかで「四等分」が四分儀、「六等分」が六分儀と名付けられています。「儀」というのは「はかる」「手本」「なぞらえる」と言う意味で、転じて天体観測用の器具をさしています。
 星座にもそれぞれしぶんぎ座、ろくぶんぎ座、はちぶんぎ座とありまして、そのうちしぶんぎ座は現在88星座にはなく、流星群の名前としてのみ残っています。

 ナントカ分儀はあるときを境に非常に小型化、精密化された器具で、もともとは天文学の分野から発達していきました。だから、と言うわけではありませんけれど、DOLのアイテムとして登場し、航海にも必須の道具として存在する六分儀は天文学で使われたそれの派生形ととらえたほうがしっくり理解できると思います。
 言い換えれば「天文学用」と「航海測量用」の六分儀は違うものと捕らえた方がよい、ってことです。

 それはなぜでしょうか。

【星座の設定年と器具実用化の年代の違い】
 ここで、器具としての四分儀、六分儀、八分儀の実用化年代と、星座として設定された年代をちょっと見比べてみましょう。

――器具の発明者・実用化年代――
器具名発明者発明年
四分儀ディオゴ・ゴメス(使用者)1460年?
六分儀ジョン・キャンベル1757年
八分儀ジョン・ハドレー1731年

 ディオゴ・ゴメスについては正確に解りませんけれど、カーボヴェルデ諸島に到達したときの航海には、四分儀が使用されたと言われています(それ以前の測量器具であるクロス・スタッフについての解説は割愛いたしますー)。
 ちなみに、この辺りの年代のポルトガルの大航海についてはハミルさんのブログのなかの「エンリケ物語」がたいへん詳しいですのでおすすめです。

――星座の設定年代――
星座名設定者設定年
しぶんぎ座ラランド1795年
ろくぶんぎ座ヘヴェリウス1680年頃
はちぶんぎ座ラカーユ1756年


――実用化年代と星座設定年代を並べる――
器具名器具実用化年代星座設定年代
四分儀1474年頃?1795年
六分儀1757年1680年頃
八分儀1731年1756年


 なんと六分儀の「実用化」は、ヘヴェリウスが自宅の火災に見舞われ、六分儀を焼失した年より80年近く後の出来事になっています。

 ヘヴェリウスは80年以上も前に独自に実用化していたのでしょうか?
 それともヘヴェリウスが設定したのではなく、別の人がヘヴェリウスの逸話に基づいて設定したのでしょうか?
 ヘヴェリウスの火災の話自体が創作なのでしょうか?
 実用化の時代が間違っているのでしょうか?

 そのどれも違います。このふたつの年代に間違いはありません。この器具の理解の仕方が、実は間違っているのです。

【天文における四分儀、六分儀】
 地面や水平線からの星の高さ(角度)を測る道具がこれらの「ナントカ分儀」ですけれど、もともとは四分儀から始まっているようです。
 四分儀は象限儀ともいって、天体までの高さ(角度)を測るのに用いられました。地上からの角度を測ってたくさんの恒星の高度を記録するという、全くの目視よりも精度の高い道具です。
 四分儀は円を四等分した扇に円の中心となる辺りからおもりを付けた紐をつるし、弧の部分に目盛りを付けて、垂直に垂れた紐を観て、角度を示す目盛りを読み取る装置です。


◎四分儀(Wikipediaから引用)

 目盛りを細かくとるには弧の長さを大きくとれば良いため、四分儀自体を大きくすれば精度が自然に高くなります。その理屈から『壁面四分儀』と呼ばれる大きな構造物として設計され、活用されました。
 ティコ・ブラーエがデンマークに天文台を作ったときに設置された『ティコの四分儀』はこの最たるものといえるでしょう。また、プトレマイオスもアレクサンドリアに壁面四分儀を構築させており、これを使用して恒星の高さを測っていたといわれます。

 このような建築物といってもよい四分儀から、建物の中へ据え置くタイプの六分儀へと発展していきます。

 六分儀もすでに10世紀の終わり頃からアラビア世界で使用されていました。四分儀と同じく建築物、構造物として制作されたものです。

 木枠や青銅のフレームを使用した、室内において使うタイプの六分儀は建築物でないところが最大の違いで、移動もできますし観測対象も自由に選べます。
 構造物ですと建物と同じで移動できません。観測対象は可動式に比べて自然と決まってしまいますから、動かせること自体がものすごく大きな改良なのです(ちなみにウルグ・ベクの天文台にある六分儀は太陽の観測のために作られたため、東向きに建設されています)。

 ティコ・ブラーエの著作『Astronomie Instaurata Mechanica』の1598年版には、図版とともに、彼が六分儀を使って1572年に超新星の位置を観測するのに使用した方法が載せてあります。
 ちなみにこの本の図版にあった六分儀の絵が、デンマークの切手『ティコ・ブラーエの六分儀』となっています。


◎ティコ・ブラーエの六分儀(Astrophysics Data Systemより器具画像のみ引用)

 つまり、ヘヴェリウスが自宅に六分儀を所有していたのは本当のことなのです。ろくぶんぎ座の星座絵は床面にしっかり置いて使う台座つきの天文用六分儀が描かれているため、私たちが思い描く六分儀と似ているようで似ていない形にはなっていますけれど。

【航海における八分儀、六分儀】
 構造物としての壁面四分儀は論外として、据え置き型の四分儀、六分儀は持ち運びや揺れる船の上での使用という点でまだまだ航海には不向きです。また、天体の方向を結局目視していましたので、それより精度の高い方法も必要となります。
 ところで、器具の何が大変と言えば、小型化です。小型化はもちやすさの向上だけではダメで、今までのものと同等の精度がなければなりません。なので小型化というのはなかなか進まず、大きな四分儀や据え置き型の六分儀が航海に使用されていたらしいです。

 この器具の革命が起こるのはガリレオの『望遠鏡発明』と、それから『光の反射に関する法則の発見』によります。


◎光の入射角と反射角が同じ

 望遠鏡と光の反射、つまり鏡を使って光を反射させるというやり方によって、精度が極めて高く、さらに小型にできるようになり、また光の反射の特性を利用したことで角度が器具の弧の二倍まで測定できるようになりました。
 取り付けられた望遠鏡は、水平線と太陽高度をふたつ同時に観ることができるため、位置を合わせやすいのも大きな特徴です。
 これらにより測定される値が一緒でも、器具の形、原理、使用方法全てが変わり「天文用六分儀」と「航海用六分儀」は明確に区別されることになります。

 これらはまず+45度から-45度までの90度の角度を観測できる八分儀がハドレーによって1731年に開発され、それをたたえてラカーユの『南天星座カタログ』に掲載されました。

 90度より大きい角度(-60度から+60度、120度)を測れる小型の六分儀は、同様の原理を用いてイギリス海軍のキャンベルにより1757年に実用化されました。これが現在私たちの知る『六分儀』となるのです。天文用の六分儀では、弧の分60度までしか測れません。

 これが「(航海用小型)六分儀」の「実用化」なのです。ろくぶんぎ座設定年のずれはこうして起こっているのですね。

 従って、しぶんぎ座、ろくぶんぎ座は天文観測用器具の星座絵、はちぶんぎ座が航海用器具の星座絵になっているのです。


◎日本丸に展示されている六分儀

◆しし座(Leo)獅子宮
 形の良さではオリオンに匹敵するしし座です。
 西の空は星座が沈んでいく方向ですので、しし座も頭から墜落するように見えます。
 しし座の頭の星は並び方が「?」を反対にした形をしているのが解ると思いますけれど、これが獅子の大鎌です。

Algieba
 アルギエバという2等星です。獅子のたてがみを表す言葉です。

Regulus
 一等星のなかでもっとも暗い1.3等星です。レグルスはラテン語で『小さな王』と言う意味だそうです。
 この星は測量において重要な意味を果たしています。それというのも黄道上に位置しているのです。つまり六分儀を使用した緯度の測定がレグルスを使用して正確に行えるというわけです。
 黄道に近い一等星としてはスピカもありますけれど、黄道と一致しているのはレグルスだけです。

 ドイツなどではデネボラでなくこのレグルスを春の大三角形の一角に使っています。

◆かに座(Cancer)巨蟹宮
 相変わらず目立たない十二宮星座ですね。素じゃぜんぜんわかりません。水平線上ぎりぎりの位置に見えた姿はちょっと珍しいですね。

Praesepe
 かにの甲羅のなかにぼうっと光る星団がプレセペ星団で、死体から立ち上る妖気の集まる場所『積尸気(せきしき)』という解説は以前いたしました。他の国では『ミツバチの巣箱』なんていう名前もあったりします。

◆こじし座(Leo Minor)
 1687年、ヘヴェリウスによって設定されています。おおぐま座としし座という伝統的な星座の合間に、いびつなくの字を描いています。
 みてのとおりおおぐま座の足下、しし座の頭の上にありますが…わざわざここに星座を設定する必要もない気がしますね(笑)

◆やまねこ座(Lynx)
 ヘヴェリウスの死後、1690年に出版された星図にこの星座が掲載されています。
 やまねこ座の周りにある星々はこの星座と同じように暗いので、背景に溶け込んだようなわかりにくさになっています。

◆おおぐま座(Ursa Major)
 足の部分が見えています。特徴的な足先の星の並びでかろうじて解る、というかんじでしょうか。この右の方角が北となります。

◇黄道(Ecliptic)
 巨蟹宮、獅子宮と沈んでいきます。獅子宮の上にあるのが処女宮です。

【おわりに】
 いかがでしたか? 六分儀のことを調べていたら、かなりいろんなことが解りました。今回は下調べを研究編と同じくらい積み重ねましたけれど、案外盲点な部分らしく、星に関するサイトをいろいろと探ってみても満足のいく解説がほぼなされておらず、また航海に関するサイトを調べてみても、航海用の六分儀についてのみが書かれていて、天文と航海とを同時に捕らえた視点から書かれたものが見あたりませんでした。でも私もDOLを始めていなければ天文と航海とを一緒に考える視点は無かったですので、えらそうなことはいえませんねー。

 ただ、サイトによっては、天文用六分儀をご存じないまま航海用六分儀の実用化年代からろくぶんぎ座を語っているところもあったりして、結構混乱がみられました。このエントリによってこれらの部分が多少整理できたのではないかなー、なんて思っております。

 今回のエントリについては、航海術や初期の天文学の書籍がいろいろと出回っておりますので、そちらを読んで知識の強化を図りたいな、と思っています。本が高いのでちょっと手が出ない部分もありますけれど…w

 ろくぶんぎ座とポンプ座をご紹介できました。まったくご紹介できていない星座は、奇しくも88星座中いちばんマイナーと思われる『レチクル座』を残すのみとなりました。次回もしこの星座を発見できたら、また面白いエピソードをご紹介できると思います。次回もお楽しみにー。

 でわ~☆


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