1970(昭和45)年に日本万国博覧会のテーマ館の一部として岡本太郎(1911-1996)が作り上げた「太陽の塔」が、今年3月ついに息を吹き返しました。太郎が問いかけたものの根源とは?塔が内包するものとは?その構想段階から完成、さらには再生事業までを網羅。関連作品や精巧な模型に加え、映像や音響など多彩なメディアを駆使し、岡本太郎の感性を大きなスケールで体感する展覧会です。
太陽の塔がついに眼を醒ました。半世紀ぶりに“内臓”を取り戻し、ふたたび 生命 いのち が宿ったのだ。岡本太郎のメッセージがまっすぐ届くときが来た。あのとき太郎は何を問いかけようとしたのか? 太陽の塔とはいったい何なのか? 非日常の体験空間のなかでそれを考えたい。
展覧会は
平野 暁臣プロデュース(「太陽の塔」再生プロジェクト総合プロデューサー/岡本太郎のパートナーであった岡本敏子の甥。)

美術館の前 フォットスポット
巨大コップのフチの太陽の塔

美術館の最初
雰囲気が全然違います 場内撮影okです
1974年 若い夢

1981年 呼ぶ—青い手 奥が 呼ぶー赤い手

地底の太陽・保存用原型

地下展示 全景模型

TARO原寸ヴィネット


地下展示〈いのち〉ジオラマ

シンボルゾーン模型

太陽の塔 内観模型(万博当時)

生命の樹 全景模型

初代・黄金の顔
あまり知られていませんが、いま太陽の塔についている〈黄金の顔〉は、じつは1992年から93年にかけて太陽の塔が大規模な改修工事を受けた際に“交換”された2代目です。
当初は薄い鉄板でつくられており、そのままでは腐食が避けられないことから、ステンレス板に取り替えられたのです。
以後、オリジナルは万博公園内のEXPOパビリオン(旧鉄鋼館)で保管されてきました。
その初代〈黄金の顔〉です。日ごろ地上から見上げることしかできない〈黄金の顔〉が、目の前に広がります。
直径は10.6m。その巨大さにびっくりです。


1996年 雷人


初めて観た作品です
「殺すな」
1967年4月3日、米「ワシントンポスト」紙に、
紙面をまるごと1ページ使った反戦の意見広告が出された。そこには、大きな字でひとこと、「殺すな」と書かれていた。
この全面広告の発起人となったのは、いずみたく、鶴見俊輔、永六輔、岡本太郎、桑原武夫、淡谷のり子、小田実、久野収、城山三郎、開高健、松本清張、加藤芳郎、小松左京の13名だった。
「ベトナムに平和を!市民連合」が広告主となり、「殺すな」の書字は岡本太郎が書いた。

ミュージアムショップ で購入

ガチャガチャ
岡本太郎アートピース 「あしあと(青)」海洋堂
岡本太郎の 小生のホームページ は ここ
1.太陽の塔は表側と裏側から撮影
2.JR渋谷から徒歩5分。マークシティーの通路の「明日の神話」
3.西宮市大谷記念美術館の庭の「午後の日」
4. 岡本太郎のガチャガチャ
ブログ 2009.6.1 美術手帖 2009年6月号 一夜漬け日本美術史 ブログはここ
