goo

陰翳礼讃 「いんえいらいさん」    谷崎潤一郎

2018-02-21 | 読書感想文
ミントさんのブログを拝読していて コメントが投稿されている中で、この本のことを知り
読みたくなりました。
谷崎潤一郎と言えば、「細雪」です。読書好きだった遠い昔に読んだ記憶があります
先日テレビで平成版(笑)を観ました。NHK「平成細雪」です。

『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎の随筆。
まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。谷崎の代表的評論作品で、関西に移住した谷崎が日本の古典回帰に目覚めた時期の随筆である。

西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装の色彩など、多岐にわたって陰翳の考察がなされている。この随筆は、日本的なデザインを考える上で注目され、国内だけでなく、戦後翻訳されて以降、海外の知識人や映画人にも影響を与えている。

雑誌『経済往来』の1933年(昭和8年)12月号と1934年(昭和9年)1月号に連載された。


【引用】

谷崎潤一郎は、1933年(昭和8年)当時の西洋近代化に邁進していた日本の生活形態の変化の中で失われていく日本人の美意識や趣味生活について以下のように語りながら、最後には文学論にも繋がる心情を綴っている。

今日(明治の近代化以降)の日本では、純日本風の家屋を建てて住む場合、近代生活に必要な設備を斥けるわけにはいかず、座敷には不似合いな電線コードやスイッチを隠すのに苦慮し、扇風機の音響や電気ストーブを置くのにも調和を壊してしまう。そのため「私」(谷崎)は、高い費用をかけて、大きな囲炉裏を作り電気炭を仕込み、和風の調和を保つことに骨を折った。

トイレや浴室に関しても、元々の日本の木造の風呂場や厠では、けばけばしい真っ白なタイルは合う筈もない。今も残る京都や奈良の寺院では、母屋から離れた植え込みの蔭に、掃除が行き届いた厠があり、自然の風光と一体化した風情の中で四季折々のもののあわれを感じ入りながら、朝の便通ができる。漱石先生もそうした厠で毎朝瞑想に耽ながら用を足すのを楽しみにしていた。

我々日本人の祖先は、すべてのものを詩化し、不潔である場所をも却って風流で雅致のある場所に変貌させ、花鳥風月の懐かしみの連想へ誘い込むようにしていた。西洋人がそれを頭から不浄扱いに決めつけ、公衆の前で口にするのも忌むのに比べ、日本人は真に風雅の骨髄を知っていた。近代的なホテルの西洋便所など実に嫌なものである。

照明や暖房器具、便器にしろ、近代文明の利器を取り入れるのにはむろん異論はないが、何故それをもう少し日本人の習慣や趣味生活に合致するように改良しないのか疑問である。行燈式の照明器具が流行るのは、我々日本人が忘れていた「紙」の温かみが再発見されたものである。もし東洋に独自の別個の科学文明や技術が発達していたならば、もっと我々の国民性に合致した物が生れ、今日の有様とは違っていたかもしれない。

仮に万年筆というものを、日本人や支那人が考案すれば、穂先は必ず「毛筆」にしたであろう。そしてインクも墨汁に近い液体で、それが軸から毛の方に滲むように工夫したことだろう。紙もけばけばしい真っ白な西洋紙ではなく、その筆ペンの書き具合に合った肌理を持つ和紙に似たものが要求されたであろう。そして漢字や仮名文字に対する愛着も強まったであろう。

西洋では食器でも宝石でもピカピカに研いたものが好まれ、支那人が「玉」(翡翠)という鈍い光の石に魅力を感じたり、日本人が水晶の中の曇りを喜んだりするのとは対照的である。東洋人は、銀器が時代を経て黒く錆び馴染む趣を好み、自然に手の油で器に味わいが出るのを「手沢」「なれ」と呼んで、その自然を美化して風流とするが、西洋人は手垢を汚いものとして根こそぎ発き立て取り除こうとする。

人間は本来、東洋人が愛でたような自然の手垢や時代の風合いのある建物や器に癒され、神経が安まるものである。病院なども、日本人を相手にする以上、真っ白な壁や治療服をやめて、もっと温かみのある暗みや柔らかみを付けたらどうか。最新式の設備のアメリカ帰りの歯医者に行って怖気を感じた「私」は、昔風の時代遅れのような日本家屋の歯医者の方に好んで通った。

日本の漆器や金蒔絵の道具も、日本の「陰翳」のある家屋の中で映え、より一層の美しさを増す。我々の祖先が作った生活道具の装飾などは、そうした日本の自然の中で培ってきた美意識で成り立っており、実に精緻な考えに基づいている。日本人は陰翳の濃淡を利用し、その美を考慮に入れ建築設計していた。美は物体にあるのではなくて、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にある。

日本が西洋文化の行く手に沿って歩み出した以上、日本人の趣味生活や美意識が軽んじられ薄れてゆくのは仕方がないことであるが、我々日本人に課せられた「損」は永久に背負って行くものと覚悟しなければならない。「私」は、日本人が既に失いつつある「陰翳の世界」を文学の領域に少しでも呼び返してみたい。壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押しこめ、無用の室内装飾を剥ぎ取り、試しに電灯を消したそんな家(文学)が一軒くらいあってもよかろうと「私」は思う。


本の解説は 吉行淳之介 氏 だ。

日本人ていいな~。と改めて感じ、思う 素晴らしい本でした。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。