Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

日々新た

2019年07月10日 | Weblog

講演研修において、

常に「日々新た」を心がけていたいと思います。

バッカーズ寺子屋の講座もそうですが、

常に相手は変わり、常に社会は変化しています。

同じ事を伝えるにしても、同じではいられません。

親心の学び舎、エクスプレッションアカデミー、

企業、専門学校での研修、その他、

その時々のベストを尽くすと謂うことは、

「日々新た」の心を片時も忘れないことだと思います。

マニュアル化し、効率化することも大切だと思いますが、

それだけでは魂が抜け落ち、鮮度が落ちるのです。

大して社会に影響を与える力もない

一教師の戯言ではありますが、

私は私の教育の姿をただ只管に追い求めていく。

その覚悟だけは、

誰にも負けぬものであろうと思います。

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志教育

2019年07月10日 | Weblog

志を立てるというのは、

非常に困難なことでもあり、

生涯を通じて貫くべき大きなテーマだと思います。

そして、それを教育として

一つの形にしようと思えば、

当然、共に学ばせていただいた人たちと

同志として、共に走り続けるしかありません。

その覚悟もなしに、

イベントのようにして

志の教育などできるものではないと私は思います。

質の高いと考えられる教育を、

様々な角度から与えられた者より、

叩き上げで苦労して

自分で何かを掴み取ってきた人間の方が、

明らかに人間としての力に勝っています。

そのことに教育者は、

深く畏れを抱くしかないと思います。

そこに教育の本質はあるのです。

 

 

 

 

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教師とは

2019年07月09日 | Weblog

「学校の先生は、

教科書を教えるプロだが、

教育のプロではない。」

ある経営者から

数年前に聞かせていただいた言葉です。

この強烈な言葉に、なにくそ!と

反発することも大切ですが、

この言葉の意味の深さを知り、

教育の深さに畏れを抱くことこそが、

何よりも大切だと思います。

そして、教育のプロたらんと志し、

全力で学び続ける事が大切です。

私も生涯一教師。

この言葉に真っ直ぐに向き合いたいと思います。

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最後の夜

2019年07月08日 | Weblog

56歳の最後の夜が、

終わろうとしています。

明日から新しいスタートです。

バッカーズ寺子屋15期もスタートしました。

今週末には、

バッカーズ九州寺子屋の12期がスタートします。

まだまだ、教育改革へのチャレンジは、

緒に就いたばかりです。

全力で駆け抜けていこうと思います。

 

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聴くことの根源

2019年07月06日 | Weblog

どんな話でも楽しそうに聴く子どもがいる。

どんな話でもつまらなそうに聞く子どもがいる。

これは家庭の在り方によるところが大きい。

好き嫌いを許され、甘やかされ、育てば、

当然、受容できる範囲は須く狭くなる。

また、

素直さという大切な資質が育っていないから、

一旦、真っ直ぐに受け止めることもできない。

楽しく遊ぶ活力も大切なのだが、

一人で良いように振る舞うことが当然になれば、

いずれ他者との関わりは煩わしいもの鬱陶しいものとなる。

それを何とかしたいのだが、

まずは大人が聴くことと話すことについての

深い洞察ができなければかなわぬ話である。

 

 

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バッカーズ寺子屋

2019年07月06日 | Weblog

バッカース寺子屋は、7月で15期を迎えます。

バッカーズ九州寺子屋は、12期を迎えます。

塾生はついに600人を超えます。

きっといつの日にか、

日本の大きな財産になると信じています。

それまでは、大いに遊び、大いに悩み、

大いに道に迷えば良いのです。

しかし、いつか、志の意味がわかる日が来ます。

そこからが本当の勝負の始まりです。

だから私はエールを送り続けます。

 

 

 

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広島の夜

2019年07月06日 | Weblog

昨日は、いや、もう一昨日ですね、

一昨日は、広島で食べて飲んでいました。

美味しかったです。

広島の夜もなかなか良いものでした。

友人の今を生きる力と未来への応援になればと

足を運んでみました。

私に出来ることはたいしてなかったようですが、

誠意を込めてできることをしていきます。

何か少しでもきっかけがつかめたらなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

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迷いを断ち切る

2019年07月06日 | Weblog

様々な意志決定の場で、

迷うことは当然にあります。

しかし、いつまでも迷っているわけにはいきません。

かくして迷いを断ち切る勇気が必要になります。

それでも、勇気を持って、決断し、実行した後になお、

後悔の念に襲われることもあります。

そんなときには、

「我、事において、後悔せず」という、

先人の言葉が支えとなります。

迷い多き人生だからこそ、

志を明確にし、

力強く生きていくことが大切なのだと思います。

迷っている中は、たいしたことは出来ないからです。

些細なことでも、意志決定を迅速かつ明確にし、

結果をのこしていきたいと思います。

 

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三省

2019年07月04日 | Weblog

曾子曰く、吾、日に三たび吾が身を省みる。

人の為に謀りて忠ならざるか、

朋友と交わりて信ならざるか、

習わざるを伝うるか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

曾子が言われた。

私は日に3度、自分自身について振り返ってみる。

1.人のために真剣に物事を考えてあげただろうか。
 
2.友人に誠意を持って接しただろうか。
 
3.自分がきちんと理解できていないことを、
 
人に伝えはしなかっただろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
論語に書かれたこの言葉は、
若い頃には、「ふ-ん。そうだな」と思っただけで
やり過ごしていた。
しかし、この年になって、この言葉の重みが、
ひしひしと胸に迫ってくる。
どれも簡単ではないのだ。
 
一日一日を、そして、一事一事を、
真剣に考えていなかったから、
この言葉の重さに気がつかなかったのだ。
 
そうした言葉が私には沢山ある。
 
だから、決して、その時にわかったと思わないで、
心にとどめ置くことが大切なのである。
その時に、すぐに理解できることなど、大したことではない。
 
学ぶということは、
その時にはわからないことに、
真剣に向き合い続けることを言うのだと思う。
 
 
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高みを目指す

2019年07月03日 | Weblog

結局、人間は、

自分の見たいようにものごとを見、

自分の聞きたいように人の話を聞くものです。

ということは、

自分自身のものの見方を磨いていくことが、

人として成長すると謂うことであり、

より良い人生を生きていく上で大切だと謂うことです。

では、どのように物事を見れば良いのか。

その答えは、優れた業績を遺した先人たちの生き方と

そこから紡ぎ出された言葉の中にあります。

当たり前のことながら、私は一流ではありません。

だからこそ、

一流の生き方に学ばなければならないと思います。

高みを目指さなければ、三流止まりで終わるからです。

二流にさえもなれないのです。

社会全体を良くすると謂うことは、

自分自身が成長し、

周囲を感化する力を身に付け、

周囲と共に成長していくことだと私は思います。

ということは、

やはり高みを目指さなければならないのだと思います。

 

 

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