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木村貴志の徒然なるままの日記です。

人のこころすなほならねば 徒然草85段

2021年04月06日 | Weblog

やるべき事に気づけない人がいます。下の人です。

やるべき事に気づいて、やらない人がいます。下の下の人です。

「私は本当は出来るんだけど、やらない。」という人は、ただの出来ない人でしかありません。

それは徒然草の昔から見抜かれていることなのです。

「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。」(狂人の真似といって大路を走るなら、その人は狂人である。)

本当はできるけどできない人を演じているというのもこれと全く同じです。

端から見ればただのできないやつでしかありません。

「悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。」(悪人の真似といって人を殺せば悪人である。千里を駆ける駿馬に学ぶのは千里を駆ける駿馬の同類なのだ。(古代の伝説的な徳の高い王)舜に学ぶのは、舜の同士なのだ。かりそめにも賢人の行いを学ぶものを賢いというのである。)

この言葉には大きな勇気を与えられます。私のような愚かな人間でも、聖賢の教えを学ぼうとすることで、少しは賢人に近づくことが出来ると言って下さっているのです。

この言葉の前にはこんな意味のことが書かれています。

『極めて愚かな人は、たまたま賢い人に会うと、これを憎む。「こいつは大きな利益を得るために、小さな利益を受けない。偽りかざって名を立てようとしているのだ」と。

自分の心と違っているということで、こうして嘲笑するのだが、ここからお里が知れるというものだ。この人は愚か者の極みであり、その性質がよくなることはなく、嘘にでも小さな利益を辞退することもできず、かりそめにも賢い人から学ぶことさえできない者である。』

時代が進んだからと言って、人間が立派になっていくわけではありません。やはり、一歩一歩学ぶしかないのです。

 

 

 

 

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