民主主義の危機が叫ばれています。しかし、有権者に良き判断力を身につけるのは教育の役割だとは誰も指摘をしません。政治不信も強いけれど、教育不信はもっと強いと言うことなのだろうかと思います。
「かつて松下幸之助は、『PHP』誌に、「国民が政治を嘲笑しているあいだは嘲笑に値する政治しか行なわれない」「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」という二つの言葉を毎号掲載し、国民一人ひとりがもっと自分のこととして政治に関心を寄せなければならないと呼びかけた。家庭においても学校においても政治の大切さを啓発するとともに、何が正しいか、何が国民全体にとって利益となるのかを見極める眼を育てる教育が大切だと訴えたのである。」
こいういう文を目にしました。これは、サミュエル・スマイルズの『自助論』が背景にあるのだろうと思います。『自助論』にはこう書いてあります。
「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。」
こう書いてあるものを目にしたときに、私は教育が民主主義においてとても大切だと感じました。人は誰しもが、24時間、365日に得た情報で自分の考えや人格を形成していきます。今叩かれているオールドメディアも、その意味では、教育をしているのです。そして、本来は大きな責任があるのだと思います。
色々なところで問題が噴出しています。良いことだと思います。もっとみんなが幸せでいられるような社会が出来たら良いなと思いますし、私も教育実践を通して、子どもたちの成長に貢献していこうと思います。