Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

新渡戸稲造の言葉~教育家とは~

2022年08月02日 | Weblog


「一体私には教育家という文字がハッキリしないのです。
どういう人を教育家と名付るか、
世間では教育屋などという者があるやに聞いている。

こういう人は学校を造って銭を儲け、
あるいは卒業証書を売って自分の生計を営む、
あるいは少しばかり覚えたことに勿体を付けて
これを他の一層未熟な人に売付けるのが教育屋であるということを度々聞きました。

然るに教育家というものはそういう者ではあるまい。

・・・中略・・・

けれども私の謂う教育家はさほど広い意味ではない。
ズッと狭くして児童の精神あるいは知識あるいは身体を発育せしむる事に志し、かつ尽力する輩をいうのである。

これはあるいは普通一般に用いらる解釈とは少し違うかも知れませぬ。

世の教育家と称するのは志と尽力の有無は問わず、
あるいは文部省あるいは地方庁なり何なり相応の官憲等から
免状を受けている者を教育家というので、
免状あるいは辞令書が教育家と否との標準となる。

志の有無は別問題。

もっとも、何れ誰でも教えて見よう位の志が有ればこそ免状を得ようが、
しかし能く探ると実際真に必しもそういう志が有る訳ではなくして
外に飯を食う道がないから教育を一の飯食う手段とするので、
志は教育にあらずして飯に存する。

故にかくの如き人は如何に免状を貰っても教育家の中には入れられない。
これはいわゆる教育屋の側に属する。

故に私の教育家と申しますのは
飯を食うために教育を手段とするのでなくして
児童の身体知識精神を発達せしめる志と力のある者をいうのである。」

                                                新渡戸稲造『自警録』

 

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