Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

知ったこっちゃない。

2022年10月04日 | Weblog

政治も教育も、宗教が背後に潜んでいることが多いと、最近の様々な報道で見えてきました。かつて私が???と思ったことも、その文脈で考えていけば、実によく見えることがあります。

しかし、その当時は、何も考えてませんでしたし(笑)、知ったこっちゃないと思っていましたが、それが面白くない人たちには、面白くなかったのだろうと思います。実に申し訳ないことでした。

私はお盆には墓参りをするし、正月には神社にお参りするし、クリスマスにはケーキを食べるしといった、宗教とはあまり関係のない人間です。

私はあくまでも個として、1人の日本人として国際人として、我が教育を確立していきたいと思っています。

かつても、また今も、色々な主義主張とは無縁の存在です。

ただ、子どもたちが自分の志を立て、しっかりと歩んでいき、日本の未来をより良いものにして下さったらと思うだけです。

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教育における挨拶

2022年10月04日 | Weblog

アメリカに行った卒塾生の文集を読み返していて、挨拶について書いてあるところに目がとまりました。きちんと挨拶をしていた日本が良いと感じたというものです。

そこで少し挨拶について考えてみたいと思いました。

挨拶の「挨」は「押す」、「拶」は「押し返す」という意味で、本来は、禅僧の「知識考案」における「受け答え」をさす言葉であったそうです。つまり、禅宗で、門下の僧と問答をして、互いの悟りの程度(深さと浅さ)を知るということです。

ということは、挨拶において、相手の状況や、人間としての深さ、心の持ち方を察し合うという、精神的な深さが、日本の挨拶にはあるということでもあります。

人は日々新たに成長する存在です。しかし、一方で易きに流れ堕落する可能性もあります。

そこで、相手との挨拶によって、相撲の仕切りのように、自他の心技体の状態や力量を、日々新たに推し量るということにもなるのだと思います。

それは相手を敬うことであり、自分を磨き続けるということでもあります。

挨拶をしっかりすることの大切さを教える日本の教育は、やはり大切なのだと改めて感じます。

 

 

 

 

 

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願い

2022年10月04日 | Weblog

私は、教師がもう一度、尊敬に値する仕事になったらいいなと思っています。

そして、あこがれの職業になったらいいなと思っています。

本来、子どもたちの人格形成に関わる仕事が、

ブラックだと言われ、憧れの対象とならないのは、

どこか社会に歪みがあるからだと思います。

勿論、教師自身の努力によって解決を俟つ所も大ですが、

行政も政治もメディアも、こぞって教育を貶めていくことに、

結果的に加担してしまったのではないかと思います。

(悪気はないし、一生懸命にして下さっているのはよくわかっています。)

教育とは何か。学校とは何か。

その定義から考え直すべき時なのかもしれません。

多様な価値観をいかに分類整理し、役割分担を明確にしていくかが問われているように感じます。

 

 

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