Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

次第に分かってきたこと

2020年05月19日 | Weblog
米国、死者数8万9874人。感染者数149万6509人。
英国、死者数3万4796人、感染者数24万6406人。
イタリア、死者数3万2007人、感染者数22万5886人。
フランス、死者数2万8239人、感染者数17万9938人。
スペイン、死者数2万7709人、感染者23万1606人。
日本、死者数765人、感染者16.365人。

次第に、新型コロナウイルスに対する各国の状況が明らかになってきました。

やはり、この問題で大切なことは、「人命を守る」ということですから、日本の対応力は、ダントツに素晴らしいとしか言いようがありません。

ちなみに各国の人口は、米国を除けば、日本の半数前後です。つまり、日本は2倍以上の人口を抱えながら、死者は極端に出していないのです。

イギリス6,753万人、
イタリア6.055万人、
フランス6,513万人、
スペイン4,673万人
日本 12,686万人

小林よしのりさんが揶揄したように、「PCR真理教」の如く、マスコミは「海外に較べてPCR検査をやっていない。だから日本は駄目なんだ。政府は無能なのだ。」とヒステリックに叫んでいました。今も記憶に新しいところです。

勿論、検査数が増えるのは大切なことです。どんな病気もそうですが、検査しなければ、最終的には感染は分からないのですから。(検査の精度が低いという問題はありますが。)

しかし、感染防止の観点、医療崩壊を防ぐことの大切さを考えれば、すぐにやれというのは無理があります。それが、混乱のさなかにおいては、常識的な判断だと思います。

今回のことで、災害の最中に、黙々と人の命を守るために、命がけで頑張ってくれている人たちがいることがよく分かりました。

色々な批判に晒されながらも、懸命にやり抜いて下さる、政治家や行政の人たちがいることもよく分かりました。

黙々と困難に耐え、みんなのためを思って行動する人たちがたくさんいることも分かりました。緊急事態宣言を受けて、自粛に協力して下さった人たちです。

安全なところにいて何もしないのに、批判だけする人たちがいることもよく分かりました。

どんな人間を育てるべきか。答えは明白です。
「あんな大人になっちゃいけませんよ。」と言われない人財育成をしたいと思います。



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新型コロナと日本人

2020年05月19日 | Weblog
「家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」
                  
この歌は、有間皇子が、斉明天皇に対する謀反の罪で捕らえられて、牟婁(むろ)の湯(今の和歌山県白浜)へ護送される途中で詠んだ歌です。

意味は、「 家にいるときは、いつでも食器に盛って食べる飯を、今は旅の途中なので椎の葉に盛って食べることだ。」というような意味です。

何が言いたいかというと、「笥」(け)というのは、食器を意味する言葉で、食事に関わる言葉でもあります。また「ケ」は日常でもあります。農耕民族の日常といえば、米を作ることです。

日本人はハレとケを使い分けて弾力的に生活を送ってきました。「ハレ」は、神々とある特別な日で、祭りの日でもあります。収穫を喜び、神様に感謝する日です。「晴れ着」「晴れ舞台」「晴れがましい」などの色々な言葉もあります。

「ケ」は日常です。日常がマンネリ化すると、疲れて鬱々としてきて、「ケ」が枯れた状態になってしまいます。「ケガレ」の状態です。

農耕民族にとっての日常が失われれば、田畑で作物はできなくなります。食料がなくなれば、最悪の場合、飢え死にしてしまい、死ねば疫病が流行ります。これもまた穢れです。

こうして日本人はケガレを恐れ、常に清潔な状態を保とうと努力してきました。また、ハレの日(非日常)を大切にし、生活にメリハリを持たせ、活力を失わぬようにしてきました。

日本人は、万葉の時代から、旅のさなかでも、食べ物を「椎の葉に盛る」のです。手づかみではなく、箸も使います。神社に行けば、まずは手水で手を清めます。

この時代は、ヨーロッパは、まだ手づかみで食べる時代だったと思います。フォークやナイフやスプーンの原型は農具です。農具を応用して、食に使うようになりました。

日本の箸は、最初から、食べ物などを直に触らないことを目的に使われていたようです。箸が日本の文学に最初に出てくるのは、712年に成立した『古事記』です。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治しに、なぜ、スサノオが川上へ向かって歩いて行ったのかというと、それは、川上から箸が流れてきて、誰か人がいるということをスサノオが察知したからです。

ケガレを嫌い、清潔を好む、民族の記憶のようなものが、今回の新型コロナウイルスに対しても、力を発揮しているのではないかと思います。

水と緑に恵まれた生活の中から育まれてきた、日本人ならではの感性を忘れないようにしたいものです。


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