Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

信じること

2018年11月20日 | Weblog
なぜ、「志の教育」に
全力を尽くそうと思っているかと言えば、

私自身が「志」のない時を過ごした過去があり、それを経て後に、「志」をもって生きている今があるからです。

私は「志」ある人生の方が、楽しいと思います。自分のためだけでなく、社会のため、次世代のためを考えて力を尽くす人生の方が、大きなやりがいと生きがいがあるからです。

そして、私は、人は自己変革ができる存在だと信じています。

なぜなら、私自身が、悩み、傷つき、一歩一歩、自己変革を目指して歩んできたからであり、人は自己変革できる存在だと信じているからです。
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清冽な一言

2018年11月20日 | Weblog
「子日く、疏食(そし)を飯(くら)い、水を飲み、
肱(ひじ)を曲げて之を枕とす。
楽しみも而(また)其の中に在り。
不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。」

『粗末な食事をとり、水で喉を潤し、腕を曲げて枕にして眠る。そんな質素な生活の中にも楽しみがある。不正な手段で金銭や地位を得ている者は、私にとっては浮雲のようにはかない、無縁の存在に過ぎないね。』

今朝、『論語』を読み返していて、
孔子のこの言葉が、
今までにない清冽な印象で、
私の目に飛び込んできました。

某自動車会社トップ逮捕のニュースが
頭にあったからでしょう。

かつて日本の資本主義の父と言われた渋沢栄一は、
『論語と算盤』という本を著しました。
資本主義が本質的に持っている、
弱肉強食、強欲、利己主義といった毒性に対し、
『仁・義・礼・智・信』という価値観を融合させることで、
全ての人たちが幸せになる社会の実現を目指そうとしたのです。恐るべき慧眼です。

冒頭の孔子の言葉は、紀元前に語られたものですが、
実に迫力のある、そして、実に清々しい言葉だと思います。

自分もまた、
欲望に目を曇らせてはいないか。

資本主義の成功者と持て囃された人に対して、
正当な手段であるか否かを見極めているか。

不正を行って恥じることのない人に対して、
浮雲のようにはかない無縁の存在と言い切れるか。

はっとさせられた言葉でした。


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