おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

坂本城がかつてここに

2021-01-16 13:59:13 | 湖国日記
ドラマ好きとしては、年末年始から超多忙な日々ですが(笑)
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』も、いよいよ大詰めですよ。

大河ドラマではこれまでに何度も描かれてきた本能寺の変。
なぜ、光秀は謀反を起こしたのか、いまだに解明されていませんよね。
諸説いろいろあります。
なので、そういう手の番組もたくさん作られています。

怨念説(信長は冷酷短気で、光秀は常々非情な仕打ちを受けていたとか)
野望節(光秀自身が天下統一をしたいと思っていた)
恐怖心説(成果を挙げなければ自分も追放されるのではないかという不安があった)
理想相違説(独裁者となるつつある信長と将来に対する考えが異なっていた)
室町幕府再興説(生き延びた、恩義も関係も深い義昭からの誘いを断りきれなかった)
朝廷黒幕説(「信長には内裏に取って代わる意思がある」と考えた朝廷から命ぜられた)
四国説(信長の四国政策の転換で、光秀が面目をつぶされた)
イエズス会説(アジアへの侵攻を目論んでいたイエズス会を先頭とするキリスト教会に加担)
ほかにも、秀吉黒幕説、家康黒幕説・・・いろいろあるようです。

私が史学科に進むきっかけになった(笑)大河ドラマ『国盗り物語』。
司馬遼太郎の代表作やけど、この作品では、怨念説と恐怖心説、理想相違説が合わさった感じかな。
斎藤道三の教示を得た二人なのに、光秀は古典的教養を受け継いだのに、
信長は破壊的な資質を受け継いでいて、考え方は相反していたという感じで、
冷酷極まりない信長を人情派の光秀が打つ、という、きわめてわかりやすく描かれてましたね。

そもそも歴史というのは勝者が作るものなので、負けたものは謀反者として良くは書かれません。
なので、ドラマでも、光秀や後の秀吉の甥である羽柴秀次も、謀反者として描かれてきましたね。
でも、史料の発見もあっていろいろなことがわかってきたこともあるようです。
さて、光秀と信長、どんな風に、描かれるんでしょうねぇ。

光秀の生れた年、生れた場所は、明確にはわかっていないようです。
ウィキペディアによると、生年は1513年から1540年まで幅広くあるとか。
史料とされている『明智軍記』などによる享禄元年(1528年)説、
および『当代記』による永正13年(1516年)説の2説が有力とされているようです。
それでも、12年の誤差がありますねぇ~~
いずれにしろ、信長(1534年生まれ)より年上には違いないかな。

出生地とされるところも、近江国を含めて、6か所あるらしいです。
岐阜の明智荘にあった明智城というのが定説ですけどね。

そして、さらによく分かってないのが青年期はどこでどう過ごしたか。
美濃国の守護・土岐氏の一族であり、土岐氏に代わって観のを治めた斎藤道三に仕えた。
道三・義龍の親子の争い(長良川の戦い)で道三方でだったために、義龍に攻められて一族は離散。
その後、越前国の朝倉義景を頼って、10年間仕えたと言われています。
…『麒麟がくる』では、ほぼ、これにのっとって描かれてましたね。

史料に、初めて光秀の名前が登場するのが、2014年に発見された「米田文書」だそうです。
これは、細川家の家臣で医者だった米田貞能の子孫の自宅で発見された医学書。
ここには、光秀自身が語ったこととして医学の知識が書かれているらしい。

ひょっとしたら、信長に仕えるまでは光秀はお医者さんやったかも?という説も?
・・・ドラマの中でも医者の東庵先生や薬をつくるお駒さんが登場してますね。
ここから生まれたフィクションなんでしょうかねぇ。

歴史で習ったのでは、足利義昭を奉じて信長が京に上る、その足掛かりを作ったのが光秀。
義昭に仕えていて、このあと、信長にも仕えるようになるんですね。

さてさて、なんで光秀かですが、坂本にお城を築いた人やからです。
坂本城址公園まで、行ってきました。



光秀像があります。
公園は湖岸道路沿いに面しています。
天守があったのはもう少し、北側のようですね。



唄が作られているようで、ボタンを押すと鳥羽二郎さんが歌声が流れてきます~



すぐ前が琵琶湖。



遠く三上山が見えますが、こちらが東ですよね。
ドラマでは、妻の熙子と一緒に朝日を見るシーンがありました。
天守なのか本丸なのかわからへんけど、目の前が琵琶湖と言うシチュエーションです。
典型的な水城で、ここから安土城まで水路で行き来してたようです。
史料によると、小天守のある城郭やったとか。

琵琶湖が渇水した時に、礎石となる石垣が現れて、
石垣が埋もれてしまわないように、胴木が敷かれてその上に石垣が築かれているのも発見されたとか。

光秀が眺めた景色やと思うと、ちょっと感慨深いですよね!



この日は波が穏やか。





向こうに見えるのは赤い鳥居。
ここは、日吉大社の祭礼山王祭のときに神輿が船に乗るところですね!



坂本城の石垣跡。

このあたりは下阪本。(坂ではなく阪です!)
周辺に、明智塚とか跡地に建てられたとする東南寺などがあるようで、
時間があればゆっくりとそこかしこを回ってみるのもいいですね。
・・・・いつに行けるやら~

普段は人影が少ないと思うのですが、けっこう人が来てましたよ。
駐車スペースは10数台、たくさん停まってました~

光秀は、比叡山焼き討ちのあと、信長から滋賀郡を与えられ、坂本城を築城します。
従来の説では、仏教勢力と親密で比叡山延暦寺の焼き討ちに強く反対したと言われてました。
でも、地元の土豪への書状から、光秀は叡山焼き打ちの忠実かつ中心的な実行者だと判明。
信長の命に従ったとは言え、宗教に対して必ずしも保守的ではなかったようです。

ドラマでは、「皆殺しにしろ」という信長に対し、「女子供は逃がせ」と言うてましたね!

ミーハーの私としては、ずっと前から、宇佐山城跡に行きたいな~って思ってるんですよ。
比叡山焼き討ちの時も拠点となった場所ですが、
信長が安土城築城前に築いたという石垣が残ってるからです!
近江神宮から、宇佐山八幡宮を経て上に登って行ったところにあるらしい。

琵琶湖の眺望もいいらしいけど、山登り、行けるときがあるんかしら。

『麒麟がくる』、先週は、あの松永久秀に「平蜘蛛」なる茶釜を託されてました~~
NHK『あさイチ』に、松永を演じた吉田鋼太郎さんが出演されてたけど、
光秀と松永久秀の関係が、ああいうふうに描かれるなんて、面白いな~って思います。

脚本を書かれた池端俊策さん、『太平記』に続いて大河は2作目だそうですが、
ここから、なぜ、光秀は本能寺へ向かうことになったのか、どう描かれるか楽しみですね。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (なすけ)
2021-01-17 16:58:51
いいですね〜^^

城址公園と城跡碑のあるところ、行きたいなーと思って、Google mapsを見てたら、宇佐山城跡も見つけて、
これまた行きたいなーと思ってたところです。
山登りとなると、寒くもなく、暑くもなくという時でないとですよね。
返信する
いこいこ! (うずら)
2021-01-19 10:19:36
なすけさん、
ぜひぜひ、行きましょ!
距離でいうと琵琶湖からそれほど遠くないようです。
ただ、山登り~(苦笑)
季節の良い時に、ぜひ行きましょう!
返信する

コメントを投稿