エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

敬語が嫌ならば

2008-04-03 | 「生き方」「在り方」みたいなもの
昨日の「建て前」って「害のない嘘」じゃないかな?の記事を書いている時に思ったこと。

敬語を毛嫌いする人というのは確かにいます。
俺の主観的、感覚的なものだけど、若年層に多いように思われます。そして、あながち外れてもいないんじゃないかとは思いますけど。
だから、そう言う人達も年を重ねて様々な経験を積んでいく内に、ひょっとしたら敬語の必要性なんかをこれから理解していく場合もあるかもしれませんし、一貫して「敬語なんていらねぇ」って人もいるかもしれません。

そして、そう言う人達は、ほぼ間違いなく他者へ話すときに敬語は使用しません。
「必要ないから使わない」というのは、一見して「そうか」とも思えなくもないですが、よくよく考えてみると言葉というのは相互交通です。こっちから相手へ一方的に話すばかりじゃなくて、話す人がいれば聞いてくれる人がいるわけです。
話す側が「敬語は必要ない」とは思っても、話される側・聞く側が常にそうとは限りません。
そうやって考えてみると、「敬語は必要ない」と主張するならば、それは誰か他人に話す時では無くて、まずは、自分が他から話しかけられるときに主張すべきかな?と思ったりもしました。
これは俺の過去記事

果たして、同じ場面の別な当事者の立場になったとしても、同じ発言が出来るか?

とも、若干リンクする内容です。

「敬語は必要ない」と主張する人は、まず自分が相手に話す所からそれをスタートさせています。
俺はそれを見ると「おいおい、ちょっと待て!違うんじゃないか?」と思うんです。
そう思う(敬語は必要ない)のであれば、なおさら、まず自分はとりあえず必要ないとは思っても目上の人・先輩や上司等には敬語を使う。そして、その上で後輩や部下などに対しては「俺には敬語はいらない。そんなもの必要ない」と言うべきかな?と。
何というか、「目上の人・先輩や上司等には敬語を使うのがデフォルトである」というのが世間一般の認識であると思います。
自分の所から、その流れを断ち切りたいのならば、

まずは自分が敬語を「使う」のをやめるのではなくて、自分が敬語を「使われる」のをやめる所から始めるべきなのではないか?

と思うんです。
他へ意見(敬語はいらねぇという意見)を通したいなら、まずは自分自身からと言うか。
そして俺は、そういう在り方が格好いいなあと思います。
とは言っても、俺自身は敬語は普通に使用しますし、そもそも必要だと思ってますけれどね。


補足
ちなみに、前回の「建て前」って「害のない嘘」じゃないかな?の時に、紹介させてもらった
[非技術的雑文]匿名性をやめるために、敬語を廃止しよう!(疲労コンパイル)
の管理者tencubeさんの事を言っているわけではありませんよ。
記事の題名が「敬語を廃止しよう」となってますけど、記事内容を読むとその論点が、今回俺が主張しているのとは違う意味合いからの主張だと分かりますので。
前回引き合いに出させてもらった手前、ここで補足させてもらいました。