エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

物事の道理を知ってる人って格好いいと思う

2008-01-24 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

「gooランキング」に、こんなのがあった

実は…間違えて音読していたコトバランキング

読んでいくと結構びっくりするものもあって、正直、自分でも間違って覚えていたものもいくつかあったりもした。
まあこれはこれで勉強になったなあと思ったのだが、今回のランキングから一つ
「あり得る」
について。

正解は「ありうる」であって「ありえる」ではない。とのこと。
このページ下段のコメントからですが
『8位の《あり得る》も「ありえる」と読んでしまいがち。「ありえない~」という単語が一般化しているので「ありえる」でも意味は十分に通じますが、正しくは「ありうる」と読みます。「考え得る」などの場合は「かんがええる」ではなく「かんがえうる」と使いますよね。』
ともありました。

しかし、これに関しては「gooのニュース畑」でこんな記事がありまして

「依存心」、何と読むでしょう!? あなたは答えられましたか!!?

さらにこの記事に関連して「教えてgoo」ではこんな記事が

「ありうる」の活用について

う~ん、そっかあ。納得。
結論として、「ありえる」は単純に間違いだとは言い切れず、動詞の活用としては正解である。ただし「ありうる」の語が、そのまま文章語として固定してしまったという特殊な事情、例外的措置により「ありうる」と読まれるようになった。
なるほどね~。

物事の道理を知ってるってのは格好いい事だと思う

ここまではちょっとした「言葉のお勉強」だけど、この件に限らずに
「なぜそうなのか?」
「どういう経緯でそうなったのか」
「どういう背景があってそれが成立したのか」
というように、物事の仕組みをきちんと理解した上で、根拠を理解した上で、こういう言葉を使ったり出来る人間って格好いいよなあと思う。
もちろん、その知識をひけらかすではなく、それでいてごくごく自然体で、さりげなく。

「言葉」に限らずに、知識全般において、きちんとした土台が出来上がっていて、その上にある知識というか・・・・こういうのを生きた知識というのだろうか。

感動も知識の量や質に比例するんじゃないかな?

俺は旅行が好きなんだけど・・・というのは、俺のもう一つのブログ「そうだ、北へ行こう」を見てもらえると、そのことが分かってもらえると思うけど・・・旅をして、どこかを訪れるとその先々で様々な感動があります。
感動の受け方は人それぞれだとは思うし、どこを旅しても「別に~」って人もいると思うけど、まあ、そう言う人には旅そのものを勧めないことにして(笑)、自ら進んで好きで旅行をする人はきっとその旅先で何かしらの感動を受けることだろうと思います。
その先々で感じる感動も、歴史や風土・風習・民芸他にも特産品だとか文化財だとか、さらには伝説やらなにやら、その地にまつわる様々な事を知っているとさらに深いものになると思ってるんですよね。
仏閣等や文化遺産なんかを巡る場合などは特にそうだと思うし、その相手が大自然なんかであっても。

きちんとした知識を、ゆっくりでも広げていきたいなあ

「狭く深く」よりは「浅く広く」の方が良い。
なんて事を言う人もいる。
まあ、それはその人の在り方だろうし、その人にとってそれがいいなら、それはそれで良いんだろう。
ただ、俺は出来るだけしっかりとした知識を持ちたいなあと思う。
もちろん「さらっと流し読み」するようにする知識の得方に比べれば面倒で歩みも遅いだろうけど、そんなの「ゆっくりでもひろげて行けばいいじゃん!」ねぇ?

・・・無理に同意してくれとは言いませんけど(笑)
そういふものにわたしはなりたい(by雨にもマケズ)