昨日は、
「川の日」であり、
「竹・たけのこの日」であり、
「ゆかたの日」「乾麺の日」「ギフトの日」「カルピスの日」「香りの日」「冷やし中華の日」「ポニーテールの日」であり、
ついでに
「七夕の日」だったとお伝えしましたが、
では、
今日は何の日だったか、
お分かりですか?
代表的なのが「質屋の日」でした。
七月八日だから「質屋」――典型的な語呂合わせですよね。
まあ、良しとしましょう。
しかし――。
もう1つありました。
こちらも典型的な語呂合わせです。
それは、
「ナンパの日」。
雑誌「ポパイ」が提唱したのだそうです。
提唱するのは勝手ですが、
何だかなあ~。
おっと、
もう「帰り支度」をなさってません?
ノン・ノン・ノン・ノン…。
あきらめてください。
本日も予告通り、
一昨日からの続き、
自己満足アルバムの「ご近所散歩/その3。」です。
以前、
本文でなのか、それとも、いただいたコメントへのお返事の中でだったかは忘れましたが、
「クローズ・アップ写真は邪道ではないか?」みたいなことを書きました。
いまでも、そう思っています。
だって、
被写体だけにピントを合わせ、
その前後・左右をボカしてしまうのは、
実際に目で見た時には決してそうは映らない「虚像」であって、
言い換えれば「嘘の世界」だと思うからです。
そういう「表現方法」を、必ずしも否定するわけではありません。
でも写真はやはり「真を写す」の語源通り、
自分が目にした物を、できるだけ素直に撮って、
結果として、
自分が受けた感動を、ご覧いただいた方にも共感していただけたなら、それが一番いいことだと、
素人なりに、私は思っています。
にもかかわらず、
私もしばしばクローズアップ・写真を、これまで載せていますし、
とくに今回の「ご近所散歩」その1~3では、むしろ、
ほとんど全部を「接写」してみました。
結局、
何をどう小細工しようとも、
「下手」なのは、どう頑張ってみても「下手」なのだということを自覚する結果に、終わりはしました。
でも、
せっかく写真が好きなのなら、
いろいろなことを学ぶ1つの方法として、
クローズ・アップ写真にも挑戦してみようかと思い始めている昨今です。
よろしかったら、
ご覧いただき、
厳しい批評をお待ちしたいと思っています。
というか、
実は今日もまた、
カメラを手に近所を散歩してきたんですよね。
ということは……。
そう、なかなかご賢察でいらっしゃいます。
もしかすると?、
明日もまた予定外の「ご近所散歩/その4。」を、
載せることになるかも知れません。
いいえ、
「ぜひ、また」などと厚かましいことは、
いくらなんでも、申しませんから。
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「川の日」であり、
「竹・たけのこの日」であり、
「ゆかたの日」「乾麺の日」「ギフトの日」「カルピスの日」「香りの日」「冷やし中華の日」「ポニーテールの日」であり、
ついでに
「七夕の日」だったとお伝えしましたが、
では、
今日は何の日だったか、
お分かりですか?
代表的なのが「質屋の日」でした。
七月八日だから「質屋」――典型的な語呂合わせですよね。
まあ、良しとしましょう。
しかし――。
もう1つありました。
こちらも典型的な語呂合わせです。
それは、
「ナンパの日」。
雑誌「ポパイ」が提唱したのだそうです。
提唱するのは勝手ですが、
何だかなあ~。
おっと、
もう「帰り支度」をなさってません?
ノン・ノン・ノン・ノン…。
あきらめてください。
本日も予告通り、
一昨日からの続き、
自己満足アルバムの「ご近所散歩/その3。」です。
以前、
本文でなのか、それとも、いただいたコメントへのお返事の中でだったかは忘れましたが、
「クローズ・アップ写真は邪道ではないか?」みたいなことを書きました。
いまでも、そう思っています。
だって、
被写体だけにピントを合わせ、
その前後・左右をボカしてしまうのは、
実際に目で見た時には決してそうは映らない「虚像」であって、
言い換えれば「嘘の世界」だと思うからです。
そういう「表現方法」を、必ずしも否定するわけではありません。
でも写真はやはり「真を写す」の語源通り、
自分が目にした物を、できるだけ素直に撮って、
結果として、
自分が受けた感動を、ご覧いただいた方にも共感していただけたなら、それが一番いいことだと、
素人なりに、私は思っています。
にもかかわらず、
私もしばしばクローズアップ・写真を、これまで載せていますし、
とくに今回の「ご近所散歩」その1~3では、むしろ、
ほとんど全部を「接写」してみました。
結局、
何をどう小細工しようとも、
「下手」なのは、どう頑張ってみても「下手」なのだということを自覚する結果に、終わりはしました。
でも、
せっかく写真が好きなのなら、
いろいろなことを学ぶ1つの方法として、
クローズ・アップ写真にも挑戦してみようかと思い始めている昨今です。
よろしかったら、
ご覧いただき、
厳しい批評をお待ちしたいと思っています。
というか、
実は今日もまた、
カメラを手に近所を散歩してきたんですよね。
ということは……。
そう、なかなかご賢察でいらっしゃいます。
もしかすると?、
明日もまた予定外の「ご近所散歩/その4。」を、
載せることになるかも知れません。
いいえ、
「ぜひ、また」などと厚かましいことは、
いくらなんでも、申しませんから。
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もし、「どうです、うまいでしょう。」といわれる
と、返事に困ります。なにせ、カメラの専門知識を全く持ち合わせていませんから。
いえるのは、なんだかんだといっても、いつも、最後まで、見ちゃいますよ。
確かに、文字通り見ると「写真は真を写す」ものなのかもしれません。
でも、真を写すだけになってしまうと、
誰がとっても同じになってしまうような・・・。
撮る人が感じる心の目…。
そんなものが、写真となって私たちの目を楽しませてくれて、その人の心の目に共感したり感動したり・・・。
そんな世界も写真の楽しみ方だと、私は素人ながら
思いますよ
これからもuwanosora443さんらしい撮り方で、
uwanosora443さんが感じた写真を私たちに見せてくださいね
わたくしでございます
失礼しましたあ
あまり考え過ぎずに撮ってみますね。
そして、例えば『あじさいの花』とか、考えながら 走らせていると、あじさいの咲いている場所が、眼に飛び込んできます、(これは トイレのマークでも 同じです。(笑)
人間の目は クローズアップしてるんじゃないのかな?と、思うのですけど、また 見当違いなコメント 書いてましたら、すみません。
被写体が、向こうから目に飛び込んでくるという感覚、よく分かります。そういうことって、ありますよね。
それだけ感性が鋭くなっているんでしょうね。感性がますます磨かれている様子は、pa-manさんの写真を拝見していて、分かりますから。私の励みにもなっています。いつもありがとうございます。