矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

孔子の言葉を真似て、私は「男は60にして立つ」ことをお伝えします。

2015年04月22日 | Weblog
男のチンポコは未成年にして立ちますが、自力と自信の精神力を磨き上げるには(我が身を振り返れば)「60にして立つ」のが順当に思えています。

然るにそれより早すぎても「若気の至り」が伴うことになって失敗したり、「出る釘は打たれる」ことからして理解の無い世間にいじめられたりして片隅に追いやられたり、またそれが気に入らない邪な輩から否定反発・排除され「潰される」ことになるかもしれません。

また「私は正しい」と己の思いだけを主張したり、また不確かなことを事実が如くに錯覚勘違いして主張し続けて・執着して世間を惑わしながらも自らが「泥沼にはまる」ことになったりもします。

特に血気盛んな「若気の至り」からして熱中しすぎて、自惚れ慢心・思い込み錯覚勘違い・自己洗脳に至る人が(ブログの世界の中に)多くいるようです。

とにかく人間には良いと判断する善玉と悪いと判断する悪玉が共に表に出たり裏に出たりで、その矛盾の苦楽・苦悩が伴いますから、己自身も納得確信することができません。

然るに自信を持てないのです。

然るに揺れ動く心意識とその不信感をもっているので己の心精神を確立自立できないのです。

だからそんな中途半端なものを美化して世間に出すことも無いのです。

だから若い人ほど(余計なことで無駄とも言える)矛盾する見聞知識や体験経験を積み重ねる必要もあるのです。
然るにその積み重ねの甲斐あって、己が居るべきお似合いの場所・位置などの見極めが出来るようになってから立ち上がり動いても遅くは無いということです。

その場所・位置が良いも悪いも無い、然るに上下左右を判断する必要もない位置=中心=当たり前の=普通=が似合う心精神になっていたら上出来なのです。

然るにそれが見栄張らない・欲張らない・頑張らないで普通に生きる、然るに「楽ラク」に生きることを見極められるようになる、
その実践を60にして始めても遅くは無いということです。

ところがその実践をするには自力と自信の精神力が伴わなければなりませんから、然るに借り物の他力に頼ることから既に卒業していなければなりません。
(何度も書いていますから詳細を省きます)

然るに孤独とその自由にして、己の自力と自信の精神力でもって(それを美化すれば=誇りを持って)独自独歩に歩いていくしか他に道はありません。

然るに年代が若いほどその実践が難しいのは事実にあります。

だから孤独の虚しさ孤独感やまた世間や家族から見放されだした頃合の60代が適していると書いているのです。

また60代の元気な内に始めなければ(ピラミッドは一日にして成らずですから)どうしても他力に依存することが多くなり、結局は納得確信悟りに至る前の途中で元の木阿弥に戻るかもしれません。

ちなみに年代に関わらず有事に遭遇することになればその時が自己縮小のチャンスになることを付け加えておきます。

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