孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

余計なことを無理してそれが無駄になるのも然るにそれに見栄や欲が隠れている証拠になります。

2013年09月04日 | Weblog
完全真理が説くところの「良い悪い」で判断しないことで、然るに人を責めることにも自分を責めることにもならず、然るに不平不満にならず、然るに不安心配&恐れ怒りや嫉妬や仕返し報復ややけくその破壊意識にならずにすみます。

その良い悪いで判断する中に自分さえ良ければの「良いとこ取り」があります。
然るに良いとこ取りしたいがための「欲絡み」からして善悪損得優劣で判断する事になっているのです。

然るに良い悪いで判断すのも<欲>が原因なのです。
だから欲を持っていても、然るにその欲が出ないような生き方を書いてきました。

ところが欲が出ないようにするにも見栄っ張りが邪魔をしているのです。
然るに見栄っ張りからして欲張ることにもなっているのです。
だからその見栄や世間体&プライドを持たないようにすれば欲を出すことにもならないわけです。

然るに私にも良いとこ取りのその欲があり、然るに見栄やプライドもしっかり持っています。
それでも人間関係のしがらみから離れた過疎地で単身で暮らしているからその見栄っ張りが出ていないのです。
然るに欲を出す必要も無くなっていたのです。

ところがどっこい、必然性の低い自家菜園を自慢げにしたり、また街中では飼育できないヤギやニワトリを放し飼いにしていたことは、
然るに田舎暮らしに賑わい&付加価値&特別な価値観(然るに見栄)をつけてそれを自慢にして身近な人様を呼び込みたがるその思惑&見栄っ張りがあったのです。

然るにその苦楽を味わうことになり、然るにその自己満足よりも苦労や気疲れが多いことからして然るに後悔し深い反省になりました。

だから人様の事を気にしないで、また欲張り無理しないで、然るに気楽に生きることも一筋縄の如くに簡単には行かずにして、その実践をしながらにして自らの自力でもってして気付き続けなければ本物にはならないのです。

だから精神世界に身を置いて気楽に生きる実践をするにも欲張り見栄張りがあれば無理が伴うばかりか、簡単そうな「楽に生きる」ことでも然るにピラミッドは一夜にして成らずが如くになるのです。

=付記=
私に超能力&霊力があれば、然るに精神世界に身を置いた私の過疎地暮らしに付加価値を付けなくても人が寄り集り賑わうことになります。

然るに超能力や霊力は精神世界に付加価値(魅力的結果)を付けて人を引き寄せ呼び込むための手立てになります。
然るにその裏には(私と似通った)思惑期待の欲絡みと見栄っ張りが隠れている不完全意識を持っている事になります。

だから諸々のミイラ取りがそのミイラに陥るわけです。
然るに有能な人がそのミイラ取りになることでは無くして、
その有能な精神力でもってして独自独歩に進みながらに(自然体vs特別意識&見栄や欲などに)気付き続け、然るに己の精神に更なる磨きをかけるのが精神世界の本筋なのです。