孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

神仏霊魂の精神世界が摩訶不思議だけに「人生とは不思議なもの」になるのですね。

2013年01月30日 | Weblog
人間死すれば肉体を脱いだ命だけの意識体・魂となって衣食住やの姿形の無い「意識次元」のあの世と言われるところへ返ります。
そして人間の時に持った思い意識や執着していたその拘り未練・後悔反省ばかりが白昼夢が如くに蘇ることになります。
何故なら強い未練執着が原因からして仮初めのいっときの自己満足していたことは既に消えているからです。

そしてまた形の無い霊界では(人間の時のような)(生きていることの味わい)実感でもって新たに味わえる物・形がありませんから、過去の記憶が新たに塗り替えられることもありません。
すなわち過去に執着していたことばかりしか出てこないのです。

とにかく(絶対的に)何もすることが無くて、区切りとなる時間や気候季節感も無くて、食って寝て糞をすることも無くて、暇で退屈ですから、人間の時がしきりに蘇り後悔反省する事になります。

そして(確かな人名や顔姿がはっきりと浮かばなくても)(あの人に)騙されたや裏切られたや酷い仕打ちをされたとかで、悪い奴だ、憎い奴だ、仕返してやる、懲らしめてやるなどと執念怨念になったり、またはあの時は恥じるべきことをしたとか、たいへん申し訳ないことをしたとしきりに後悔反省する事になります。

それを簡単に書くと
この世で意識が原因のその結果を味わい、
その意識でもってあの世で後悔反省し、
学び足りなかったことを学んだり、やり直し修正するために、再び人間に生まれ変わっていると言うことです。

だから人間の次元の時に限り(前世の時の)やり直しや修正が出来るのです。

だからこの世で生きているときに、あるがままの自然体意識なること、即身成仏や生き仏と言われることなどを目指す人がいるのです。

だから現世で未練後悔・執着を断ち切らなければ来世まで持ち越し残ると言うことです。


ところで(何度も書きますので簡略しますが)
60歳まで神や仏にまったく無関心だった私が成り行きの必然ご縁の仕組みからして真坂の如くに(望みも期待も欲らしい欲も無いままに)神仏霊魂の精神世界の完全真理を知ることになり、それがいつの間にやら本物は此れしかないとまで言い切るまでになったのですが、

そこで手前味噌になりますが、
60歳にして予想だにしなかったことになり、そしていつの間にやら(自然発生的に)まったく別世界が如くの新たな人生を歩む事になり、またそれが矛盾も妥協も無い完全なる完全真理に付随した自己縮小の生き様に匹敵していたという、
これまた摩訶不思議なことになるなんて私自身が驚いているし、

尚且つこのようなブログを過去からして13年ほど書き続けることが出来ているのもおかしなことです。
何たって数十年のパチンコ愛好家が清廉潔白な精神世界を退屈しのぎに(他にすることが無くて)(趣味志向娯楽にして)書き続けるなんて矛盾していませんか。

だから過去のままに精神世界を知らずにおれば、自由勝手気ままの趣味嗜好娯楽のための人生が続いているわけですが、
ところが今のように精神世界を知っても同じく(今は独り身ですから誰に気兼ねなく)パチンコを趣味にして自由勝手気ままに生きることが出来ているのもおかしなことですよね。

ただ過去と今と違うのは生き様の形とそのゆとりとその原因となる意識(自力自信)が一歩前進したと自覚納得確信していることです。


だから精神世界は摩訶不思議なもの、
そして「人生とは不思議なもの」として、
ここに私の実感でもってして書き続けているのです。