孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

奇跡を成した過去のイエスや釈迦らも、またサイババや耕栄さんであっても、無理なことは無理なのです

2012年03月26日 | Weblog
世間一般で言われる「良い」ことを成しながらも「悪い」ことをしないで、人情や愛情が豊かで恩や義に厚く親切で気配り配慮に長けていて、先祖を敬い親孝行者であり、先生や先輩を敬う心があり、仕事熱心で上司に認められ部下に慕われ、人が集まる場所で自らが先立って動き回れるだけの自力や自信があり、地域社会貢献や慈善奉仕活動にも携わり、お年寄りから子供までに好かれ、立地条件の良いところで住み、豊かな衣食住や財にも恵まれ、見栄や世間体も良く、夫婦家族円満で、適度な運動や趣味嗜好に興じ、新たなものや形を生み出す芸術や創作の才能もあり、伝統風習や道徳を重んじ、自分が持つ知識や能力を人に教えることもできて、いつも明るい笑顔に満ちていて、周りに人が自然と集まってくるような人柄であれば、この世では申し分ないわけですが、これら全てを持ち備えている人は先ずいないはずです。

そこで何か一つでも多く身に付ける事を目指して(自己拡大して)来たのが我々人間ですが、それで果たして「幸せ」になったでしょうか。 また夫婦家族が円満に暮らすことが出来たでしょうか。
しかし誰一人としていないはずです。 だからこの世では絶対無理なのです。

それは人が集まれば比較競争意識やその差別意識・特別意識が必ず出てくるからです。
それが大きなことだけで無くても(小は大につながるだけに)見掛けの着衣であったり、背丈や顔立ち格好であったり、また行為行動表現だったりします。
また家族や恋人・友人知人に何かと思惑期待を持って接し触れ合っていることもありますから、それらが原因で不平不満やその自己満足の苦楽の繰り返しが続いているはずです。

また此れまでの自己拡大の連続で家族や地域社会の人間関係の崩壊や自然破壊や汚染拡大によって地球人類が末期的状況になっているのがあります。
しかしそれさえも他人事のように思っている人が多いことからしてこのままに突き進むことになりますから、いつの日かその虚しさを味わうことになったり、また生きる道筋を見失ったりしても、それがどうにもならないことからして精神的疲労・うつ・自殺願望になる人や生きていることが味わえない廃人同様の生き方になる人も増えてくることでしょうし、それに追い討ちをかけるように様々な有事に見舞われて「危機的状況」「絶望」「死の淵」に立った思いをすることにもなります。

その他にも大きな自然災害や被害やまた人為による有事で経済破綻やエネルギー不足や物質や食糧不足の心配や原発放射能問題、また老人王国の医療介護問題、また不安定な国家国際問題もあります。

その原因が人それぞれの意識にあることからして、その意識を変えない限りにおいてはその結果が出続けることになりますし、また絶対に解決することにはなりませんから、尚更に(今以上に)深刻な状況に進んでいきます。
だからせめても自分の意識を変えることしかありません!
そこで前頭に書いたような事柄の<思い>を一つ一つ悔い改める自己反省・修正・価値の転換・意識改革が必要になります。

しかしそれさえも他力依存や他力願望になり易いことからして、巷の信仰宗教や超能力者や奇跡を成す神懸り的な人のところへ集りたがるところがありますから、それだけにその他力に依存しない独自独歩の自力と自信からの完全真理の理解やその実践が必要になるわけです。
しかしその完全真理の理解とその実践がままならないままに過ごしている人もいると思いますが、それも自らの意識が原因ですから他力ではどうすることも出来ませんので、ほっとくしかないわけです。
もしも提言して素直に聞き入れるだけの意識を持っている人であれば既に自らの自力で実践しているはずです。

その他力・奇跡でこの世の万物の姿形を変えることが出来ても、良い悪いで判断している人間のその意識まで変えることは絶対に出来ません。
だから過去のイエスや釈迦らも、また現在のサイババや耕栄さんであっても、無理なことは無理なのです。
そこでせめても見える姿形を変えることを成して見せて人集め説教することにもなるのです。

そこで例えば、汚染された自然界の水や空気を元に戻すことが出来ても、その水や空気を汚染した人間の意識までは元に戻すことは絶対に出来ないわけです。
だから超能力やの奇跡で汚染された水や空気を元に戻しても、不完全な人間意識が原因から元の汚染された水や空気に戻ることからして、その無駄になるような事をするよりも、その人間意識を宇宙・神・愛の完全意識に戻すための説教が先決なわけです。

そこで例えば、汚染された地球の空気や大海の水やを浄化させる奇跡を成して見せれば一気に大勢の人が集まることにもなりますが、その奇跡を見て集る人の意識には完全真理を理解するその理解力や精神力に(必然性に)事欠いている場合が多いことからして、奇跡を成す人を信じて集まる人が多くなったり、棚からぼた餅や果報者は寝て待つの他力本願の人が集まったりもするし、その中には自分の思いを入れた不完全な内容でもって完全真理を歪めて伝え広める類までが出てきたりして、それらが真の完全真理の理解や実践を邪魔する結果にもなると思っています。

だから奇跡でもって難病や重病の人を元気にしても、その原因意識からしてやがて元の鞘に戻る事になります。
また精神的に疲れている人に癒し安らぎを与えることが出来ても、それもやがて元に戻ります。
だからファバラ製品で効果があった人にも同じことが言えますから、その効果を持続させるためには高額なファバラ製品を愛用し続けることにもなりますから、やはりその不完全な意識を減らしていく自己縮小の実践が先決になります。

しかもファバラによって(良いとこ取りの他力では)完全意識になることは絶対にありませんし、その他力依存のままに真坂の有事に遭遇すれば自力・精神力の弱さから困った事に思うことにもなるし、それが原因からして人間を終える時にも相当な苦しみ不安心配が伴うことにもなりやすく、また死してからのちの宇宙・神・愛の仕組みによる(必然ご縁の)意識の進化・意識次元の進化に到ることはまずなりませんから、そこで他力依存よりも自力(実の力)を付けることとその自信でもって生きていくことが必要になるわけです。