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鹿児島駅と西駅

YouTubeでは「鹿児島駅」の駅舎が小さくてびっくりしたとか、鹿児島中央駅と似た名前で紛らわしいとか言われる。この際、2004年の九州新幹線開通時に書いた文章を披露しよう。が、その前に1950年代の駅界隈の思い出を語らせてほしい。

小学校時代、東京や大阪から親戚・知人がくると、弟や姉、母とともに鹿児島駅に迎えに行った。近くなので散歩気分で、待ってる間に改札の手すりを鉄棒に見立てて遊んだ記憶がある(はた迷惑な話だ)が、のんびりした時代だったのだろう。そして、来客の荷物を代わりばんこに持ち、談笑しながら家への坂道を上った。

駅前の空地に小さい売店があり、雑誌などが市内で一番早く届く(はずだ)と、愛読する「幼年ブック」等の発売日が近づくと「もう来たか、まだか」とせっせと日参した。駅近くに肉店があったが、竹皮の包みと買物かごの時代「ハム何枚・ソーセージ何枚」とか「肉50匁」などというメモを手にお使いに行った。やがて我家に電話がついてからは配達してもらったりもした。その店がいまだに健在で店構えも立派になっているのに感動した。電話番号は4ケタで2088番。≪OOOの肉はニレパッパ≫と言っていた。下4桁は当然ながらいまも同じ2088番だ。

ところでYouTube「もー観光交通」によるとによると、2022年の鹿児島中央駅は、1日の乗客数が博多、小倉につぎ九州で3番目なのに、鹿児島駅は113番目とか。あまりにも発展したかつての「西鹿児島駅」にくらべ時代の波に取り残された感の鹿児島駅だが、江戸から戦前にかけての中心地だった「上町(かんまち)」にふさわしい、古風かつ清楚なファサードに改装されている。ここをターミナルとする市電のラッシュ時の賑わいを見る限り、まだまだ鹿児島駅は廃れないし存在感は消えないだろう。

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文章教室 課題「駅」「鹿児島駅と西駅」2004年11月7日

私の学生時代には、大阪―鹿児島間を急行で20時間もかけて帰ったものだ。今は、新幹線を使うと、5時間で行ける。それよりも、飛行機を利用することの方が断然多い。
 明治41年に書かれた「三四郎」によると、汽車で京都から東京に行くのに名古屋で一泊するといった悠長な旅だったらしい。しかし徒歩で数十日もかかった行程が一泊二日になったのだから、当時の人々から見たら素晴らしい速さだったかも知れない。
 祖父が東京での勉学を終えて鹿児島に赴任したのは明治36年だから、さらに以前のことで、果たして鹿児島まで鉄道が来ていたかどうかも定かでない。※が、彼が家を探すとき、第一に、駅に近い所をと言って、今の住所に落着いたという。鹿児島駅から北へ徒歩5,6分の所だ。日豊線と鹿児島本線の始発駅であり、港・史跡城山・役所・百貨店・七高・図書館その他が、1キロ以内に集まっている鹿児島駅は、当時は誰が見ても市の中心の駅だった。
 が、戦後、街が西南方向に発展して行き、商店街の運動もあって、首位を西鹿児島駅(通称西駅)に明けわたした。祖父も相前後して引退した。
 鹿児島では、高校を出ると、多くの生徒が進学・就職のため県外に出る。私たち五人兄妹も、順々に西駅から旅立ち、休みのたびに、またここへ帰って来た。
 指定券を買うのに何時間も行列をした西駅構内は、殺風景だったが、今度”鹿児島中央駅”と名前を変え、すっかり様変わりしたという。次の帰省には、久しぶりに、鉄道を使ってみようと、今から楽しみにしている。

※「もー観光交通」によれば、鹿児島駅の開業は1901年(明治33年)なので、祖父が来鹿した時は既に開通していたようだ。
           
八木先生評
「ふるさとも時代とともに姿を変えます。それを見て生きるのも、楽しみの一つになりますね。「今は昔」ということがどんどん多くなります。

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