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【映画】TOKKO特攻② 

2007年 米・日
監督 リサ・モリモト
出演 江名武彦 浜園重義
1h29@第七芸術劇場

ついに見ました。10日あまり経った館内は、半分ほどの入り。
で、どうだったかと言えば、私の状態のせいもあるのでしょう、
「心の琴線に触れる作品」だと、一言にして言えると思います。
実際、たびたび涙ぐみました。「ひめゆり」「ヒロシマナガサキ」など最近見た映画と比べて一番心に響きます。

リサ・モリモトさんの、やさしかった叔父が、もと特攻訓練生だったこと、
彼女が2世で、全くの日本人でもアメリカ人でも無く、日本語も良くできることが、インタヴューを受ける旧隊員の心を開き、かれらが守り続けてきた沈黙から解放したのでしょう。国中が当たり前と思い込んで邁進したことが、戦後はまるでなかったことのようになり、国の様子も人の心もガラリと変わってしまった。以前の状態を想像することは私たちには難しいことです。

出演者には、温厚で良識のある、国際感覚もありそうな紳士たちがいました。彼らによれば、初めから日米の力の差は知っていたし、無線ラヂオを搭載しているので、大本営発表(赫々たる戦果)と米側のニュースから、日本の敗戦が決定的なことも分かっていました。それなのに、現実は無益な自殺行為のような攻撃に行かされる。つらかったでしょう。

「ハメルンの笛吹き」では、ネズミが笛の音につれて次々と川に飛び込むのですが、そのように、無益な作戦で次々と優秀な若者があたら命を散らした、一体どこに責任があるのか。特攻という作戦を創出した大西中将は自ら「外道(げどう)の戦法」といい、ここまでやったら、天皇陛下が、「もういい、戦争を止めよう」と言ってくださるだろうと期待していたそうです。が、あては外れてしまいました。しかし、それなら何故自分で言い出せなかったのか。「自分がこうすれば、相手はこうしてくれるだろう」と思っていても、そうはうまく運ぶはずがありません。いくら「察しの文化」でも。

既に故人ですが、義母の弟は、学術優秀でしたが、家の都合で進学できず、17歳で海軍に志願、20歳でジャワ島で終戦を迎えたそうです。大工の棟梁をしており、弱者に優しく、ユーモアのある人でした。私が古本屋で「海軍・少年兵特集号」(昭和19年10月号:薄いのに2000円もしました)を発見して送ってあげたら、当時を語ってくれました。戦地では食料もあり、楽だったとのこと。日本での訓練のつらさが主な話題でした。よく殴られ、霜柱の上に正座させられたとか。また母方の叔父は、製油技術者として徴用され、スマトラで、米軍が来る前に、27歳の時、爆発事故で死んでいます。その彼のことは、戦後も親・兄姉には一日も心を去らぬことだったようです。

テーマソングは「同期の桜」

貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く

小学校の時、担任の男先生の歌うのをきいたことがあります。終戦当時、10代後半だったのです。しかし、日本の社会では、ずっと日陰の存在だったこの歌が男声合唱と、バイオリンの独奏で、2回も堂々と聴けるとは、思いもかけぬことでした。これもリサさんの、日本の常識やタブーから解放された2世という存在であることが、効を奏したのだと思います。この歌自体には少しも悪い所は無く美しいのに。「六甲おろし」と似たような感じ、短調でさびしげではありますが。

終りに一言。ナナゲイのある十三と言う土地を、「猥雑」と一言でくくっていましたが、視野を広げ、少し西に行くと、淀川の河畔に出て、視界が広々と開けてきます。名門・北野高校や公立図書館などもあります。


映画「TOKKO(特攻)」① →2007-8-13
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おはようございます (狗山椀太郎)
2007-08-25 08:24:57
半分ほどの入りでしたか。休日と平日では観客の出足がだいぶ違うのかも知れませんが、十日前のあの混雑を目の当たりにされていると、いささか拍子抜けだったのでは?
十三付近のご案内、ありがとうございます。近くに淀川が流れていることは知っていたものの、いざ十三で下車するとほとんど意識から消えておりました。上映までに時間が余ったときは、私も少し足を伸ばしてみることにします。

大西中将のエピソードで思い出したのですが、インパール作戦で惨敗を喫した牟田口という指揮官も「私の顔色で察して(引き留めて)もらいたかった」と語っていたそうです。「察し合い」というと聞こえはいいですが、大事な点をうやむやにしてしまう面もあると思います。政府や軍隊の上層部は、戦争を終わらせるためになぜもっと早く率直に話し合わなかったのかと思うと、やるせない気分です。
 
 
 
狗山さん、こんにちわ (Bianca)
2007-08-25 17:44:45
そうなんです、ひっそりしていました。
例の男性職員も、最初は全く気づいていないようでしたが、ロビーで展示物を眺めていたら、思い出したような気配で、心なしか目つきが変わりました。まあ、最後はにこやかに応対してくれましたので、この件は手打ちが済んだことに・・・
そんなに一々憶えているはずは無いという貴方のクールなアドバイスは出かけるのに役に立ちましたよ。

十三には本屋(駅向うの「本の市川」)定食屋(宮本むなし)ゆっくりいられる喫茶店(淀)なども、今回発見しました。お別れも近いと思うと、旅人のような感覚になります。

そうそう、インパール作戦のそのエピソード、実は私も付け加えたかったものです!牟田口氏も、ムダグチを叩く暇はあっても、肝心のことは言えない、何て甘えん坊なんでしょう、「甘えの構造」ですね。
 
 
 
初めまして (CHOOT)
2007-08-26 20:43:58
Bianca様
 初めまして。トラックバック、ありがとうございました。
 本題と関係ないのですが、『TOKKO-特攻』をご覧になった第七藝術劇場という映画館名がちょっと気になり、映画館のサイトへ行っての由来を読んでみました。時間の藝術(音楽、舞踏、文学)と空間の藝術(建築、絵画、彫刻)をつなぐ、第七の藝術だとのこと。
 なるほど…。
 ル・シネマとか、シネ・ラセットとか、私がよく行く映画館名は、カタカナ名が大流行。別に悪い訳ではないけど微かに引っかかるものがあり、『第七藝術劇場』という名前が気になったのでした。
 大阪は私にとって外国です(決して悪い意味ではありません)。第七藝術劇場のアクセスマップを見ながら、「どんな所なんだろう」と想像を巡らせていただきました。
 今後も時々お邪魔させていただきます。
 
 
 
Chootさま (Bianca)
2007-08-26 23:23:02
ようこそ、お出でくださいました。
仰るとおり、「第七芸術劇場」と言う名前には、ちょっと心を惹くものがあります。そしていざ行ってみると、もう一度ビックリするのですが・・・それは、実際に見てのお楽しみです。
「第七天国」「第七の封印」などの映画もありますよね。何れも名作にはいると思います。
つい脱線してしまいました。積極的なCHOOTさんの姿勢には私も見習い、此方からもまた訪問させていただきます。十三は「じゅうそう」と読みます、為念。
 
 
 
Unknown (claudiacardinale)
2007-08-28 16:54:26
こんにちわ。ようやく見る事ができたんですね。「特攻」の裏にははやく戦争をやめさせたいという願いがあったとは全く知りませんでした。なんともいえない、あまりにも悲惨な方法です。そういう状況だったんですね。

この手のドキュメンタリー、監督のモリモトさんのような存在がとても決め手になるんでしょうね、撮る側と被写体との微妙な関係。

そういえば約15年前くらいに「南京大虐殺」を扱ったドキュメンタリーをNYの仏インスティテュートで見た覚えがあります。観客には多くの日本人がいました。これは元日本兵などの告白で構成されていましたが、かなりショッキングでした。確かアメリカではTV放映までこぎつけたと記憶してますが、当時監督は日本にも色々アプローチしているが全く見込みなしとこぼしていました。
 
 
 
claudiacardinaleさん (Bianca)
2007-08-28 19:12:09
そうなんです、お待たせしてしまいました。
敵が油断する時期を見計らっていましたので・・・
「敵」とは、先日対峙した男性館員のことですヨ。

冗談はさておき、
「パラダイス・ナウ」でもこれに似たセリフがありましたが、生きる自由が無くても「死ぬ自由はある」と言う切羽詰った状況だったわけですね。天皇が絶対の教育を受けて来た日本人には、(教育程度の高い人やある年齢以上の人は別ですが)あの状況では他の選択肢に思いが至らなかったのではと思います。逃げ道は死ぬことのみ。やはり、そういう非人間的な状況を作り出さないことが第一ですよね。
 南京大虐殺ですが、人数が違うとかいって否定する声が絶えないことは嘆かわしいことです。ところで、私が見たのは香港・中国製の劇映画「南京1937」(1995)です。ドキュメンタリーではないのですが、欧米人の人道主義的活動が大きく取り上げられていました。でも日本でも、「上海」と言ういい記録映画が、1937年に亀井文夫により撮られていますよ!
 
 
 
Unknown (claudiacardinale)
2008-03-21 20:54:39
こんにちわ。随分前の記事ですがまたまたお邪魔させて頂きます。友人(アメリカ人)が先週このドキュメンタリーを見たそうで感銘したといっていました。私はまだ見れてないのですが・・・。

先日こちらのTVで神風特攻隊のドキュメンタリーを放映していました。こんな映像があったんんて、というのが多くありました。数日前にイスラエルから帰って来たのですが、現地の人達は、イスラエルに来たら絶対に行かなくては行けない場所といってホロコーストミュージアムに連れてかれました。こういう意識って大切なんですね、と感じました。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-03-22 13:16:28
claudiacardinaleさん、お久し振りです。・・・この映画を見たのも随分むかし・・・満員札止めに怒り狂った夏の日が懐かしいです。当地ではそんな事があると、ああ、一杯見に来ているなぁと、むしろ喜んでしまいます。しかし、英米人にとっては、被害甚大だった日本の特攻隊についての関心が途切れず続いているのですね。息の長さを感じるのですが、9・11にも共通する精神構造だからかも知れませんね。きょうTVで牧師に率いられた日本人のエルサレムツアーを見たのですが、折角ちかくにいながら、レバノンもエジプトもトルコもイスラエルにも一度も行かなかったのが悔やまれてなりません。
 
 
 
TB・コメントをありがとうございます (sannkeneko)
2008-05-18 16:37:27
日系二世で日本語を話せる監督、
日本生まれで映画の字幕翻訳や小説などの翻訳も手掛けるプロデューサー。
彼女たちだからこそ成立した映画だと思います。

>しかし、それなら何故自分で言い出せなかったのか。
>いくら「察しの文化」でも。
わかっていても言えなかった、許されなかったのではないでしょうか。
戦時下でそのようなことを口にすることは
自分はもちろん家族も危険に晒すことだと思います。
私は小説やドラマや映画の中でしか戦争を知らないのですが、
それはとても幸せなことです。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-05-18 17:05:31
sannkenekoさま
早速おいでいただき、ありがとうございます。

>わかっていても言えなかった、許されなかったのではないでしょうか。戦時下でそのようなことを口にすることは自分はもちろん家族も危険に晒すことだと思います。

一般庶民はそうだと思いますが、指導的立場にいた人たちまでがそうでは、国民はたまったモンじゃないですね。無責任な連中ばかりということでしょうか。
 
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