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同感 (フリージア)
2007-06-27 23:38:46
私も、元気な40代の時に読みました。独立心旺盛な歌子さんの、いわばカラ元気というか、内心の思いと現実との折り合わせの葛藤の部分は、きっと理解できずに、ただおもしろく読んでいたのでしょう。 

きっと今読めば、「そうはいかないわ」とか「そううまく運ぶものか」なんて合いの手を入れながら、複雑な思いで読むことになるでしょう。

ずっと同じ感動を与え続けてくれるもの、または、同じように感動する感性をもち続けること・・・どちらも難しいのでしょうね。
 
 
 
カラ元気と感受性 (Bianca)
2007-06-28 15:50:47
フリージアさん、こんばんわ。
40代で読まれましたか?
若いときのように感じないのも、経験積んで賢くなったからだと、私は常に自己肯定派なんです。
過剰な感受性が勘違いの元になることが多かった私としては、だんだん磨り減っていくのもまた良しと思っています。から元気というものは、ある意味、他人へのサービスであり、年寄りのから元気はありがたいですね。陰々滅々で世の中を渡っていけるのは、保護者に恵まれたニート、あるいは2枚目俳優の某氏くらいで、どちらにしろ周囲の犠牲が伴います。
このシリーズ、捕物帖が「親分、大変だ!」で始まるように「オカアチャン」「おかあサマ!」という、息子たちからの電話で始まるのが軽快感を出しています。聖子さんは、「機嫌よう1人遊び」していたら、そのうち神さんがご褒美を下さると、つらさや悲しさは出さず、人を愉快にする事をモットーとしていらっしゃる。けなげな戦中派だと思います。ちょっと真似ができませんが。

 
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