3月の震災から、もうじき9ヶ月。
周囲の日常は、震災以前と同じに戻ったかに見える。
私自身も3月以前と変わらずに、絵を描き、家事をし、時にはアニメや映画を観に行き、
こんな文章を書いている。
でも、どこかが決定的に変わってしまった。
3月のあの日、出身地である福島~いわきとの通信がすべて途絶えた。
TVに流れる続ける被害を眺めながら連日夜遅くまで
ネットにいわきの様子がUPされていないか探し回っていた。
私がそんなことをしている間、
首都圏で同時進行していた様々なパニック騒ぎは、ただ傍観しているよりなかった。
気が付くとスカスカになっているスーパーの商品棚、ガソリンスタンドに連なる長蛇の行列、
上空に絶え間なく響くヘリと飛行機の爆音、緊急地震速報の警告音、
計画停電を伝える市の防災無線、間引き運転される公共交通機関、
そして原発事故を巡る憶測や噂。
「逃げて、どうなるの?」
放射性物質は、目に見えない。
「なぜ今度は、チェルノブイリの時に報道でずいぶん見せられた
拡散予測図のようなものが出ないのだろうか?」
私は訝しく思いながら、いわきの状況を注視していた。
「首都圏も、汚染されてしまった」
「東京は、東北は、東日本は、もうお終いだ」
「西に逃げないと、ダメだ」
そんな言葉を聞きながらも、不思議なことにやみくもに逃げようとは思わなかった。
子どもが小さくなかったからと言えばそれまでだが、
常にどこか頭の片隅にこんな思いがあったからもしれない。
「これは、本番だ。何度も、何度も、見て来たことが現実になっただけだ。
今は、試されているだけなんだ」
当日、JRの乗り継ぎ駅の高架ホームで揺れに遭った。
本震で揺れている間中、そして余震が続く間中、
私はずっと肯定と否定の間を行き来していた。
「本当に、東海沖地震が来たの?」「いや、ちがう」
「でも、今までと全然揺れ方が違う!」「なんで、こんな時に」
「今、来るわけが、ない」「なんで、こんなに揺れるの??」
逃げられない、後戻りの出来ない、やり直しなんて利かない・あり得ない
《 本番 》。
私の両親は、戦前~戦中~戦後、高度成長、石油ショック、バブルと崩壊後、
ありとあらゆる《天国~地獄》を往復して来た《大正~昭和ひとケタ》世代。
昭和半ばに生まれた私は、高度成長の入口から《団塊世代》には頭を抑えられ、
《団塊Jr世代》からは突き上げられて、どっちつかずに押し出されながら生きて来た世代だ。
正直、経て来た経験の凄まじさゆえに親世代には、一生頭が上がらないだろうと思っていた。
あの日までは。
バブルがはじけた後に今まで当然だった
いくつもの《何か》が崩れ出していくのをうっすらと感じながら、
崩れた後に見出す答えを言葉にも、行動にも出来ずにやり過ごしていた最中に
今度の震災と言う《 本番 》が、来た。
避けて通れない、自分ではエンドマークを打てない
《現実》と言う名の、《 本番 》だ。
「逃げて、どうなるの?」
すべてを放り出して逃げなければらなくなった時は、何もかも一切合財が終わる時。
誰かを非難したり、罵倒したり増してどれがいいのか・どっちがいいのか
選んでいる暇なんて、ないはずだ。
私が学校に通い社会人になるまで過ごした1960年代後半~1970年代にかけて
断片的に現れる《 世界 》のイメージには、
常に東西冷戦下の不穏な陰があちこちに落ちていた。
アメリカ・ソビエトの2大大国の対立。中東で、アジアで、戦端が火を噴く。
《 世界中には、
人類を100回滅ぼすぐらいの(量・数)の核兵器が配備されている 》
《 毎年・毎月、世界のどこかで核実験がある 》
成層圏まで届く爆発時の雲から、《 死の灰(フォールアウト) 》が
あまねく、逃れようもなく地球上のあらゆる場所に降り注いでいた。
大人も子供も、誰しもが今よりも放射性物質を多く浴びた食べ物を食べ、
今の首都圏よりももっと空間線量の高い空気を吸いながら歩いて学校に通い、
屋外プールで泳ぎ、道草を喰い、外を遊び回っていた。
そんなことが当たり前だった時代。
⇓
★
そんな一方、その頃の日本のマンガ界は本当に凄かった。
メジャーな少年誌に《 終末・滅亡 》をテーマにした作品が
2本も(!)時を置かずに連載されていたのだから。
1969~71年 少年マガジン連載 石森章太郎(当時) リュウの道
1972~73年 少年マガジン連載 永井豪 デビルマン
(どちらも、原作マンガとは同名・別設定キャラ×別ストーリーによるTVアニメが作られている)
「デビルマン」は、人間を巻き込んだ神と悪魔の戦いと世界の終末を描き
(この作品で、新約聖書の《ヨハネの黙示録》を知った少年少女も多いはず)
「リュウの道」では、宇宙船のコールドスリープから目覚めた主人公が降り立った
《 核戦争以後の地球 》が舞台になっている。
「リュウの道」は、映画「2001年宇宙の旅(1968年公開)」の影響が濃い作品としても
知られているが、作中で語られる
《 人類社会の変容と、滅亡に至る過程 》で
《 情報社会とポピュリズムの関係 》に関して
シビアに言及している点で、むしろ今こそ再読すべき先見性~価値がある作品だ。
実際に2011年の今現在が、その中で語られているどの段階に差し掛かっているのか
思い当たる節を探し、思い定めるのが心寒くなる気さえするくらいだ。
「リュウの道」「デビルマン」両作品ともに、
現在の雑誌には載らないのではないかと思われる表現が数多く登場する。
だが、当時の対象年齢読者だった私や友人たちが読んでいる最中に
「残虐だ」「気持ち悪い」「読みたくない」と思った(話し合った)記憶は、ない。
それは、《 エンターテイメント 》として良く出来ていた証明でもあり、
多分、《 破滅美 》《 異形美 》を認識した
(ほぼ)初めての経験だったからだと思う。 実際、あれほど
「 今まで見たことのないもの・世界を見た 」気分になったことは、なかった。
そして何よりも、両作品のラストは
決して 《 絶望 》 に終わっていたわけではないのだ。
1973年。
小松左京「日本沈没」がベストセラーになり映画化され、
同時に五島勉「ノストラダムスの大予言」もベストセラーになったいわゆる
《 「現代社会の滅亡・終末」を描いて作品を成立させるエンターテイメント 》が
メジャーな世界に出現したという、後にも先にもない年だった。
現実の社会でも、第4次中東戦争によるオイルショックが起こり
戦後初のマイナス成長となったこの年は、「デビルマン」の連載が終了した年でもあり
言うなれば、マンガの世界では1960年代末~1970年代初頭の時点で
小説・映画に先んじて
【《現代社会の滅亡・カタストロフィ》を描いて、
エンターテイメントを成立させる力技・荒業】を
やってのけていたことになる。
しかし。
アニメーションの世界では、
マンガよりも早くその【力技・荒業】に手をつけていた。
今年10月の池袋新文芸座のオールナイトを観た後の席で
交わされていた、こんな会話(↓)があった。
宮崎(駿)さんは、「どうぶつ宝島」の海賊船沈没シーンを撮りたくて
「天空の城ラピュタ」を作ったんだけど、実際に作ってみると
どうしても悲惨な場面になるのが避けられなくて・・・
人間抜きでカタストロフィを描くなら、人以外のものを殺すしかないですから。
「もののけ姫」のシシ神殺しは、そういうところから出て来たのかも。
宮崎さんはほとんどのことを「未来少年コナン」でやってしまっていますから
あとはそのバリエーションという見方も出来るけど。
なぜ、かくのごとく《 カタストロフィ 》がいつの間にか
《 アニメの中で語られるべき要素 》のひとつになっていたのか。
その先駆け・ルーツは一体どこにあったのか。
この(↑)会話を元に、私の解釈も加えて逆算してみよう。
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⑤ 「もののけ姫」のシシ神殺し(1997年)
↓
④ 「天空の城ラピュタ」の大崩壊(1986年)
↓
↓ ←風の谷のナウシカ(1984年)
↓
③ 「未来少年コナン」の舞台となった文明崩壊後の世界(1978年)
↓
↓ ← 宇宙戦艦ヤマト(1974、77年)
↓ ←日本沈没、
ノストラダムスの大予言(1973年)
↓ ←デビルマン(1972~73年)
↓
② 「どうぶつ宝島」(1971年)の海賊船沈没シーン
↓
↓ ←リュウの道(1969~71年)
↓
① 「空飛ぶゆうれい船」(1969年)の都市崩壊・市街戦描写
「空飛ぶゆうれい船」の公開は、1969年。
先日の記事で引いた論文にもある通り、公開前年の1968年チェコ侵攻の報道や
第2次大戦を描いたイタリア・ネオリアリズム映画の影響とともに、
池田宏監督自身の戦時体験も映し込まれながら
「ゆうれい船」の都市崩壊のシーンが描かれていることになる。
そして「空飛ぶゆうれい船」の魅力的なエッセンスのひとつ
《 船を、飛ばす 》発想を得て甦り、世に羽ばたいたのが
「宇宙戦艦ヤマト」なのは、すでに《周知の事実~アニメ界の常識》だ。
遊星爆弾の攻撃にさらされた地球のありさまは、
「空飛ぶゆうれい船」で破壊された都市のさらに《 向こうの姿 》であり、
彼方まで墓標の続くイスカンダル星の光景は、
もっと先に仮定された《 カタストロフィ(本当の滅亡・終末) 》の行き着く果てだった。
怪獣映画の怪獣たちは《 災害~災厄 》のごとく現れ来たりて
成敗され鎮まり滅びるか、あるいは元の古巣へ帰って行くが、
スクリーンに投影された《 現代社会を襲うカタストロフィ 》は、
観客と地続きの足元を呑み込んで行く。
1954年 第五福竜丸事件 ←←← ゴジラ
1961年 ベルリンの壁が築かれる
1962年 キューバ危機
1963年 ケネディ暗殺 ←←← 鉄腕アトム(TVアニメ初放映)
1964年 ←←← サイボーグ009(原作マンガ)
1966年 文化大革命(~76年) ←←← ウルトラマン
1967年 第3次中東戦争
1968年 テト攻勢 ソンミ村事件 ←←← 太陽の王子ホルスの大冒険
チェコ侵攻(プラハの春) 2001年宇宙の旅
1969年 東大安田講堂事件 ←←← 空飛ぶゆうれい船
アポロ11号月面着陸 長ぐつをはいた猫
リュウの道
1970年 大阪万博
1971年 バングラデシュ独立 ←←← どうぶつ宝島
仮面ライダー
1972年 北爆 ←←← デビルマン
あさま山荘事件 バイオレンスジャック
ニクソン米大統領訪中
田中角栄首相訪中、日中国交正常化
「日本列島改造論」ベストセラーに
1973年 第4次中東戦争 ←←← 日本沈没
オイルショック 狂乱物価 ノストラダムスの大予言
戦後初のマイナス成長
1974年 ウォーターゲート事件 ←←← 宇宙戦艦ヤマト(TV)
連続企業爆破事件
1975年 サイゴン陥落
1976年 毛沢東・周恩来死去
ロッキード事件
1977年 ←←←←←←← 宇宙戦艦ヤマト(劇場版)
1978年 成田空港開港 ←←← 未来少年コナン
1979年 スリーマイル原発事故 ←←← 機動戦士ガンダム
アフガン侵攻
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60年代~70年代にかけて、それまでの《何か》が失われていく予兆・萌芽を
リアルタイムで体験しながら、同時に
制作者サイドの第一次体験(戦中・戦後体験×当時の危機意識)を重ねた作品と
そこから派生した作品を通して、
いつか来るかもしれない明日の《 カタストロフィ 》を
二次体験していたかつての少年少女たち。
それが、《谷間の世代》だった私たちだ。
21世紀の今、量産されるフィクションの中で
《 物語としての滅亡 》が繰り返し再生されていく。
それは、あくまで《実際にあり得ない、架空の世界》が
ボタンひとつ、コントローラーのスティックひとつでリセットされる
《プレイ》に組み込まれた《 消費 》の一環に過ぎない。
あの頃、《死の灰》を知らずに浴びながら
《 作品の中の滅亡・カタストロフィ 》を通して
自分の未来に《 いつか来るかもしれない明日 》を体験しながら
私たち=あの頃の少年少女たちは、
この世界が見せる《 漠然とした不安~絶望 》を紛わせ、消化し、
そして、飼い馴らしていた。
「これは、本番だ」「何度も、何度も、見て来たことだ」
《デジャヴ》が見せた《 いつか来る明日 》が、来た。
昨日までの《明日》が、《 今日、いま現在 》になった。
もし、《不安》という《毒》を自らのうちに飼い馴らすことなく
直に《 本番 》を迎えてしまったら・・・
一体ひとは、どうなるのか。どんな行動を取るのか。
現在、様々な場面で起きているいくつかのこと、何分の一かの出来事は
《 自らのうちに不安を見出さず、飼い馴らして来なかった 》
その結果なのではないか。
《 千年に一度の災害 》 《 原発事故 》
どちらも、「絶対に起こらない」という保証も確信もなかったのに
目を、耳を、塞いできたのは誰なのか。
「これは、本番だ」「ただ、試されているのだ」
残念なことに、今目についてしまうのは
《 カタストロフィを作品に反映させて、エンターテイメントとして
昇華~成立させる 》叡知やセンス、力技の顕示ではなく、
《 現在進行中の災害を、現実の娯楽にすり換える 》
=
《 実際起きている被害と被災した人々を【おもちゃ】にする 》
荒業とすら言えない、無神経で野蛮な卑しい所業だ。
《不安》という《毒》を【煽り・脅し】のネタに使って扇動に加担し、
まともに《不安=毒》を喰らった人たちから暴利を貪り、生活を狂わせておきながら
自分は影響の及ばない《高み~遠く》から見下ろしている者たちがいる。
《善意》の衣をまといながら、正しい答えがないのをいいことに
自分の仮定・仮説を裏付けたい為だけに
わずかに見える《事実》さえも蹴散らし覆い隠して(あるいは、無視して)
《高み~遠く》から、本当に苦しんでいる人々へ
鞭打ちつつ石を投げ、あまつさえその《 死 》すら願う者たちもいる。
そうした者たちも、そうでもない者たちも、
まとめてもろともに今、試されているのではないか。
《不安》に怯えるのは当たり前で、恥じ入ることではない。
ただ怯えるあまり出す大きな声やアクションは、
さらに周りや本人自身を掻き回すだけでどちらにも幸せな結果をもたらしはしない。
《本番》の《不安》に耐えて行くには、
日頃から多少の薄まった《毒》に慣れておく必要があるのかもしれない。
そんな気がする。
「逃げて、どうなるの?」
平成生まれのムスメたちに、東西冷戦下の雰囲気を伝えるのは難しい。
グローバル化が進み、よく言えばボーダーレス、悪く言えばすべてグズグズな今、
「2大大国の対立」そのものがひどく遠く、実感の薄い昔話にしか聞こえないらしい。
ただ言えるのは、
逃れようのない不安が覆いかぶさるあの頃を
精神の平衡を保ちつつ少年少女たちが生き延びるために
《 作品(フィクション)の中のカタストロフィ 》が、必要・必然だった。
最近、よく思い出す。
福島で流れる民放チャンネルが2つしかなかったあの頃、
夕方の時間帯には外国もののアニメや再放映のアニメ・特撮が放映されており、
本放映で見られなかった番組を埋め直すように見ていた。
《カタストロフィ》を二次体験する一方で、普通に対象年齢向けの番組もちゃんと流れていたのだ。
高校受験を控えた冬、放課後の補習をサボる生徒が続出した「タイガーマスク」最終回の日。
そんな日もあった、あの頃。
今、目の前にある先の見えない困難を乗り越えていくために
何が出来るのか、何をしなければいけないのか。
今度は私たちが考え、最前線に立ち向かって行く立場になっている。
かつて自分たちの第一次体験を作品に託した世代と同じように、
今の私たちが 《 伝えていくべきこと 》は何なのか。
私たちは、一切合財を失ったわけではない。
《カード》は手元に残っているはずだ。必ず、どこかに。
パンドラの箱の底に、《希望》が残っていたように。