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海の街『南知多町』花屋兄弟日記♪

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お江と内海物語

2011年02月02日 14時26分17秒 | 南知多町 地域に伝わる逸話

大河ドラマ『江』(ごう)を見ているという方も多いかと存じます。

私もその一人であります。



まず『織田信長』の兄弟を紹介します。

『信雄』、『お犬』、『お市』


『お市』と『浅井長政』の子には、

『茶々(淀殿)』『お初』『小督(お江・崇源院)』がおり、浅井3姉妹と称される。
長男『万福丸』次男『万寿丸』もいたそうだ。


お犬と『佐治八郎信方』の息子である、大野城(現在の常滑市青海町)城主『佐治與九郎一成』(以後、與九郎)も、今回の話には、欠かせない人物である。



天正元年(1573年)
浅井長政は織田信長と戦い、小谷城が攻め落とされた際、自害し、浅井家は取り潰しとなる。
信長から許された、お市と浅井3姉妹(長男は殺害、次男は出家)は、清洲城にて織田信包の庇護のもとに保護される。


天正10年(1582年)
本能寺の変 織田信長が横死。
信長の横死後、市は、越前 北乃床の『柴田勝家』と再婚し、浅井3姉妹も共に北乃床で暮らす。


天正11年(1583)年
柴田勝家と市は、秀吉にやぶれ自害。
浅井3姉妹は、各々難を逃れる。


天正12年(1584年)
小牧の戦いで秀吉が、徳川家康を窮地に陥れるも、
與九郎が、佐屋街道の渡しにおいて船を提供するなど家康の手助けをし、

秀吉から怒りをかう。


天正14年(1586年)
お江と與九郎は従兄弟関係にあたるが婚約、『おきた』『おぬい』(盲女)を産む。


天正17年(1589年)
天正16年に、お江の姉 茶々は、秀吉の側室となっており、
秀吉の命令で、茶々の見舞いにお江を上洛させる。

天正18年(1590年)
秀吉より大野城を召上げられた與九郎は、お江と離縁させられ、
二人の娘を師崎 千賀家に預け、伊勢の安野津城主の織田信包を頼った。


文禄元年(1592年)
秀吉は、甥にあたる『豊臣秀勝』(以後、秀勝)とお江を結びつけ、『完子』を産ませる。


文禄3年(1594年)
秀勝は、朝鮮で亡くなる。

文禄4年(1595年)
『徳川秀忠』と再婚、完子は、茶々に預けられた。

慶長9年(1604年)
お江は、『徳川家光』を産む。




ここで、補足に入る、

内海には『佐治備中守為縄』(以後、為縄)が城主をしていた『岡部城』という城があった。

大野城の佐治與九郎の父、佐治信方の妹が、為縄の妻である。


『張州雑誌』には、為縄が1548年、その子『佐治九兵衛為成』(以後、九兵衛)が1529年に没したとされているが、

九兵衛は、為縄の跡を継いだとされているため、
系図上の混乱、何らかしらの作為が存在すると考えられている。


また『尾陽雑記』によると、岡部城主であったとされる九兵衛は、天正18年(1590年)、織田信雄転封に際し浪人したとされる。

天正18年といえば、與九郎が、大野城を召し上げられた年でもあり、ここから一つの推測がたつこととなる。



大野城を追われた與九郎とおきたとおぬいは、血族でもある内海佐治家を訪ね、かくまってもらう。

そこの土地を、おきた脇とよんだ。(現在の内海北脇区)


茶々に心酔する姿は、信長の血を求めたとされる秀吉の執拗な人柄が伺える。

目的のためなら、貪欲に何でもする残虐性と周到性を兼ね備えていたとされる秀吉。


家康に汲みした逆賊として與九郎を追い立て、
お江をも側室として、向かい入れる口実としたかったのであろう。



『須佐村 付近 おきた脇』

という記述が残されているが、


『岡部城 付近 おきた脇』

と書かなかったのには、訳がある。

この年千賀家(師崎)は、秀吉の養子にあたる『三好秀次』(以後、秀次)が配置換えとなり着任している。


この秀次に、逆賊をかくまう岡部城は名をも残すな!!

そしてお江の娘たちは、おきた脇というとこにいる。

と秀吉からのお達しの一文だったのかもしれない。


この推測を可能にさせるのも、次のことがあるからだ。

岡部城が千賀家に滅ぼされたという記録はあるが、年数が定かではない。

『知多半島の昔話』によると、内海城主 為縄には、さゆり姫という一人娘がおり、
剣術大会で、優勝したものに、さゆり姫との婚約を認めるとし、
最終的には、馬世話役『岡部太郎』と家臣の息子『吹越次郎』という二人が競いあった。

岡部太郎というものが勝利し、それを不満に思った吹越次郎が、

祝宴で酔った岡部太郎を闇討ちし手傷を負わせ、その足で千賀家を訪ね、そそのかし、一夜にして岡部城を滅ぼさせた。

武術大会が行われ、岡部城が陥落したとされる端午の節句のころ、
岡部城近くには、さゆり姫と岡部太郎と思われる二つの人魂がとびかうようになったという事です。

という昔話が残っている。


この昔話で、注目するのが、

☆岡部太郎というもの


岡部太郎は、為縄の子である九兵衛とは考えれないだろうか?

岡部城の嫡男だから、太郎?

負傷し、町医者にかかっていた九兵衛だけは助かったが、城を奪われ天正18年、浪人となったのでは?



☆小百合姫は、実在したのか?


内海城主『為縄』は、一人娘がいるとされているが、よそに嫁いだとされる伝記があるという。

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