CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

夏場所のこと、大相撲のこと。

2019-05-27 18:04:36 | お相撲(スポーツ)のこと
インターネットを介して、
このブログもFacebookもTwitterも使って、
持論を展開しているので言えた義理ではないが、
個人の『批判』が、こともなく集団化して、暴力と化すことがあると感じている。

私自身、よく知りもしないで、人から伝え聞いた、
しかもネット上で知り得たことで判断し、批判をし、のちに猛省したことがある。

さて、なんの話がしたいかというと、
栃ノ心が「勝ったと思ってしまった」と言ったと伝えられている
十三日目の取り組みの判定のことだ。

そう、勝敗は、行司に軍配をもらっても、物言いがついたら、審判の判断を待つ。
行司も、栃ノ心も「人生かけてる」から、それくらいのこと充分に分かっている。
だから、審議をした上で、行司軍配差し違えと言われたら、『差し違え』なのだ。

だから「勝ったと思ってしまった。」という言葉で、栃ノ心は、自分を鎮めている。
もう決したこと、なのだ。

ところが、いろいろなところで、物議を醸している。
それに乗っかって、インターネット上では、批判のるつぼ。
それは、集団暴力と思えるほどだ。

行司も栃ノ心も「人生かけてる」ように
審判部の親方衆も、当たり前のことだが、大相撲に人生かけてる。

「目の前の」勝負審判の目を重視した。
それが、正しいと私は、言いたい。

大相撲は、誰かにヨーイドンと言われて始めるわけでは、ない。
仕切りながら、気を合わせて立つのである。
自分たちが「あった!」と思っても、手つき不十分で行司が止めることもある。
「いや!今、ついた!なぜ止めた!」とはならない。
相手が合わせないからいけないんだ!などと言わず、しっかり合わせるようにする。
審判の合図で取り組みが始まるアマチュア相撲との大きな違いだ。

そして、実はビデオを勝敗の判断の一助にすることを始めたのも、
他のスポーツに比べて、早いことを申し添えておく。
確か、1970年代には、ビデオ判定を物言いがついた場合の参考にしている。
あくまで参考だ。
それが、大相撲だ。

ただ、物言いが付かなければ、行司軍配が勝敗を決する。

おいおい、違うんじゃないの、物言いつけておくれよ。。。
と言いたくなることも、もちろんある。が、先日書いたように、
物言いがつくような相撲とってちゃダメだろと思い直すわけです。

ビデオ室の判断を参考にしたが、最終的には、一番近くの勝負審判の目を重視した。

そして、勝負は決したのです。
それが大相撲です。

そういった大相撲の醍醐味を知って欲しいし、楽しんで欲しい。
『大相撲が駄目になる』とまでおっしゃている方がいるようだが、それは違う。

大相撲という歴史と文化を大切にする。
守ることは守り、変革すべきことは、する。
今、真摯に取り組んでいるその姿を見ながら、
私は、どうしても書かずにはいられなかった。

三役経験のない平幕の朝乃山が初優勝をしたのです。
そして、栃ノ心が、10勝をあげ、大関に返り咲くのです。
貴景勝は膝を痛め休場、来場所は角番。
遅い出世の竜電が、しっかりした相撲を取っていた。
技能賞を取っている。
それが、この夏場所です。
十二番の優勝を平幕に許したということを、
役力士は、しっかり考えなければいけない。

昨日の千秋楽打上げパーティには参加できなかったが、
阿武松親方、おかみさん、阿武咲、武政、若山、みんなみんな、応援してるよ。
蘇、お疲れ様でした。
怪我に苦しみながらも頑張ってきたね。
頑張ってきたことすべてが、蘇の身体に染み付いている。
新しい人生をしっかり一歩ずつ歩むんだよ。
慶天海、苦しいね、頑張れ!
気持ちを切らさず、怪我に気をつけて、頑張れ!

というわけで、中泊の竹内さんからいただいたおかきを食べながら。。。
つらつら気の向くままに、書いてみたお邦なのでした。
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