CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

まるで芝居の稽古の様だ・・・

2017-07-29 07:55:41 | 表現にからむ様々なこと
もちろん・・・そこに演出家もいないし、
いるのはピアニストと私だけ。

そして、楽譜があって歌詞がある。

たぶん、それは『歌』のレッスンなのだろう。

でも・・・この頃、そんな気がしない。

私は、7年前、初めてシャンソンのグループレッスンに参加したとき
とにかく、『歌』ってどうやってレッスンするんだろう・・・と
そのことが、よくわからなくて・・・
まぁ・・・グループレッスンは、今思うと『音楽の授業』に近い感じがあった。

なにかレッスンで取り上げてほしい曲はある?ときかれ
『アコーディオン弾き』を私はあげた。
グループレッスンではやらない曲だとのことで、
半年もたっていなかったが、発表会もあるとのことで、
『アコーディオン弾き』やってみる?と言われ・・・
個人レッスンがスタートした・・・

あの頃先生からよく言われたのは『変な日本語』というフレーズ。
つまり、フランス語のイントネーションに添えられたメロディーなわけで
日本語で歌うと、メロディーに忠実だと日本語が変になる。

『音痴』『音痴』と言われ続けて育った私は、
メロディーと違う!と指摘されると、途端にドライマウスになるくらい緊張する。

『日本語が変だ・・・』と言われると、
素直に『え・・・そんな・・・変な日本語になってるのか・・・』と思えるし、
『コトバ』と向き合う分には、楽しくて仕方ないわけで・・・

音楽嫌いの私が、こうして『音楽』とかかわり続けているのは、
この最初の出来事がポイントだったのだと思っている。

『歌を上手に歌おうとなんて思わなくていい』
これが、指導の基本にある。

かといって、ピアニストは演出家ではない。
だから、演出家としての目線ではなく、
音楽家としての目線を私に向けているようで・・・
『私は演出家ではない』と何度も言われた(笑)

先生の許容範囲を超えて、音やテンポがずれたりすると指摘される。
なんだよ、自由に歌っていいって言ってるくせに
結構縛りあるじゃん!とか思ったりもするが・・・
それがなかったら、とんでもないことになっているのかもしれない(^^;

その『許容範囲』ってやつが、指導者によって違うわけで・・・
まぁ演出家も同じことが言えるのかもしれない・・・
この『許容範囲』が生み出すものっていろいろある。

ただし・・・『許容範囲』があっても
表現する側の引き出しの数が問題なわけで
表現する側の引き出しが少なければ、
それを少ない引き出しの中から、引き出し、
どうまとめるかってことも必要だったりするんだろうな・・・演出家って・・・

よくわからないこと・・・つらつらと書いているが、
最近・・・レッスンが少し変化した気がする。
それは、私自身が変化したってことかもしれないが、

まるで芝居の稽古の様だ・・・

私の中でほんの少しだけ『歌う』ということが自由になってきたのかもしれない。

つまり、音程やテンポという縛りの中で、少しだけ自由になった自分がいる。

5年以上前に一度歌って・・・その歌の大きさ重さに自由になること叶わず、
お蔵入りだった曲を今回持ち出している・・・
昨日のレッスンまで、たぶん、越えられないだろうな・・・と思いながら、
それでも、あれやこれや、どうしたらいいのかを考えていた。
歌うのではなく、言葉を伝えるために、何をどうすればいいのか・・・

少しだけ、見えた・・・気がする。

いま、私の中で感じていることが、たまにこれだ!って思うことが定着するには、
まだまだ時間が必要な気がする。

それでも、7年経って、やっと、少しだけ『自由』になる瞬間が生まれるようになった。

自由になりながらも、わからない楽譜とにらめっこしたりして、
私の勝手な発見を繰り返す・・・そのたびに『へぇ~』と思ったりするわけだ。

知らないから時間もかかる。
できないから時間もかかる。
興味があるから時間をかける。
発見があるから求め続ける。

そんなことの繰り返しで・・・うん、ソロライブ、きっと面白いぞ!と自分で思う。
が・・・間に合うかなぁ・・・という一抹の不安もある。
その不安が、大事な気もする。

さぁ・・・昨日の録音、確認しなくっちゃ!
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