CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

臓器移植法成立から20年らしい。。。

2017-10-21 10:19:03 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
この頃、話題になっている。
20年という節目だからということもあるからだと思う。

私は残念ながら、この法律が成立したときにすでに『白菊会』の会員だった。
つまり、臓器移植はできない。
私は中学生の時に『白菊会』に準会員として登録している。
調べたことは無いが、これは、後にも先にも私一人なのではないだろうか・・・

『白菊会』とはなにか。
献体・・・という言葉をご存知の方は少ないかもしれない。
当時、角膜を提供するためのアイバンクの方が有名だった気がする。
献体とは、死亡後、遺体を大学病院に提供し、解剖学実習に役立ててもらうというものだった。
当時、まだ献体数も少なく、
ご遺体一体の周りにの学生がたくさんいて、実習にならない実態も伝えられていた。

我が家は、母が若い頃から東邦医大とのかかわりがあり、白菊会に入会していた。
白菊会の存在は病気を抱えていた母の生き甲斐ともなっていたのだと思う。
その活動の中心・東大医学部の幡井先生などとも交流があった。

そんなこともあり、私にとって、『献体』は特別なことではなかった。
子ども心に解剖学の実習で遠目に臓器を眺めただけのお医者様が
執刀するような事態になったら大変だと思った。
現実的には臨床(現場)で鍛え上げられていくわけで、
今考えると私の考えは、突飛だと思うが・・・そう思った。

というわけで、私は身体ごと献体しているので、臓器移植たぶんできないのだと思う。
というか、しないほうが解剖学の勉強になる気がする・・・

しかし、今現在、献体数も多いらしいので、ちょっと白菊会に問い合わせてみようかな・・・
ドナー登録が可能かどうか・・・

などと、ニュースを見ながらつらつら考えた。

どうも、完全に死んだ後の遺体を役立ててくださいというのと
脳死状態で臓器を提供します・・・というのでは、ハードルの高さがちと違うようだ。

私は、どちらもまったくハードルを感じないタイプの人間なので、
より人々がハードルが高いと思う方に登録すべきかもしれないと思い始めている。

つまり、私は命に対して達観しているところがある。

しかし、私が達観していても、
脳死状態や、死亡が確認された状態では、そういった本人の意志はそこにはすでになく、
『家族の覚悟』にゆだねられる。
我が家族は、この点に関しては、私を充分理解しているので大丈夫だと思うが、
白菊会でも入会時に家族の承諾も得るのだが、いざ、『その時』になると
遺体を切り刻まれると思うと・・・という家族も出てきて、献体できないこともあるらしい。

つまり・・・『命』について、特別に話さなくてもいいから、
なんとなく話題にしたり、考えたりする機会があることが大事なのだと思う。

臓器移植法成立から20年・・・
臓器移植というその行為を考える時、命に想いを馳せてほしい。

そして、その人の命を大切に想えばこそ、
その人の生前の想いを理解してほしいと思う。
ただ、理解するには日ごろから・・・
普通に、命に想いを馳せる環境にあることが大事なのかもしれない。

自然や命に想いを馳せる時間・・・持ちたいものだと、私は思う。

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2017-10-21 06:02:19 | 日記
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