九月二十九日 晴れ、宿は同宿と記し、その宿のランク付けでしょう上印をつけてあげるとご機嫌です。それにつれてか気持ちよく起きて障子を開け、昇る太陽を眺め文字通り「陽と共に起きた」と平和です。そして今日限りで都会を去って山間部に入ろうと決め、食後ゆっくりと九時から三時まで遊楽地を行乞します。「今日の行乞中に二人、昨日は一人の不遜な中年女にでくわした、古い型の旧式女性から、女のしほらしさ、あたたかさを除いて何が残るか!」何が不遜で怒っているのかは書かれていません。追々山頭火の焦燥ちがはっきりとしてくる筈です。<o:p></o:p>
「両手が急に黒くなった…」と言い、その理由として毎日鉄鉢を捧げ秋日に焼けたといい、流浪者の全身、特に顔面が誰でも日に焼けて黒いと托鉢の容易でない内情を語ります。そして「日に焼けると同時に、世間の風に焼けるのである、黒いのはよい、濁ってははかない。」と意味深長な言葉を吐露しています。そしてお布施を与えてくれる人に感謝の気持ちと反省の言葉を忘れません。<o:p></o:p>
「行乞中、しばしば自分は供養をうけるに値しないことを感ぜざるをえない場合がある、昨日も今日もあつた。そんな時は、早く通り過ぎるやうにする。貧しい家から全財産の何分の一かと思はれるほどの米を与えられるとき、或いはなるたけ立たないやうにする仕事場で、主人がわざわざ働く手を休ませて蟇口を探って、銅貨の一二枚を鉄鉢に投げ入れてくれるとき。…」<o:p></o:p>
このことは今の世の中と変わりないのではないだろうか。とかく金持ちの財布の紐は固く、貧乏人は割りとおおまかである。これが延々と続けば両者の差はつくばかりと言えます。<o:p></o:p>
宿では同宿の酔っ払いに眉をひそめ、この地方では酔うて管を巻くことを「山芋を掘る」というのに面白い言葉であると言ってます。なんとなく意味が分かるような気も致します。<o:p></o:p>
途上即事<o:p></o:p>
笠の蝗の病んでゐる<o:p></o:p>
死ぬるばかりの蝗を草へ放つ<o:p></o:p>
放ちやる蝗うごかない
うたのすけさんを通じて山頭火に触れて、丁度良いようです。
直接読んでたら僕は間違いなく投げ出します。
自分に置き換えてしまい読み進めないでしょう。
今日は。
読んでいて息苦しくなるときがあります。またなぜか救われた気分になるときもあります。
「古い型の旧式女性から、女のしほらしさ、あたたかさを除いて何が残るか!」山頭火さん言いますねぇ。なにも持たないわたくし脱帽し、俯くしかありません。
うたのすけ様が、こうして山頭火に惹かれてきた心模様も重なります。
「山頭火を読めよ」と勧めて下さった中学時代の同級生が昨年12月に亡くなったと知り、宿題を持たされた感じでおりました。
不勉強な私ですが、幸い解説して下さる内容がよくわかります。
最後までよろしくお願い致します
今日は。
なにを仰いますか。
しかし山頭火うまいことを言いますね、脱帽です。
中学時代のお友達がなくなりましたか。お互いそういう年頃に突入しているのです。くれぐれも御自愛下さい。
今日は。
「宵越しの金は持たねえ」なんて粋がるのは昨今はませんね。しかし金、金、では味氣ないです。
今日は。
これはうっかりしてました。山頭火の由来はどの辺にあるのでしょうか。また調べて分からないと眠れなくなります。(笑い)