Sideway

気のおもむくまま。たこやきの日記的雑記。

最近の若者?

2005-11-25 | 日記。
ついでだ、勢いだ、もう一本!!
と、言う事でもう一本書きます。ひたすら書いてます、今日。

お題目のネタについて。
こっそり行きつけブログである、思考世界さまの、社会の「歪み」という記事について、ちょっと考えた事など。
この著者様はUnder The Shining Skyで大変お世話になった(他の作品も山ほどお世話になっている)「続・小説の主張」の管理人様です。
TB飛ばすかどうか、この時点では決めあぐねていますが、どうしよう……ふふふ、あまりに大御所すぎて畏れ多い。

で、本題。
何故人を殺してはいけないのか。……って、考えた事ありますか?
私はあります。結構みんな考えるんじゃないかな~、中高生の間に。どうでしょう?
いや、まあ、アレです。誤解のないよう言い訳かましときますが、
「殺してはいけない」のは当たり前の前提です。はい。
基本的には、犯罪者にも人権はあるべきだろう、という考え方です、私は。

この間、女子高生が母親に毒を盛る事件がありましたね。
あれから、サーチエンジンに「殺す」ことに関する小説の登録をする中高生が増えたそうです。
どしぇー、というのが正直な感想です。

リンク張った記事では、最近の子ども達は「とても論理的」で頭がよく、かつ「心やコミュニケーションを欠いてしまっている」と言っておられます。
なるほど、怖い……実感した事ないけど、怖い。
しかし一方で、「今の子ども達は『好きか・嫌いか』でしか判断しない」という主張も目にしたことがあります。もしかしたらそちらは、古い主張かもしれませんが当たってるかも、と思った覚えがあります。
対立してるようですが、どっちもどっちで何か欠けた、歪んだ状態であることに間違いはありません。

ところで、私も「若い」うちです。
21で年寄りとは言わせません。(きっぱり)
のでので、大人の方々の視点とは、また別のとこから見てしまいます。
つまり、
「それって、自分もあてはまるん?」
と。
以前にも書いたことがありますが、
「へえ、どうする? うちらってオカシイらしよ?」
という感覚。
もう、我々の14歳くらいから延々騒がれていますから、ずっと大人たちに危険物扱いされながら育ってきた世代です。はたして、自分はその危険物のうちに入るのか? 入るとしたら何故なのか。入らないとしたら何故なのか。その辺が興味のあるところです。ズバリ、そういう危険物な彼ら彼女らは、私と通じる部分があるのか? と。
私はまあ、家は祖父母がいて曾祖母に育てられたひいばあちゃんっ子、田舎だし、親の考えはまっとうすぎるほどまっとうで、家族に波風立った事も……まあないとは言わんが普通程度。親に「お前、古風だねえ……!」といわれる程度には昔人間。
だけど、現代の学校教育を受け、現代の空気を吸って(=現代の社会背景の中で)育ってきました。その自分への影響はいかなるものか。今の若者達に関する考察に思い当たる事も一杯あるし、共感する事も多い。でも、それらは「思春期」に誰しも通り過ぎるものなのか、それとも「今、私たちだから」感じる事なのか。その線引きは非常に難しいだろうと思います。

自分はどれだけ「歪み」に晒されて、どれだけ「歪んだ」子達と通じられるのか、そして、どれだけ「まっとうな大人」との相互理解ができるのか。あるいは、そういう「歪んだ」子たちというのは、私とも通じない、大人たちとも違う、全然別の生き物なのか。(そうじゃないだろうけどさ)
そこの繋がりが見えれば、こんなに気持ちの悪い風景で世界を捉えることもないだろうに、と思うのです。「どちらでもある」という今の自分独特の感覚にナニができるか? とか考えてしまったり。

しかし、そんなに秀才じゃないけど~……理論的とはよく言われました。
基本理屈屋です。理詰めは得意。その理由は知らない。多分持って生まれた性格じゃ。

え~、ナニが言いたいのか全然分からなくなってまいりました!

人間は、「自分」と「他人」を分けて考える生き物です。
一度「自」としたものは、「同じ人間」として扱う。逆に、「他」としたものに対しては意外と、恐ろしいほど、ナチュラルに容赦がありません。
これは多分、幼い頃の方が顕著だと思う。グループ抗争とか仲間はずれとか、いじめ、イジメとまでいかなくても悪口。
割と体型のコンプレックスがあったり何だりとあったので、そういうのには晒されてきたし敏感でした。
それでつくづく思ったのですが、下に挙げた人身売買レベルの差別じゃなくても、人間と言うのは普通に、何気なく、他人を「人間外」に見ることができるものなのです。
そんなことない? 本当に? 第一印象や噂で「キショ!」とか思った人を、貴方はどう扱ってきましたか? あるいは、趣味や気の合わない(と、思い込んでいる)グループの子達とか。平気で毛嫌いしてませんか? その時、相手が「自分と同じ人間だ」という感覚はありますか?

レベルは様々です。でも、「自分と同じ」として見てないことって多いですよ、必ず。そしてそれは、「自分だったらどうしよう」とかいう「共感」の感覚が抜け落ちてる状態です。

(うわ、今、ソレがうちらの世代の歪み!? とか思った!)

そして、そういう「他」として捉える感覚は大人と若者などと言ったレベルでも存在すると思います。
とても、気持ち悪い。
幼い頃の感覚、若い頃の感覚、どんどん抜け落ちていきます。
「私、子どもの感覚をなくしたくないの!」とか言い散らす、本当に「ガキ」な大人ほど子どもや周囲にとって迷惑な存在はありませんが、「その頃の自分はどうだったか」を覚えていないと、やはり共感も難しい。
いや、だからどーだってワケでもないし、「最近の若者はどーたら」と評する方々が間違ってるとも思わない。批判するつもりもありません。
対策を立てるのには客観視は必要でしょう。

でも、それって「本当に理解しようとしてる視点ですか?」と問いたい。
自分がなまじ、どっちつかずな位置にいる分、そういう気分が強いです。

……なんてな事を、少年関係の話を目にするたびに思います。
ええい、まとまりがつかなかった! しかも随分話の内容がリンク元記事さまとずれた!!
ので、TBはなしで。

それでは、ああ、書いた!!

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