観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「(理系人材と)GX」「北方領土」を考察・纏め予定。放置気味ですが、忘れた訳ではありません。

セルフコントロール教育、幼保の関係

2018-02-24 12:19:14 | 政策関連メモ
教育政策を考えていて最近気になっているのがセルフコントロール教育です。ただし、筆者はわりと好きなように生きているタイプです。別にそれで別段迷惑をかけているつもりもありませんし、その結果に対する責任は自分で勿論負いますし、後悔はしていませんね。そういう訳ですが、自分なりの視点でセルフコントロール教育に関して考察します。

子どもを伸ばす「セルフコントロール」ってなに?(マイナビニュース 2016/01/13 09:58:00)

>子ども時代のセルフコントロール能力が高いほど、成人後の健康度や社会的地は高く、困窮度は低くなるというデータもあるようです。

大人になってからこういうセルフコントロール能力を磨くのも難しいかもしれませんが、健康の問題もありますし、やらないよりはマシなんでしょう。家庭の躾がもっとも重要でしょうが、学校でもやれるかもしれませんね。というより学校である程度やれてなければ、家庭での躾がキチっとしてない場合、ノーチャンスということになってしまいます。

そもそもセルフコントロールとは何でしょうか?

セルフコントロール(ウィキペディア)

>セルフコントロール(Self-control)、克己(こっき)、自制(じせい)とは、誘惑や衝動に直面した際に、自己の意思で感情、思考、行動を抑制すること。直接的な外的強制力がない場面で自発的に自己の行動を統制する行動プロセスである。

外的強制力がない場面で自己の行動を統制するのがセルフコントロールです。つまり外的強制力を持ってセルフコントロール能力を身につけさせることは出来ません。強制力=躾で特定の習慣を身につけさせることはできると思いますが、型に嵌るでしょうし、そうした手法で新しい習慣を身につけることはできないと考えられます。強制力がない状況下で自身の判断でセルフコントロールできれば、様々な状況にも対応できると考えられます。

>「短期的利得が長期的損失あるいは(短期的利得以上に得られる)長期的利得と対立する状況下において、長期的結果を選ぶ能力」ともされ、たとえばアルコール依存症の患者では、飲酒をセルフコントロールする能力が喪失しているため、自分では飲酒をやめることができなくなり長期的には健康を害してしまう。

何が長期的利得かという知識も必要ですが、それが分かった上で欲望を抑えて短期的利得を選ばない能力がセルフコントロール能力なのでしょう。お酒は飲まないも選択肢ですが、お酒に強い人はほどほどに飲むのは構わないのではないかとは思いますね。イタリアの長寿地域でワインはよく言われますね。勿論アル中が健康に良い訳はありません。教育を通じて児童がセルフコントロール能力を身につければ(例えばアル中にならないよう自分を抑えるテクニックを学べば)、より良い社会になるのかもしれませんね。ただ、子供時代はそもそも飲んではならず、大人になってから飲む機会ができますので、直接的に躾でこれを教えることはできません。それを考えても、個別の習慣づけとは別にセルフコントロールのテクニックそのものを身につけさせたり、アル中は如何に怖いかを教えることも必要だと考えられます。基本は家庭の躾ですが、じゃあアル中の家庭に育てば、親を反面教師にしない限り、ノーチャンスなのかという議論も有り得ます。

>研究によれば、セルフコントロールは筋肉のようなものである。それは感情的なものか行動的なものかに問わず、エネルギーのような限られた資源であるという。つまりそれを過度に使用しすぎると、短期的には枯渇してしまうのである。しかしそれを何度も繰り返していくと、強化され容量が増えていくのだという。

単に欲望を遠ざけて無菌室で育てば逆に欲望に弱くなるという見方もできるのではないかと思います。セルフコントロール能力もトレーニングで強化できるというような見方は面白いですね。まぁこの情報が真実だとしても(脚注文献は英語で確認していません。昔メンタルトレーニングに関心をもった時(結局実行できませんでしたが)、買った本も英語の本の邦訳だったような気がします。日本人でこうした分野に興味を持つ人自体少ないのかもしれません)、トレーニングだと自覚していなければ、できないとは思いますが。

>バラス・スキナーの研究 Science and Human Behaviorにおいては、人が自分を制御する方法として9つの方法が挙げられている。

>感情状況を操作する
>私たちはある反応を引き出すために、感情的な状況を操作する。たとえば劇場が代表例である。俳優はある人物の役を演じるとき、必要に応じて辛い記憶を引き出し、意図的に涙を流している。

>嫌悪感を使う
>嫌悪的な刺激は、対象となる行動をとる可能性を増減させる手段として用いられる。

>罰
>望ましくない行動に対して、自分で自分に罰を与えること。たとえば僧侶や宗教関係者などが行う、自分自身の鞭打ち行動に見られる。

>"何か他のことをする"
>スキナーは「汝の敵を愛せ」といった訓示に見られるように、様々な哲学や宗教がこの原則を実証したと指摘している。怒りや憎しみに満ちているとき、我々は自分で「何か他のことをする」、あるいはより具体的に応答とは関係してない事をやることで、自身を制御しているのだという。

全部意味があるんでしょうが(気になる方はご自身でご確認ください)、筆者が気になったのは引用した4点ですね。全体的にパーソナルなテクニックが多いと感じます。個人的にはセルフコントロールに課題がある人間として、できていることはあまりありません。そのまんまですね。

>ひきこもりと発達障害の関連性を示す特徴の一つとして、感情や情動のセルフコントロールが困難であるために些細なことで気分が不安定になって落ち込んだり、腹を立てたり無気力になるといった傾向があげられている。

遺伝的な傾向もあると思います。発達障害児のセルフコントロールに関して研究もあります。

ADHD等児のセルフコントロール能力を育てるための支援の工夫~学級活動を通して~ (那覇市立教育研究所 那覇市立金城小学校教諭 當眞 聡子)

確か松野博一議員も講義の時に発達障害について言及していたように記憶していますが、日本の親は子供に個別のプログラムを組むことに否定的な傾向があって、皆と同じ普通の教育を望むのだそうです。国民性もあるでしょうが、こうした専門的な知識を知らないということもありそうです。個別のプログラムなら上手くいくものを普通に扱って予想通り上手くいかないというようなことがあるとすれば、残念な話ではあります。

小学校生活を円滑にスタートさせるための幼稚園における取り組み ― 有効な連携で「具体的支援」を小学校につなぐ ―(『特別支援教育コーディネーター研究』(6 号)2010年3月 山中久美子 兵庫教育大学)

近頃は文部省管轄下にある幼稚園でのセルフコントロールに関する教育や幼小連携も考えられているようです。厚生労働省管轄下の保育所がセルフコントロール教育を全く考えていないということもないと思いますが、どちらがどの程度やれてどういう体制が整っているか、必要な体制整備をするためにどの程度投資をしなければならないのか、その負担はどうするのか、管轄が違う以上保育所と小学校の連携に問題もあるかもしれませんし、課題は山積みかもしれません。0-2歳時の保育にセルフコントロールはあまり関係ないような気はしますが(超ド素人の考えです)、幼稚園に行くぐらいになったら、保育所でも必要な教育はしないといけないのではないかとも思います。保育所を幼稚園化していくか(保育所にもメリットはあるかもしれませんが、筆者には良く分かりません。子供を預かるだけで教育に欠けているようにも見えますが)、保育所は0-2歳児に集中して待機児童の解消に力を入れ幼稚園を設立していくか、幼児教育の必要性を認識した上で、省をまたいだ役割分担の整理と連携を考えていくべきなのかもしれません。

何となくセルフコントロール術を身につけないまま大人になった人も今からでも遅くはないのかもしれません。出来る女性はこっそり努力している!セルフコントロール術(A_Angel)、成功者がもっている「優れたセルフコントロール能力」の身につけ方(cafeglobe)

セルフコントロールとはやや違うかもしれませんが、メンタルトレーニングなんかはプロスポーツの世界(芸術家や企業経営者の間)でも行われていると言いますね(本田圭佑が持つメンタルの秘訣はそぎ落とすこと…メンタルトレーナーが説く勝負を分ける力とは サッカーキング)。

心の教育と言いますと、道徳教育が注目されがちですが、こうした科学的観点から心を考えるようなことがあってもいいのかもしれません。道徳教育で社会的規範を学ぶことも、特に家庭教育でそのような教育が重視されなかった場合、重要だとは思いますが。社会的規範に関する知識があっても必ずしも実行できるとは限らず、テクニック的なものの学習も必要なのかもしれません。


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