観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「(理系人材と)GX」「北方領土」を考察・纏め予定。放置気味ですが、忘れた訳ではありません。

皇位継承問題における大同小異

2018-06-09 19:33:23 | 政策関連メモ
将来続く可能性がある皇位継承者が事実上悠仁様しかいなくなっているというのが皇位継承問題ですが、これで男系VS女系のような話になっているのは、捏造というかほとんどデマに近いと思うんですよね。筆者は女系容認論者ですが、大同小異をあえて考えるなら、悠仁様派と愛子様派に本来はなると思う訳です。元々愛子様派と旧皇室派の争いだったから、今の現状になっている訳で、その意味で必ずしも間違っている訳ではありませんが、悠仁様の誕生で現状は大きく変わっているのに、昔の構図を何時までも当てはめられることに大きな不満がある訳です。筆者は悠仁様誕生まで皇位継承問題を深く追及したことは無く(小泉政権時は何となく小泉派でした。郵政民営化は支持していますが、首都移転など小泉政権の政策を全て支持した訳ではありません。愛子様でなければならないと強く考えた記憶が無く、悠仁様が生まれて安堵した記憶しかありません。小泉政権以後第一時安倍政権のバッシング以後、ムキになっていろいろ考えるようになった経緯があります)、女系容認というと愛子様を強く支持した側だと印象されると思いますが、簡単に言うと間違いだと思っています。別に愛子様どうこういうのはありませんし、こんなことを書くのはどうかと思いますが、筆者は皇太子様や皇太子妃様や小和田家を擁護してきた訳ではなく、別に強くバッシングした覚えもありませんが、いろいろ報道されましたが、大丈夫かなと思ってきた方であり(小和田家が日本の象徴に嫁ぐにしては国際派に過ぎ、精神の病に関する理解が日本にあまりないという経緯があったと思います)、発言や感情を追えば、寧ろ皇太子様に警戒される部類の考え方であって、その意味で大同小異で言えば、自分の中では完全にいわゆる保守派の主流派に属してきた訳です。女系容認論が保守派ではかなり少数派は認めますが。いずれにせよ、筆者は論理的に言って明々白々とした男系論者であって(悠仁様支持がその証拠ですし、女系でも長子相続などと一言も言っていません)、女系にカテゴライズすることそのものがほとんど有り得ない訳です。他の女系論者の論はほとんど知りませんが、筆者の女系容認論は正確に言うと、男系論者の超傍系・長期臣籍降下アウト論を経た女系容認論になります。女系もアウトと言えばアウトかもしれませんが、全部アウトで皇室存続のため何れかの選択肢を復活させる上で、直系を重視するという論理構成のつもりです。

今、愛子様派というのはあるいは存在していないのかもしれませんが、感情面のシコリとしては、愛子様派は存在していてこれが女系容認に繋がっているように見え、小和田家と喧嘩したいの意識はありませんが、筆者が女系容認論だからと言って、小和田家を擁護してきたように見られるのは全然違うと言いたい訳です。擁護は寧ろ立派かもしれませんよ?でも筆者はそれをしていません。特に強くバッシングした記憶はありませんが、中立だったとか無関心だったとかそう言い切れる自信は全くありません。皇室問題をいろいろ考え始めたのも悠仁様誕生以降と思いますが、後はお察しくださいということです。その辺に強く拘るのは、伝統を全く尊重する意識もない左派系が女系容認論に入り込んで、筆者の中で誰?という意識があるからです。勿論女系容認派と旧皇室派・男系絶対派とが対立したら、少なくともその問題では前者につきますが、それを主軸に考えて日本を二分するというなら、全く後者の方につく気であるのは間違いありません。女系容認派の方に筆者と相容れない考え方の方が圧倒的に多い訳で、これは本人的に極めて自然な流れです。改憲派に男系派が多く、護憲派に女系容認派が多い訳で、自分のプライオリティは改憲にあるというと分かり易いかもしれません。

さて、何故悠仁様の系統にもしものことがあった場合に直系の女系を優先して、男系でも超傍系を忌避すべきと考えるかと言えば、既にいろいろ述べてきましたから簡単に言及しておきますと、超傍系継承がほとんど有り得ないと考えるからです。男系絶対派の皆さんの中には現皇室の女性と結婚して~と考える方がいらっしゃいますが、確かにそれは前例(後に述べる継体天皇)を踏襲しているにせよ、現代において婚姻の強制は例え皇室においても難しいというだけではなく、論理的に考えて男系継承を絶対視するなら、誰と結婚したというのは意味が無いということになるからです。事実、どちらかを白黒ハッキリさせると言うなら、継体天皇は応神天皇五世だから皇位を継承したのであって、手白香皇女と婚姻したから皇位の継承があったとは言えないはずです。どの皇女と結婚したら皇位継承ができるという話はなく、男系で皇室に繋がるから皇位継承があるというのが、暗黙の神武天皇以来の男系継承の考え方なのであって、男系継承だからこそ、誰かと結婚することは重要なものの、誰と結婚しても傍系はそのまま傍系ということに論理的になってしまう訳です。

とうことは、男系絶対論者はほとんど現皇室と旧皇族の共通の祖先の1372年生まれの伏見宮貞成親王あるいはその祖父北朝三代の崇光天皇(1334年生まれ)、北朝として数えられる天皇を外すなら崇光天皇の祖父第93代後伏見天皇(1288年生まれ)まで遡る日本はおろか世界を見回しても前例があるはずもない前人未到の超傍系を容認するということを意味するとしか結論できません。これは明治天皇・昭和天皇の系譜をひかないどころか、江戸時代にかすりもしない系譜を支持しているということになってしまいます。男系絶対の考え方から行けば、これは長い皇室の歴史でもっとも傍系とされる継体天皇も度肝を抜かれる傍系です。男系は確かに維持できるかもしれませんが、直系重視が皇位継承の基本的な考え方であって、直系をまるで重視せずこれを嘲笑うかのような超傍系容認は筆者的には疑問とせざるを得ません。

八幡和郎氏の意見はよくまとまっており、筆者が参考にすることもある論者ですが、以前触れましたが、確か江戸時代に分かれた男系の「皇族」がいるという話を論じたことがあり、こちらの方がより男系として近いにせよ、江戸時代の別れに過ぎませんし、必ずしも皇族として遇されてきた訳ではないので、二重の意味で継体天皇の度肝を抜くべきではなく、もっと有り得ないと筆者は思っています。幾らなんでもアナクロニズムに過ぎ、現代性が無さ過ぎでしょう。

皇位継承は男系だったら誰でもいいという訳ではなく、特に政争などが無ければ、直系継承が基本中の基本であり、超傍系を基本を大きく外すアウトだと考えれば、女系容認は視野に入ってきます。これは婚姻を重視してないと主張される恐れがありますが、女系を関係ないとしているのは男系絶対論者であって、女系容認論者ではありません。自分が関係ないと考えているものを関係あると考えるのは論理矛盾で支離滅裂でしょう。男系でなければならないと教典に書かれているなら、確かに男系絶対論者の主張通りになると考えられますが、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランにあたるものは日本には無く、皇室の男系継承は不文律に過ぎません。そして直系重視も重要な不文律の一側面であり(臣籍降下が長期に渡り生まれながらの「臣下」が皇位継承に関係した前例もなく、この辺の不文律も犯しているはずです)、論理的に優劣をつけることは不可能なのであって、この辺の判断は皇室関係者や皇室に関心がある人々の感覚的な判断に拠らざるを得ません。

さて件の継体天皇ですが、水谷千秋氏の著作「謎の大王継体天皇(amazon) 文春新書 2001」は結構面白く読んでおり、細部は覚えていないにしろ、自分の中では残っている1冊です。関心がある人は読んでみればいいと思いますが、継体天皇は推古天皇・用明天皇(聖徳太子の父)の祖父で、この辺から皇室の歴史が明らかになると見ることもできます(それ以前の倭の五王の時代はいろいろ異説もあって(中国の歴史書との食い違いの論争などあります)、実在を疑う訳ではありませんが、結構謎が深いのも間違いないと思います)。いずれにせよ、継体天皇を境に大きな断絶を見ることもでき、それが継体という諡に表れていると思います。その辺を勉強すると明らかですが、継体天皇の継承にはいろいろあって、やはりかなり遡った傍系継承というのは想定外の事象と言え、正直に言えばあまり遠いと他人のようなものと言えると思います(男系を絶対視する=女系を認めないと決め付けてしまうと論理的に言って女系は一切関係なくなります)。旧皇族は戦前までは皇族として遇されてきたという違いはありますが、あまり多くなり過ぎた(傍系の)皇族が臣籍降下に対象になるのは、寧ろ皇室の通常の歴史と言えると思います。源氏や平氏も皇室の出とされますよね。源氏は清和天皇の出の清和源氏や平氏は桓武天皇の出の桓武平氏が有名ですが、旧皇族よりも遥かに時代を遡るものの(特に臣籍降下した期間が違い過ぎますが)、論理構造から言えば、旧皇族優先論者というのは、源氏や平氏に皇位継承させようと主張するのと同じということになります。それでも男系継承したというのが男系絶対論者の見方なのですが、女系容認論者は傍系というのも有り得ないよなと見ます。いずれにせよ、一般的な系図から現在の皇室に連なる江戸期の皇室や明治天皇・昭和天皇を経由しないルートを筆者は認めたくありません。男系絶対論者は経由しなくても構わないと正直に認めた上で主張して欲しいと思います。女系容認論なら神武以来の不文の祖法は破るかもしれませんが、皇祖神から皇室へは女系でしか繋がりませんし(男系を絶対視する論者は皇祖神は皇室に関係ないと言い切れるでしょうか?)、現代において男系を絶対視することはかつて存在した女性天皇を(未婚を強いることができないから)今後一切認めないのとほとんど同義だと男系論者自身が認めています。ゴリゴリの皇室主義者(?)こそ女系容認のような気がするんですけどね。筆者は。可能である限り(女系容認論者の中では超傍系が可能に入っていない)男系を優先するのは勿論のことです。

継体天皇が育ったとされるのは越前(福井県)、生まれた土地とされるのは近江(滋賀県)であるようです。応神五世とあわせて皇室の出ではあったのでしょうが(何の根拠も無い馬の骨に皇位を継承させるはずもないとは思うのですが)、畿内に近い豪族の力を見て取ることもできるかもしれません。大和に都を構えたのは即位してから19年経った後のことだそうです。とにかく異質ですが、北陸(越前)が関係しているところが面白いですね。他に後の顕宗天皇・仁賢天皇が播磨国に隠れ住んでいたというのもあります。こうなったのは大悪天皇とも言われ毀誉褒貶激しい雄略天皇が政敵を一掃したため、自分の子の清寧天皇が無くなった時に皇位継承者が見当たらなかったという事情があります。雄略天皇が謀殺した市辺押磐皇子の娘が飯豊青皇女で一時政をとったとも言われ(女性だから見逃されたのでしょう)、顕宗天皇・仁賢天皇はその弟にあたるとされます。仁賢天皇を継いだのが武烈天皇で武烈天皇が亡くなっていよいよ皇族がいなくなったということで、継体天皇の登場となります。武列天皇の姉が手白香皇女で継体天皇の皇后になります。播磨に隠れ住んでいたと言われる(山陰の丹波/京都も関係するそうです)仁賢天皇の系統(手白香皇女)と越前・近江の継体天皇の子供が欽明天皇で現皇室に連なるということですが、中々どうして怪しいなと正直思いませんか?(今の世の中に不敬罪があったら筆者はアウトかもしれません)その怪しさはやはり直系の皇室に連ならない・臣籍降下に準ずる存在になっているというところから来ている訳です。現皇室の女性皇族は来歴が明らかで皇族として重んじられてきた存在です。現状の皇族は全て大正天皇の系譜を引き少なくとも明治天皇の系譜を外すことはありません。更により直系の今上天皇の系譜は昭和天皇という重い存在の系譜を外すこともありません。男系継承の歴史を知りつつも女系容認論に固執するのは、この意味であって他意はない訳です。

少し話が逸れますが、歴史時代以来、日本の歴史は近畿中心(特に奈良・京都)であり続けた訳ですが、これが決定的に変わるきっかけになったのが、江戸時代です(鎌倉時代もありますが、都は京都でしたし、鎌倉は狭く結局滅んだような形になります)。誰でも知っている歴史ですが、織田家から覇権を奪った豊臣家が徳川家に覇権を奪われた訳です。徳川家は元は松平と言って、お隣尾張(愛知)の織田信長と同盟して成りあがった三河(愛知)の豪族・大名でしたが、豊臣秀吉に加増転封を言い渡され(危険人物を遠ざけたかったのかもしれません)、江戸に移ります。そのまま江戸を拠点にしたところ、経済がメキメキ発展し、明治維新の後も東京が都になり、ついに皇室まで動いてきました。皇后美智子様の実家は正田家(父英三郎氏は日清製粉の社長・会長、祖父貞一郎氏は日清製粉株式会社社長、東武鉄道株式会社会長、貴族院議員)で群馬の館林の米問屋だそうで、皇太子妃雅子様の実家は新潟村上市の下級武士がルーツの小和田家(父恆氏は外務事務次官、国連大使、第22代国際司法裁判所所長を歴任)になります。逆に皇室の藩屏を重視する超保守的とも言える方々に言わせれば、現皇室こそ否定の対象になるかもしれませんが、もはや刻まれた歴史は動かしようもなく、戦後の歴史を否定して遡ることを重視すべきではないというのが筆者の考えになります(更にラインを下げろと主張している訳ではなく、時代を遡り過ぎるなと主張したい訳です)。旧皇族というのは論理的にいって系譜を室町時代・鎌倉時代まで遡ることを意味するので、新しい時代の歴史の超軽視と見る他無く、かなり頑張っている次第です。

現在の皇室の考えは知る由もありませんが、系譜をそこまで遡るのを是としているのか疑問に感じており、男系を絶対視する方々の立場は実は危ういかもしれないとは思わないではありません。まぁ聞いてみたら筆者の考えが現皇室とは違うのかもしれませんが、その辺は現皇室の方々しか知らない、少なくとも一般では何とも言えないということになるのではないかと思います。ホントに旧皇族に拘る方々は系譜が室町・鎌倉まで遡っていいと考えているんですかね?少なくとも一般的な系図では皇室の歴史の半分近くが繋がらなくなると思うのですが。応神五世どころじゃない何とか王(失礼)が延々延々延々と続く系譜よりは、ちょっと思い切った方が随分マシではないでしょうか?少なくとも男系絶対のお隣のあの国やあの国(結婚しても女性は旧姓しか名乗れず女系は絶対に繋がりません)が何を言おうが筆者など全く意に介していません。女系が繋がることが有り得るのが日本という国です。

最後に触れにくいところを触れておきますが(何時ものことです)、婚姻重視・直系重視でも血統を重視すると(皇室というのは血統そのものです)、眞子様に関してちょっと関心を持たざるを得ません。これは男系が絶対だから言っている訳ではありませんが、~家がどうという話がない皇室はないんじゃないかと思います。傍系過ぎることや臣籍降下が問題になるのは、この辺が非常に怪しくなるからというのもあります。女系だってあれこれイチャモンつける人はいると思いますが、超傍系や臣籍降下が絡むと同じくいろいろイチャモンつけられるのは同じでしょう。何を重視するかにはなりますが。筆者は女系容認論者であって、女系を絶対としている訳では全くなく、これ以上のことは控えておきますが、血統や婚姻の話を皇室に関して全くしないことが正しいと思っている訳ではありませんし、それが可能な時代ではないと思っていることも付け加えておきます。結婚は皇室と言えど本人の問題だと筆者は思いますが、家の問題は本人だけの問題では必ずしもありません。不自由かもしれませんが、それが日本の象徴であり伝統そのものではないでしょうか?パパラッチで追い回すような自由があると主張している訳では勿論ないですが。

前回の記事を自己否定している訳ではありません。書いていることそのままで矛盾はないはずです。念のため。


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