風の谷通信No.6-096 訂正済み
麓の富田入り口から1.8キロのはずだったが、先ほどの丸山の松ノ木の下にある案内板には阿弥陀堂まで1.5キロとあった。まだ300メートル歩いただけだ。こりゃ大変だよ。
まずは水車小屋で一休み。これは最近の作品であろうと思う。水道の仕掛けや配管を見 ると昔からの「品物」ではない。これもムラ起しかな。水車小屋なのに皮肉なことに飲み水がない。あぁ水が欲しい。バス停の傍で買ってきた水はもう生ぬるくなってしまった。それに、阿弥陀堂で昼飯のパンと一緒に飲みたいよ。
坂を登ってゆくと農家屋敷の入り口の一角に看板がぶらさげてある。「ズッキーニ」とある。こんな農村の中で農作物を買う人が通るのか知らん?と思う。続いてはちいさな祠の如きお社がある。ムラの鎮守かお稲荷さんかも。札はもう古くなって読めない。ここでも一休み。
なにしろ暑い。陽に焼かれる思い。文字通り「灼熱」の舗装道路だ。最初は200メートル毎ほどで休んでいたが、そのうちに100メートル程になり、遂には50メートルほどになって、歩いているのやら休んでいるのやら訳が判らないようになってしまった。普段の自分の歩みとはまったく別物だ。一つには毎日クルマばかりの生活で、いかに農作業をしているとは言え、身体がなまってしまっているのだ。黒いビニール傘をかざしながらあえぎあえぎ登る。シャツはベトベトで、身体の表面を汗が流れるというのか、あるいは絶えず水を浴びながら歩いていると言うべきか。、肌に水が浮いて流れてゆくのだ。歳をとると肌の力がなくなる。若い頃には水を弾き飛ばしていた肌が力を失って水がベットリと張り付いてくる。歳をとるとはイヤだね、と言ってもせんないことだけど。屋敷の植え込みや祠の木陰や納屋の庇を借りて休みながら休みながら歩く。
もうこうなったら執念みたいなものだ。阿弥陀堂にもあの映画にも何の借りもないのに、まるで義理を果たすかのように阿弥陀堂を目指す。持病の不整脈が出るではなかろうかと心配になる。休みを利用して脈を計る。心拍数は上がっているが不整脈が悪化している気配がないのでまずは安心する。
振り返ると先ほどの祠の木立の向こうのはるか下に千曲川の谷筋が見える。あそこからバスと徒歩で登ってきたのだなあ。だけど何のために?アハハハハハ・・・。ヤレヤレ。
苦心惨憺、刻苦勉励、やっとこやっとこ登ってきてあと僅かという段になって、道の傍の木立の陰にやや小ぶりな空き地があって、そこがタクシーの最終地点となっている。なんだぁ?ここまでタクシーが来るのか!どの案内書にもそんなことは書いてなかったぞ!
まあそれはそれとして、やっとやっと、ムラ道から阿弥陀堂への分かれ道に達した。この大きな石碑の下に標識があって、阿弥陀堂と棚田の里の三部(さんべ)と読める。ヤレヤレ。だけどこの石碑は古いぞ。正真正銘のムラの歴史を記す石碑だろう。だけど読めないし読むだけの元気もない。
そして、わき道へ入ってエッチラオッチラ歩くと・・・・・・・遂に阿弥陀堂が見えた。だけど・・・なんだアリャ? 坂の下から見上げる阿弥陀堂は高くて深い草の向こうの木立の中に小さく見えるのだ。あそこまでまだまだ遠いよ。 トホホノホ。