乱鳥の書きなぐり

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『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

2024年08月31日 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月



 身毒丸の父親は、住吉から出た田楽師であつた。

 けれども、今は居ない。

 身毒は をり/\ その父親に訣れた時のようすを思ひ浮べて見る。

 身毒はその時九つであつた。


 住吉の 御田植神事の外は 旅まはりで、一年中の生計を立てゝ行く 

 田楽法師の子どもは、よた/\と 一人あるきの出来出す頃から、もう二里三里の遠出をさせられて、 九つの年には、父親らの一行と  大和を越えて、伊賀伊勢かけて、田植能の興行に伴はれた。


 信吉法師というた彼の父は、配下に十五六人の田楽法師を使うてゐた。


 朝間、馬などに乗らない時は、疲れると屡 若い能芸人の背に寝入つた。

 さうして交る番に皆の背から背へ移つて行つた。


 時をり、うす目をあけて 処々の山や川の景色を眺めてゐた。


 ある処では青草山を点綴して、躑躅の花が燃えてゐた。


 ある処は、広い河原に幾筋となく水が分れて、名も知らぬ鳥が無数に飛んでゐたりした。


 さういふ景色と一つに、模糊とした 羅衣をかづいた記憶のうちに、父の姿の見えなくなつた、  夜の有様も交つてゐた。


 その晩は、更けて月が上つた。


 身徳は夜中にふと目を覚ました。

 見ると、信吉法師が彼の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。





『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。




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