乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

乱鳥、時間がないとは言っているが、実に無駄な時間が多い。無駄とは何か?それは心の栄養なのかもしれない。  【良弁杉】(ろうべんすぎ)【二月堂良弁杉の由来】

2019-03-14 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
 写真は 東大寺二月堂
 修二会のお松明と、良弁杉(ろうべんすぎ)

【良弁杉】(ろうべんすぎ)とは
 高僧の幼時にまつわる伝説。
 東大寺建立に力のあった僧良弁が、幼いころ鷲(わし)に連れ去られ杉の木に置かれた話。
『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』によれば、良弁は近江(おうみ)国(一説に相模(さがみ)国)の生まれという。2歳のとき、母が桑を摘むため木陰に置いたところ、突然舞い下りてきた大鷲につかみ去られ、春日(かすが)神社まで運ばれる。
 たまたま通りかかった義淵(ぎえん)僧正に救われ育てられる。
 修行を重ねた良弁は名僧となり、のちに、母の刻んだ観世音菩薩(ぼさつ)像の縁(えにし)によって母子は再会を果たし、良弁は孝行を尽くしたという。
『東大寺要録』では根本僧正の話として伝えている。鷲が子をさらう話は古く『日本霊異記』『今昔物語集』などに収載されているが、ここでは親子の奇跡的な再会と縁の不思議が強調され、高僧の逸話としては語られていない。
 民間では「鷲の育て児」譚(たん)として各地に分布しており、東大寺二月堂の杉の由来を説くほかに、さまざまの変化型が認められる。明治にできた浄瑠璃義太夫(じょうるりぎだゆう)節に『二月堂良弁杉の由来』があり、今日でもよく上演される。[野村純一]
  (小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より)


【二月堂良弁杉の由来】(にがつどうろうべんすぎのゆらい)とは
 浄瑠璃義太夫(じょうるりぎだゆう)節。
 時代物。加古千賀(かこちが)作詞、豊沢団平(とよざわだんぺい)作曲。
 一説に某文士の作を団平の妻千賀が加筆したという。
 通称「良弁杉」「二月堂」。
 887年(明治20)2月、『三拾三所花野山(さんじゅうさんしょはなのやま)』の一段として大阪・彦六(ひころく)座初演。
 菅原(すがわら)の臣水無瀬(みなせ)の後室渚(なぎさ)の方は茶摘み見物のとき愛児光丸を鷲(わし)にさらわれ、狂気して諸国を流浪。
 30年後、東大寺の良弁上人(しょうにん)は二月堂の杉の大木にわが子を探す貼紙(はりがみ)を見て、その主を尋ねると、年老いた女乞食(こじき)が現れ、話の内容と証拠の品から、女乞食は渚の方、良弁こそ光丸とわかり、母子は涙の対面をする。
 明治期新作浄瑠璃の佳作として現代でも文楽(ぶんらく)・歌舞伎(かぶき)の両方で上演されている。[松井俊諭]
  (小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より)



 本日美容院に行って来た。

 髪を3センチカットしたので頭が軽い。

 スッキリした気分で、一日を過ごしている。

 いっときの事から考えると、20センチ程度は短くなったので、プール後の髪の乾きが早い。


 ここ4日間ほどスポーツジムをお休みしているので、体が鈍っている。

 今夕はこれからジムに行き、自己流のストレッチを行いたい。

 ただしプールややめて早々に帰り、漢文の予習をしなければ、お尻に火がつきそうだ。

 今夜は心して予習にとり組まねば、時間がない!


 劇団四季も見たいしし白黒の映画『残菊物語』も楽しみたいが、時間がない。

 時間がないとは言っているが、実に無駄な時間が多い。

 無駄とは何か?それは心の栄養なのかもしれない。

 今日もこれからゆっる〜りマイペースで目一杯楽しみたい。




 
 
 
コメント
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