日常

井筒俊彦『神秘哲学』

2015-08-04 00:03:13 | 
井筒俊彦先生の本は、知性と熱情が幾層にも織りなされていて、すごい。
何十年も何百年も読み継がれる本というのは、こういうものなんだろう。

井筒俊彦『神秘哲学』

4章立ての構成。
「ソクラテス以前の神秘哲学」、「プラトンの神秘哲学」、「アリストテレスの神秘哲学」、「プロティノスの神秘哲学」


哲学の誕生について。

紀元前6世紀以前、人々は異神であるディオニュソスの憑依を通じて新たな神を知った。それは「コトバ」である。

憑依の身体的現象は二段階で行われる。
狂乱による「脱自」(エクスタシスekstasis)。
その後、空のからだ(こころ)に神が満たされる「神充」(エントゥシアスモスenthusiasms)。
この神は人格神でなく、「コトバ」(無限な形容できないもの)である。


人々は、「コトバ」(=詩)によりギリシャ神話の神々に対抗することを覚えた。それが哲学の始まりである、と。

ギリシャの自然神秘主義はディオニュソスによってもたらされた「脱自(エクスタシス)」と「神充(エントゥシアスモス)」の体験に基づく「宇宙的霊覚の現成」であった。
古代の神秘主義を「コトバ」により展開したものが、ギリシャ哲学的展開である。


・・・・・・・

井筒先生は、『意識と本質』においても、「コトバ」というものを重視されていた。
「コトバ」の本質に至るために、聖典を重要テキストして「読む」ことの重要さを何度も繰り返されていた。

井筒先生からは、いつでも学ぶことが多い。




井筒俊彦『神秘哲学』
「一見冷然として極めて概念的抽象的なるこの形而上学体系の表皮の直ぐ下には、躍動する宇宙的オクレシス(本能的欲求)そのものの最も内密なる個人的体験が伏在しているのである。」

井筒俊彦『神秘哲学』
「神秘哲学は神秘主義的実存の自己反省、超越的体験そのもののロゴス化(認識論)であると共に、此の絶対的超越的観点よりする全存在界の組織化(形而上学)という形をとって展開するのである。」

井筒俊彦『神秘哲学』
「イデア観照が彼(プラトン)にとってどれほど幸福であろうとも、彼はこの超越的世界にいつまでも静止滞存することは許されない。
存在究境の秘奥を窮めた後、ふたたび俗界に還って、同胞のために奉仕すべき神聖な義務が彼に負わされている。
喧噪の巷を遁れ、寂寞たる孤独の高峰上にひとり超然として「一者」の観照にふけることによってではなく、あえて隠逸の山を下り、身を俗事に挺して世人のために尽瘁することによってのみ、プラトン的哲人の人格は完成するのである。」


井筒俊彦『意識と本質』
「(リルケについて)現実の経験の世界に生々と現前するものを、その時その場ただ一回かぎりの個的な事象として、
あるがままのその純粋な原初性において、これらの詩人たちは自己の内部空間に定着させ、
その上でそのものの純粋な形象を、日常言語より一段高次の詩的言語にそのまま現前させようとする。」

井筒俊彦『意識と本質』
「意識とは事物事象の「本質」を、コトバの意味機能の指示に従いながら把促するところに生起する内的状態。」