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受領の出世

2011年09月10日 | 平安時代

 受領は4年の任期を終えると公卿による受領功過定において財政上のチェックを受けた後位一階を進められるが、受領に任ぜられるのは容易ではなく、一生に一度だけなれる官人もおおかった。 小右記1018年によると、藤原道長の土御門第再建の奉仕者で有名な伊予守・源頼光の目代として「目代伍倫朝臣」が記されている。 この特徴のある名前から傀儡小目代を使った小野五倫であることは疑いない。 外記をつとめ伊豆守を務めた旧史の小野五倫はその後伊予国目代として働いた。1111年の除目で史巡第二の小槻良俊が陸奥の藤原清衝のもとへ下向していて、五位以上が勝手に機外へ出ることが問題となったが結局大隈守となった。 受領は自らの手足として多くの郎等を従えて任国に下向し彼らは下級官人層とあると述べたが、彼らには受領経験者やその予備軍もはいっていた。 枕草子・すざまじきもの のなかには除目に司えぬ人の家をあげ、今年は必ず国司になれそうだという人の家には多くの人が集まっていたのだが、任命はなく、翌朝人々が帰っていくさまを描くが、ただ受領の富にたかろうとして集まっているのではなく、受領が組織する郎等にしてもらおうと、下級官人層が集まってくるのである。  一方任中となった有能な受領は歴任していく。 枕草子では、受領などもみなさこそはあめれ。 あまた国にいく、四位、三位などになりぬれば上達部などもやむごとながり給めり と、受領を歴任して出世することを記している。

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